モーツァルトと18世紀~激動の時代を生きた音楽家の生涯と作品

第6回 「『宗教』~変化する価値観の中で」 

2021年5月5日(水)20:30放送
<出演>ヨーロッパ文化史研究家 小宮正安(横浜国立大学教授)

2021-04-23 (2)

最後の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の美しさが胸に沁みました。
そんな意義を持つ曲だったのか~と。

<モーツァルト少年時代の神童ぶりを示す有名なエピソード>

1769~71年 イタリア旅行の折にヴァチカン(カトリックの総本山)を訪問
システィーナ礼拝堂で、門外不出の秘曲『ミゼレーレ』(4つの声部+5つの声部による、複雑で神秘的な声楽曲)を一度聞いただけで、ほぼ覚えてしまい、記憶を基に楽譜におこしてしまう。
2度目で、細かい訂正を施し、完璧な楽譜を完成。
教皇はこの行動を称え、教皇庁騎士という名誉の勲章を授ける。

Why「盗聴行為」ともいえる暗譜&記譜行為を咎めず、なぜ賛美したのか?

モーツァルトを賛美した教皇:クレメンス14世
イエズス会を解散させた(1773年)人物として有名
原因:
カトリック教会の権力下にあった世俗の王侯貴族との対立があった。
貴族たちは教会の弱体化を狙っていた
さまざまな権益を得ていたイエズス会の解散を迫る
その圧力に負けた結果としての解散命令


<教会、教皇という存在意義の変化>

当時の教皇は、もはや世俗に鉄槌を下すような存在ではなく、圧力に屈する存在と化していた。
音楽においても、神秘性より、平易で明快な和声やメロディーが現れるようになった。
その一つが
「教会ソナタ」:弦楽合奏+オルガン
「ソナタ」とは、もともと器楽を用いて演奏されるもので、そのうち教会で演奏されることを前提としてモノを指した。

「教会ソナタ」:厳粛な曲想
「世俗ソナタ」:舞曲をとりいれた、愉悦に満ちた曲

「宗教に携わる者」vs「それ以外の世俗の者」という考え方が厳然としてあった。
それが、教会の権威の失墜とともに変化。ソナタの曲想の差もあいまいに。
ディベルティメント、セレナードは、世俗ソナタから生まれた。
モーツァルトの教会ソナタには、セレナードのような優雅さが表れている。


<モーツァルトと宗教>

① ザルツブルク大司教との関係
1771年(モーツァルト15歳)のとき、
ザルツブルク大司教・シュラッテンバッハが亡くなる。
神童モーツァルトの存在を世に知らせるための長期旅行を応援し、副楽長のレオポルトの長期休暇を許した、モーツァルト一家に寛大だった人物。

1772年 コロレードが就任
「モーツァルトの不倶戴天の敵」と評される人物。
カトリックの脆弱化を強く認識し、その立て直しを図った。
ザルツブルクの宣伝になるからという理由だけでは、もはやモーツァルトの特別扱いはできないとし、無駄な出費を極力抑えるための方策を続々と打ち出した。

コロレードは「身を切る改革」によってザルツブルクの維持を狙ったが、教会による催し物も、ミサ曲の規模もどんどん縮小するという策は、娯楽をとり上げられた領民には不評。
モーツァルトは結局ウイーンに移住。

② 宗教曲の変化
「ミサ曲」必ず教会で演奏
「オラトリオ」民間の施設で演奏

宗教曲は、自らが仕える領主からの命令や、教会からの依頼を受けて書くものだったが、モーツァルトは自らの意志でミサ曲を作曲。
その「大ミサ曲(未完成)」の一部を「オラトリオ」に改変。教会と世俗との区別がなくなっていく。

③ アヴェ・ヴェルム・コルプス
モーツァルトが、シュテファン大聖堂の楽長のポストを目指していたときの曲(それがかなう前にモーツァルト死去)
モーツァルト最後の「白鳥の歌」と言われる。
神に支配されるのではなく、人間の魂を神の前に差し出すという、人間と神との新たな関係性を表す曲。


<紹介された曲目>
  • ミゼレーレ
  • モーツァルト作曲 教会ソナタ第1番(初演時はモーツァルトがオルガンを弾き、首を振って指揮)敵
  • モーツァルト作曲 オラトリオ(ミサ曲を改変した、ダビデ王の物語)
  • アヴェ・ヴェルム・コルプス