ブラームスが「ウィーン駐在日本帝国公使、戸田伯爵」の奥方が演奏する琴を聴いていた!
『日本民謡集』の譜面にはブラームス自身の書き込みも残されている!
わお!

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著者: 萩谷由喜子
出版社: 中央公論新社
価格: 1980円
発売日: 2021年06月21日


ブラームスと筝曲の関係にまつわる事実が判明したのは1984年。
日墺の共同研究により、明らかになったとのことですが、全然知りませんでした。
その研究メンバーに、知人の恩師のお名前も発見してびっくり。

また、この戸田伯爵とは、岐阜は大垣藩主の一族。
幕末、わずか12歳で第11代大垣藩主を相続した戸田氏共のことで、その妻の極子が、ブラームスの前で箏を演奏した女性その人になります。
で、極子の父が岩倉具視。
極子の妹の恒子(のち寛子と改名)は、森有礼の妻。

なんというか、明治期の「華麗なる一族」に触れた気分。
もちろん、廃藩置県により「藩主」ではなくなったわけですが、華族令の制定で爵位を受けて伯爵となり、東京に居を構えて豪奢な生活を送っていた氏共。
そんなことができたのも、

戸田家には、代々仕えて来たお家大事を第一義とする忠臣たちがいた。彼らは地元大垣での殖産興業に力を入れ、その実績をあげて主家の経済基盤を盤石にしていた。おかげで戸田家は、この頃(明治23年、1890年)になると休憩台明日家の中でもゆとりのあるほうとなっていた。(p.174)

という事情があったそうです。納得。
高校時代に岐阜で生活していた私、かの地の「郷土愛」の深さはよく知っていますが、こういう歴史があればこそなのですね~。

幕末期、一時は佐幕派側についた大垣藩でしたが、世の動向を見極めた小原鉄心(藩の重臣。1817-1872)の奮闘が奏功して、薩長側に組することができ、明治新政府で活躍できたとのこと。へええ~。これも知りませんでした。

氏共は、明治政府の許可を得て米国留学し、鉱山学を専攻。
この時に随行した大垣藩士は、帰国後、明示を代表する技術系官僚として活躍したそうで、筆者はこれを「大垣藩による新生日本のための人材育成事業の成果の一つ」と位置付けています。
ううむ、隔世の感。今の日本には、こういう勢い、ありませんねえ。

さて、動乱期、大政奉還が既成の事実であることを敵味方に思い起こさせたのが、朝廷を戴いていることのシンボルである「錦の御旗」だったそうですが、これ、岩倉具視の発案によるものだったのだとか。
その娘である極子ですから、結婚前から英語などの教育をバッチリ受けており、後のウィーン滞在時も、よく氏共を支えたとのこと。
その氏共&極子の子、孫の世代まで視野に入れ、極子の「賢夫人」ぶりを描きます。

そういえば、日本とオーストリアの間に「日墺修好通商航海条約」が締結された1869年から数えて「150年」を記念して、コロナ前の2019年にいろいろ催し物がありました。
とすれば、
1833年に北ドイツのハンブルクに生まれ、1897年にウィーンで亡くなったブラームスはもう充分に、合法的来日可能な時代のヨーロッパ人

という、本書冒頭の指摘ももっともなのですが、今までこういう視点で歴史を見たことがありませんでした。

最後には、現在、ウィーンフィルハーモニーのヴァイオリン奏者、チェロ奏者として活躍中のヘーデンボルク兄弟の母堂が戸田悦子さんという日本人ピアニストで、大垣藩主の戸田氏につながる人であることを明らかにしています。
ヘーデンボルク和樹氏といえば、つい先日、拙ブログでも記事に取り上げたばかりではありませんか。
手前勝手に、御縁を感じてしまった私です。

最初から最後まで
「そうだったのか!」「へえ~!」
に満ち満ちた内容でした。お見事。