PIOピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

カテゴリ: 書籍レビュー

著者: クリスチャン・メルラン
出版社: みすず書房
価格: 6600円
頁数: 608P
発売日: 2020年02月19日

51z1nY+nRQL
第一部 オーケストラの奏者たち
第二部 構造化された共同体
第三部 指揮者との関係

全600頁超。辞書かと思うような分厚さです。
実家滞在中に、シコシコと読了。
筆者がフランス人だけあって、フランスを中心としたヨーロッパのオーケストラ内幕話が多いですが、少しはアジアの話も出てきます。邪道かもしれませんが、そんなところに注目しつつ、読みました。

指揮者として出てきた日本人は、次の2名。
大野和士
オーケストラのストライキについて述べる中で、次の記述が。
2005年、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団によるシャトレ座でのヘンツェのオペラ〈バッカスの巫女〉の公演中止があり、指揮者の大野和士はわずか数日で器楽アンサンブル向けの編曲を余儀なくされた。(p.16)


小澤征爾
「ブーレーズやマゼール、小澤、メータ、サロネンに比べたら(p.450)」と、現代の一流指揮者として名前が挙げられるとともに、
指揮者がオケに錬金術のような奇跡をもたらした例として、「フランス国立管弦楽団が小澤征爾の指揮で〈ラ・ヴァルス〉を演奏したとき」のことが讃えられていました。(p.535)

一方で、
小澤征爾がボストン交響楽団の頂点に立って30年が過ぎると、もはや彼自身にもオーケストラにも進歩の余地がなくなり、人間関係にまで影響を及ぼすことになった。(p.468)
とも。
「アメリカのティンパニの皇帝」として名を馳せたボストン交響楽団のエヴァレット・ヴィック(ヴィクター)・ファースについて記述する、次の箇所にはびっくり。
1973年にボストン交響楽団の指揮者に任命された小澤征爾は、自分の任期中はファースもオーケストラの演奏を続けるという秘密協定をファースと結んでいる。ファースはこの約束を守った。彼が72歳で引退したのは、小澤征爾がボストン交響楽団を去った2002年のことだ。その後も毎年夏になると松本音楽祭のサイトウ・キネン・オーケストラのティンパニ奏者としての姿を披露している。(p.384)


個人名として出た日本人は、あと一人だけ。
マリンバにはヴィルトゥオーソとの名がふさわしいソリストがいる。アメリカのリー・スティーヴンス、日本の安倍圭子、フランスのエマニュエル・セジュルネとエリック・サミュだ。(p.398)

安倍圭子さん、私は初めて知りました。ググったところ、1937年生まれの方とのこと。大御所ですね。

日本のオーケストラとして固有名詞が出てきたのはNHK交響楽団だけでした。
それも、演奏内容を云々する箇所ではありません。
N響の演奏がラジオ放送されたのを聴いたカラヤンが、招聘され演奏していたウィーン・フィルのオーボエ奏者の音色をすぐに聞き分けた、というエピソード提供楽団として名前が出たのみです。

現在、N響で指揮をしているパーヴォ・ヤルヴィは多々出てきますが、本書の原語での出版が2012年ということもあって、N響との関わりは論じられません。
彼を評して「荒削りでも熟成の余地のあるオーケストラを好むパーヴォ・ヤルヴィ(p.462)」とあったのには、妙に納得してしまいました。


それから、1970年のエピソード(ウィーン・フィルで長く団長を務めたヴァイオリン奏者オットー・シュトラッサーの発言)として紹介されたのが、次のくだり。
(ヴァイオリン奏者の入団試験で)受験者が最高の演奏を披露したので、パーテーションをはずすと、その受験者が日本人であることがわかり、審査員は呆気にとられた。結局、その日本人は採用されなかった。なぜなら、彼の顔つきが〈ピツィカート・ポルカ〉にふさわしくなかったからだ。(p.141)

その後も、純粋な日本人はまだ一人もウィーン・フィルには入団していないとのこと(オーストリア人と日本人を両親に持つ団員はいても)。

「あ、これはあのピアニスト!」とピンときたのは、韓国のイム・ドンヒョク。最近、彼の名前を聞きませんが、かつての神童、どうしているのでしょうか。
クルト・マズアがフランス国立管弦楽団によるラヴェルの〈ピアノ協奏曲ト長調〉の終楽章の冒頭の演奏をさえぎり、激怒する場面もあった。ロン=ティボー・コンクールの受賞者のガラ=コンサートでのことだ。冒頭のファンファーレに続けて韓国人の若いピアノ奏者があまりにも速く弾きはじめたために、オーケストラの一部だけがピアノに合わせ、残りが指揮者に合わせてしまう事態となったのだ。(p.170)


なんだかゴシップのオンパレードのようになってしまいましたが、実はこの本で興味深かったのは、楽器の種類や変遷などです。

オーボエのように見える楽器が、なぜ「イングリッシュ・ホルン」と呼ばれているのか、ずっと不思議だったのですが、本来は「オーボエの5度下にあたるコーラングレ」という楽器で、曲がったという意味の「アングレ」とイギリスを意味する「アングレ」が混同された結果の間違った英語訳なのだとか。オーボエと違ってリードがまっすぐではなく肘型に曲がっているのだそうです。(p.273)

「バスーン」と「ファゴット」は同じ楽器の別名だと思っていましたが、さにあらず。
フランス系の「バソン」とドイツ系の「ファゴット」は音色も異なる別の楽器なのだそうです。でも、「いまやフランス系のバソンを用いるのはフランスだけになってしまった。」とのこと。(p.291)

ティンパニは、ヘッドをプラスチックにするか、皮にするかでの論争があるうえ、楽器の仕組みも「ペダル式」と「側面に配置されたノブを回してヘッドを張るチューニングボルト式」があり、後者を用いるのは今ではウィーン・フィルだけになってしまった、とか。(p.376)

オーケストラによって音色に差があると言われるのは、奏法だけでなく、楽器そのものの差もあるのですね。気づきませんでした。

オーケストラに占める女性奏者の割合が高くなってきていることについて、
「男性にとってオーケストラの楽団員がが経済的に魅力のある職業ではなくなっていくにつれて、オーケストラに女性の占める割合が増加している」という指摘もされているとか。(p.132)

オーケストラ一つから、いろいろな分析ができるのだなあと、社会学的な興味も覚えました。

著者: 石井宏
出版社: 七つ森書館
ページ数: 413頁
発売日: 2013年09月01日
51jTWidGb7L
はい、この本の表紙の右半分の顔が、楽聖「ベートーヴェン」
左半分の顔が、その実像「ベートホーフェン」というわけです。

右半分の顔は、学校の音楽室に必ず掛けてありますよね。これ、虚像です。
本当は、真っ黒な髪の、風采の上がらない小男でした。
彼が爆発的に売れたのは、1814年「ウェリントンの勝利」という曲によってであり、この曲に合うイメージのブロマイドとして、音楽室の肖像画は生まれたのだそうです。

彼を有名にした曲は、今では誰も振り返らない駄作。
ただ、勇ましい戦争賛美曲を求める風潮の中、この曲が異例な大ヒットとなります。
それに有頂天になるベートホーフェンの姿はあちこちに書き残されているそうですが、彼も内心では傷ついていたはず。
聴衆に届けようと心を砕いて作曲したソナタや交響曲はさっぱり人気が出ず、駄作が大人気となったのですから。
以来、彼は「聴衆に届けよう」とする姿勢、聞き手への信頼を放棄し、「書きたいものを書く」作曲法へと踏み出し、後期作品を生み出していきます。

「初期」「中期」「後期」という区分のしかた、
私、いまひとつ意味するところを解らずにいたのですが、この説明には納得でした。

曲名についての情報も、なるほど、です。
「英雄」交響曲曲のアイデアは、若き日のベートホーフェン(まだ交響曲を一つも書いていない27歳)にナポレオンの部下・ベルナドットが授けたもので、のちに「ポナパルト交響曲」として書かれたこの曲、時勢を読んだ出版社が出版にあたって名前を変えた、とか(作曲家自身で変えたというのは後世の作り話)、
このベルナドット、その後フランス執政政府から駐オーストリア大使に任ぜられ、ウィーンに乗り込んできたのときの随員の中にいたヴァイオリニスト・クロイツァーに献呈されたのが「クロイツェル・ソナタ」である、とか。

私生活での恋人の話も、根拠が続々と引用されていて、読ませます。
家族については、ベートホーフェンが自分の弟の息子をその母から無理やり引き離し、手元に引き取ってひどい目にあわせたという、甥っ子のカールが、その後軍隊で認められ、遺産も手にして、ちゃんとした人生を送ったということ、その母も息子カールの死後の80代まで長生きしたことを知って、なんだかほっとしました。
そのカールの後見人たる権利をめぐる裁判記録とか、生々しくて驚きました。
ベートホーフェン、確かに性格的な問題を抱えていそうです。

このように、うんちく、なるほど納得、の情報に満ちた本です。
ただ、数文字下げて「根拠」のように提示されている部分が、出典を記した引用だけでなく、筆者が自分で書いたように読める箇所も多々あって、面食らった、ということも付記しておきます。

章立て
  • 第1章 盛名
  • 第2章 有名人の症状
  • 第3章 ゲーテとベートホーフェン
  • 第4章 女たちの影
  • 第5章 ”不滅の恋人”
  • 第6章 愚行
  • 第7章 革命的な音楽家
  • 第8章 栄冠
  • 第9章 終章・フェニックスの歌

「古本屋で、こんな本を見つけたよ~」と、友人が貸してくれた本です。
なるほど。昔は(といっても1993年刊)こんな執筆形態が可能だったんだ~と思いました。

著者: 戸塚亮一
出版社: 南斗書房
頁数:259頁
発売日: 1993年

51MHk2kQj8L

なにしろ、そのかなりの部分が引用なんです。
初めは、そんなことに気づかず、「なんだか翻訳文の匂いが強いなあ」なんて思っていたのですが、次の文に行き当たって、完全に頭の中が「?」だらけに。


 私たちは、ルネッサンスで復興した、中世の音楽の時代に生き、さらに当時の楽器へ作曲家が求めたものを既に知っているのです。(p.79)


え?「私たち」って、誰? 筆者って、ベヒシュタイン社の経営者ではないよね?
この疑問、あとがきを読んで解けました。

 本書の第一楽章「創立者カール・ベヒシュタイン」、第二楽章「ベヒシュタイン社クロニクル」は、ベヒシュタイン社刊行になる『ベヒシュタインの歴史・1853年から現代まで』(原文独語・1986年刊)の翻訳を基本に、筆者が多少手を入れたものです。(p.257)


へ?
そんなこと、しちゃっていいの?
少なくとも「終曲・あとがき」なんてところに、ちらっと書くだけじゃ、まずいんでは?
本文にきちんと明記すべきでは?
ちなみに、他の章を見ると、

  • 第三楽章「ベヒシュタインはこうして作られる」は、ピアノ選定のための入門書として筆者が書き下ろしたもの、
  • 第四楽章「日本におけるベヒシュタイン」は、檜山陸郎氏『洋琴ピアノものがたり』(現代芸術社刊)の引用が主体
  • 第五楽章「ベヒシュタイン・あれこれ」は、筆者があちこちの機関紙などに書いたエッセイ(ピアノとは無関係な文化比較等)や、ベヒシュタイン社のPR文を並べたもの

となっています。
びっくり。
こんな構成に「楽章」なんてつけちゃいけません。ソナタ形式が泣きます。


ま、ベヒシュタインの創設者・カールが、幼少時に父を亡くし、母の再婚相手となった義父が音楽家であったことから音楽教育を受け、実の姉の結婚相手がピアノ職人であったことが彼の道を決定づけた……などということは、初めて知りましたし、「なるほど!」と思う情報もありました。

でも、コンサート・グランドピアノとして、今、ベヒシュタイン製のピアノに出会うことはあまりないような気がします。
それより、博物館となった西洋館とか、個人宅で出会うような。
その意味で、同社製ピアノの仕組みを詳述するなら、本書が取り上げたコンサート・グランドピアノではなく、アップライトピアノとか、小さめのグランドピアノの方を取り上げてほしかったと思いました。

なお、本書でその利点が力説されていた「総アグラフ」という仕組みは、既に廃止されてしまったようです。
結局は、大ホールで要求される大音量が出ない、という点がネックになったようです。
なるほど、やはり。

著者: 石井宏
出版社: 新潮社
頁数: 486P
発売日: 2010年09月29日

518JKm1kWNL

タイトルに惹かれて手に取りました。
早朝5時に目覚めて読み始め、そのまま読み続けて本日読了。
ありがとう、海の日。

バッハ、ベートーヴェン、ブラームス……ドイツ音楽を中心に論じる「音楽史」は後世からの目。実は、モーツァルト、ベートーヴェンの時代、音楽の中心はイタリアであり、オペラだったのでした!

本書の構成を見れば、述べたいことは一目瞭然。

第一部 イタリア人にあらざれば人にあらず
第1章 音楽はイタリア人
第2章 興隆するイタリア・オペラ

第二部 それではドイツ人はなにをしていたのか
第1章 イタリア・オペラに生きたドイツ人たち
第2章 栄達の梯子を登れなかった人々

第三部 全てはドイツ人の仕業である
第1章 後進国としてのドイツ
第2章 夢と成就と崩壊への道

映画「アマデウス」においてモーツァルトの敵役として描かれたサリエリも、イタリア人。
「宮廷音楽家」という地位につくには、イタリア人であるか、イタリアで名声を得たという箔付けが必須であったという時代背景があるのです。
モーツァルトの父、レオポルドが息子を売り込もうと必死になっていたころ、

劇場関係者と一言でいうが、ハプスブルクの宮廷の上級職たちはみな貴族であった。宮廷劇場の支配人もアフリージョAffligioというイタリアの貴族であった(ハプスブルク家はこの頃イタリア北部からトスカーナにかけての土地を領有していた)。平民で、ザルツブルクの一介のお傭い楽師というレオポルトの身分は、料理人や従僕と同じで、世が世ならば貴族を相手にして息まいたりできるものでもない。にも拘らず、神童の息子のおかげでウィーンの宮廷などに出入りをさせてもらえているのである。


音楽学校で音楽教育を施していたのも、イタリア。
ヴィヴァルディのピエタ修道院が有名ですが、孤児たちが手に職を持つには音楽だ、という意図のもとに。たいていの場合は世襲制である職人世界にあって、教会や貴族の邸に雇われる楽師や下働きの召使は、サラリーマンのようなもので、いくらでも働き口はあった、と。

ルネッサンスのイタリア、ですものねえ。
美術品の魅力は、皆が知るもの。
そういえば、産業革命で力を得たイギリス人が「イタリア詣で」をしてその記録を残すことに躍起になっていた、という話も、最近の美術展で知りましたよ。

また、
モーツァルトも、ヴィヴァルディも、今の世で取り上げられるようになったのは、ごく最近、一般の人々の間で人気が高まってからである、というのにも驚きました。
モーツァルトは、生誕200年の1956年以降。ヴィヴァルディは、もっと後。

作曲家たちが生きていた時代、名をあげ、栄達を遂げていたのは
ドメーニコ・チマローザ、、ジョヴァンニ・パイジェッロといったオペラ作曲家のイタリア人。
そして、
ドイツ人としてイタリア・オペラの大家となったアードルフ・ハッセ、
イギリスに渡ってイギリス人として生きたハンデル(日本では「ヘンデル」)。

この時代、音楽家が仕える相手の貴族は、ヨーロッパじゅう血縁関係でつながっている一族の一員だったわけで、そのつてでもってイタリア、イギリス、と活躍拠点を移していくことも多かったんですねえ。

ヘンデルに会おうとしたJ.S.バッハ(この二人、同じ1685年の生まれです)が袖にされた、という逸話を読みましたが、そういう二人の関係、時代背景を元に考えると、納得です。
バッハの「音楽一族」が強調されて語られる最近ですが、
そもそもあの系譜は、J.S.バッハ本人が自分を売り込むために製作したもので、実は、当時の音楽家の地位は、とっても低く給料も安かったのだとか。
でも、イタリアで箔をつけ、宮廷の楽長になると、とたんに給料が跳ね上がったとのこと。

他に「なるほど」と思ったのは、バッハの末息子クリスティアンのこと。
14歳で父を失った彼は、イタリアで修業した後、「ジョヴァンニ・クリスティアーノ・バーコ」(ヨハン・クリスティアン・バッハ)としてロンドンに現れるのです。
イギリス王室の楽長となった彼は、8歳のモーツァルトにこの地で出会います。1年半にわたってロンドンに滞在したモーツァルトは、クリスティンの指導のもとに最初のシンフォニーを書き上げ、こんな関係を築いたのだそうです。


モーツァルトは生涯にわたってクリスティアンに対する敬愛の念を失うことがなかった。あらゆる音楽家たちに対して手厳しい批判を下すモーツァルトであったが、クリスティン・バークに対する態度は例外中の例外で、その音楽のみならず彼の全人格に対して信愛を捧げ続けた。

たまたま耳に、目にしていた断片のエピソードが、つながっていくように感じた本でした。
第三部の書きぶりは、ちょっと筆の勢いが過ぎているようにも感じましたけれど、第一部、第二部は、とっても面白かったです。

著者: かげはら史帆
出版社: 春秋社
発売日: 2020年04月
ページ数:223頁

41773VltKFL

1770年生まれのベートーヴェンと同郷(ボン生まれ)の弟子・フェルディナント・リースの人生を追う伝記。
18世紀末から19世紀の欧州音楽事情が生き生きと伝わって、お見事です。

私、いままで教科書の記述の棒読みよろしく
「フランス革命を機に市民社会が到来し、それまで宮廷に仕える者として生きた音楽家たちの生き方も変わった」
な~んて知ったかぶり的に考えていたのですが、現実の社会は、もちろん、そんな生易しいものではなかったのでしたっ!

そういうことを、このフェルディナント・リースという人物を通して体感できる内容となっています。
目次を並べてみると、よくわかります。

Ⅰモラトリアムのっ時代
1.楽園のゆりかご―-幼少期、あるいは宮廷の終焉
2.師の使命、師弟の葛藤ーー青年期、あるいはピアニストの誕生


Ⅱキャリアの時代
3.マスケット銃かピアノ科?ーー二十代、あるいは若き音楽家の冒険
4.よろこびとあきらめーー三十代、あるいはクラシック音楽の誕生


Ⅲセカンドキヤリアの時代
5.帰還から再起へーー四十代、あるいはナショナリズムの台頭
6.楽園の再生ーー最後の十年、あるいは世代のはざまで


フランス軍の襲撃を4度も受け、
そのたびに人生の計画変更を迫られたフェルディナントです。

1回目は故郷のボンで。
宮廷音楽家になるべく幼少時から音楽教育を受けて育ったというのに、
ケルン選帝侯の宮廷そのものが消滅!
さて、大事な息子、フェルディナントをどうしよう……父の思いついたことが

「ベートーヴェン家のルートヴィヒ」
かつて自分が生活を助け、ヴァイオリンを教え、『皇帝ヨーゼフ二世の死を悼むカンタータ』を作曲する機会をあたえた、あの色黒の青年ルートヴィヒ。
息子を彼に弟子入りさせたらどうだろう。

こうしてウィーンで始まったベートーヴェンとの師弟生活。
難聴に苦しみ始めていたベートーヴェンは、自分の作品をきちんと弾いてくれるピアニストが必要でもあったために、弟子をとったのでは……と筆者は推測しています。
弟子のために、きちんと道を作ってやったベートーヴェンです。

しかし、こんな生活も4年程度で終止符が打たれます。
2度目のフランス軍の襲撃。
ボンはフランス領であったため、召集令状が届いたのでした。

なんとかこれは切り抜け、故郷ボンから改めて音楽家キャリアを考えてパリに向かったものの、思ったような成果はあげられず、思い悩む彼が得たアドバイスとは

環境を変えたまえ。パリじゃなくて、ロシアに行けばいいじゃないか

なんと!当時の欧州はこういうムードであったというのです。
ナポレオンが踏み荒らしまわる環境下では音楽などできないが、北欧とロシアなら大丈夫だ、と。

直接ロシアには向かわず、いったんウィーンに戻って師ベートーヴェンに再会するも、またまた軍に召集されます。ウィーン滞在中の成人男子だというだけの理由で、今度はウィーン軍に。はい。三度目のフランス軍襲撃なり。

戦局が落ち着いたため、いったん解放された彼は、このままではまた同じ目に遭いかねないと、フランス領のボンに逃げ帰り、そこから北欧、ロシアを目指します。

そして、実際に北欧で成功をおさめ、ロシアに到着。シーズン・ツアーも成功。
ところが、ここで、チャイコフスキーの大序曲「1812年」で描いた、かの「ロシア遠征」が!
4度目のフランス軍襲撃です。

実はこれ以前、ストックホルムからフィンランドのトゥルク(当時はロシア領)に向かうバルト海上では、謎の舟の襲撃を受けてもいたフェルディナント。
なんとも波乱万丈。でも、彼自身の手紙には悲壮感はないのでした。

ウィーン、パリ―、北欧、ロシアと渡り歩いた彼は、28歳にして今度はロンドンへと向かい、そこで知り合った女性と結婚。一時はロンドンに居を定めようとした形跡もあり、「ロンドン・フィルハーモニック協会」の一員となって、ベートーヴェンを招聘しようともしています。
そう、このときの依頼を受けてベートーヴェンが着手したのが、あの第九交響曲。

当初の予定では、この第九交響曲はフェルディナントに献呈されるはずだったとか。
でも、音楽協会の内紛でロンドンを離れただけに、そういう結果にはならなかったのでした。

こうしてドイツに帰った彼は、今度は25歳年下のメンデルスゾーンと仕事上の関わりができるのですが……
あとは、ぜひ本文にあたっていただきたい。
おススメです。

著者: かげはら史帆
出版社: 柏書房
頁数: 320P
発売日: 2018年10月09日

51K4tlTRVfL
あとがきによると、本書は、
2007年に書いた修士論文『かたられるベートーヴェン――会話帳から辿る偉人像の造型――』をもとにしたものとのこと。
なるほど、注で出典をカバーするといった形態がとれたわけですね。
一橋大学の大学院で、こういった研究ができると言うことも初めて知りました。

で、内容です。
上記画像のセリフに、如実に表されています。
  • シンドラー「私が、あなたを守ります」
  • ベートーヴェン「押しつけがましい盲腸野郎め」
二人が出会ったのは、おそらく1822年ごろ。
ベートーヴェン51歳、シンドラー27歳。
たかだか3年にも満たないほどの期間、ベートーヴェンの秘書的立場にあっただけなのに、
彼の「会話帳」を抱え込み、自分と大作曲家の関係を、偉人の理想像を「捏造」したわけです。
会話帳を自分の手で改竄することによって。

会話帳。
聴覚を失ったベートーヴェンが他人とコミュニケーションをとるために活用したノート。
でも、その実態はというと

ベートーヴェンは聴覚を失った後も、発話には大きな支障はなかった。だから、ベートーヴェンはしゃべる。彼らは書く。大変なのは、圧倒的に対話相手である彼らの方だ。

という様子だったのでした。
ベートーヴェンの死後、捏造に邁進するシンドラーの描き方が、なんとも真に迫っています。

チョロい。実にチョロい。シンドラーは内心、高笑いだった。伝記を出版するためには自分を支持してくれるフォロワーを増やさねばなるまい。(p.162)

わお。フォロワー!
でも、そうですね。言い得て妙です。
一回の秘書が、偉大なるプロデューサーへと変貌していってしまう過程、
その「嘘」がバレていく過程、ともに面白く読みました。

そして、意外な収穫は、
  • フランツ・リストの人生も併せて理解できたこと。
リスト、ボンにベートーヴェンの銅像を建てるというプロジェクトに、
「公式」のサポーターとして颯爽と名乗りをあげたのでした。
  • 誰もが認めるベートーヴェンの伝道者ことリスト様。
  • 片や孤立無援の嫌われ者ことシンドラー。(p.232)
こんな対比がなされます。
ところが、その後、流れは思わぬ方向に。
1845年。式典当日のことでした。

「ベートーヴェンに祝福を捧げに集まったさべての国民、巡礼者としてここにやってきた人びと、オランダ人、イギリス人、ウィーンの人びとに長い生命と繁栄を」

長いフランス暮らしで稚拙になってしまったドイツ語が悪目立ちしたうえ、
「フランス人をお忘れですな!」と揶揄されて、リストははっと青ざめます。
ナショナリストを刺激するような失言に気づき、
「そういえば、私は祖国ハンガリー人も入れ忘れてしまいましたしね。」
とおどけてみせたリスト。
ところが、これがさらに波紋を呼ぶのです

ハンガリー人でも、ドイツ人でも、フランス人でもない。
故国のないピアニスト、フランツ・リスト。
それまでは羨望と尊敬をこめてリストを仰いでいた人びとの目が、いまや宇宙人を見るようなまなざしに変わった。(p.237)

この2年後、リストは華麗なステージから事実上、引退するのですが、
その背後には、この事件のトラウマがあったのでは?と筆者は推測しています。
3月革命が迫る1848年初頭、リストはヴァイマールに居を移し、
文化芸術都市の宮廷楽長に就任します。
彼の第二の人生の幕開けです。

ヴァイマールで公的な職に就く。それは、かつてこの街で宮廷顧問官をつとめたドイツの文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの威光にあやかろうとする行為だった。(p.249)

なるほど~。そういうことだったのか。
ところが、この後もリストは苦難を強いられることになります。

十年の活動の末、2858年に楽長職を辞したあとは、ローマとブダペストとヴァイマールの三都市を行き来するさすらいの生活を送るようになる。宗教に傾倒してカトリックの下級聖職者に叙せられた姿は、「ドン・ファン(好色家)がスータン(僧服)をまとった」と嘲笑され、格好の話題の種となった。

そ、そ、そうだったのか。
でも、これでやっと、長年の疑問が解けました。
スーパーロックスターの若かりし日のリストと晩年の彼とが結びつかなくて、私、長年もやもやしていたんです。

わわわわ、ずいぶん長くなってしまいました。
このあたりで止めます。
なかなか内容の濃い、ぐんぐん読める本でした。おすすめ。

著者: 辻村深月
出版社: 朝日新聞出版
頁数: 416P
発売日: 2019年03月05日


418DMq3DxGL
音楽ブログとは思えぬ内容の連投で、失礼いたします。
区立図書館がついに再開ということで、予約本をゲット。
そして、読み始めたら止まらなくなり、結局、ノンストップで3時間で読んでしまいました。
こうさせてしまう筆力に脱帽です。

序章は、ストーカー被害におびえつつ恋人の元へと急ぐ「彼女」の緊迫したシーン。

第1章は、こんな風に始まります。
「あ、ごめん。今ちょっと……。また後でこっちからかけていい?」
「いいよ。オレも今から一件、仕事で外回りがあるから、また夜にでも」

その会話が最後になるなんて、思わなかった。

序章の彼女の夫である架(かける)の視点から、物語は進みます。
おや、彼女、無事結婚したんですね
しかし、「その会話が最後」ときましたか。
おおお。
これは推理劇の始まりですね。

そう思って読み始めました。
そのとおり、前半はストーカー探しの推理小説の趣。
でも、だんだん、違和感が募ってきます。
そして、やはり私の直感は正しかったのだ!
という展開に。

でもって、後半は、序章の彼女、真理(まり)自身の視点からに切り替わります。
途中で
「なあんだ、そういうことね」
と、鼻白みそうになると、即、違う視点からの展開が始まるのです。

こういう書きっぷり、筆力、さすがです。

印象に残ったくだりは、こちら。

架は絶対に自分のことは自分で決めたいし、自由でいたい。しかし、世の中には、人の言うことに従い、誰かの基準に沿って生きることの方が合っているーーそういう生き方しか知らず、その方が得意な人たちも確かにいるのだ。特に、真面目で優しい子がそうなるのはよくわかる。ーー現代の結婚がうまくいかない理由は、『傲慢さと善良さ』にある。ーーp.153

オースティンの『高慢と偏見』の向こうを張ったタイトルであること、明らかです。

そして、真理が尊敬の念を抱いて心を許す友人、ジャネットのこんな言葉も胸に響きました。
「あなたがそうしたい、と強く思わないのだったら、人生はあなたの好きなことだけでいいの。興味が持てないことは恥ではないから」p.285


語学が堪能で、自分で奨学金を取って日本に留学し、その後、それを仕事につなげている」ジャネットの健康的な考えと、架(かける)の周囲のハイスペックな女友達たちで、真理に対する態度がなんと異なることか。

いろいろ、考えさせられます。
ストーリーとしては、明るい結末のよくできた展開となるわけですが、
そういった筋よりも、ここかしこに散りばめられた「毒」に反応してしまった私でした。
結構、深いです。

エドワード・ケアリー著、古屋美登里訳
出版社: 東京創元社
価格: 3780円
発売日: 2019年11月29日

41R29Zt42oL

「おちび」っていう題名、薄ピンク色の装丁、ドレスを取り巻く小さなイラストたち、きっと可愛らしい女の子が活躍するメルヘンチックな小説よね。。。そんな予想が見事に裏切られます。

いったいどういう経緯でこの本を図書館に予約したんだか、もう思い出せません。
コロナ禍による引きこもり生活も、遠隔オンラインで押し寄せる仕事への対応だけで青息吐息となった私、1か月以上、本を一冊も読めないという前代未聞の事態に立ち至っておりました。

さすがに「読書禁断症状」に陥り、図書館から借りていた一群の本(図書館コロナ休館につき、貸出期間延長)の中から、装丁の可愛らしさにひかれて手に取った次第。

出だしは「おしん」感たっぷり。
アルザス地方に生まれた小さな少女アンネ・マリー・グロショルツ。
戦地に赴いた父親不在の中で、母とともに穏やかな日々を過ごします。
やがて、身体障碍者となった父親が戦地より帰還。その現実を受け入れられない母、父の死、そして経済的な自立を求めての母と二人でのパリ行き。
「パリにおいて、お医者様の補助をすることによって自立する。」
なんて素敵♪
と思っていた二人は、パリに到着して愕然とします。

お医者様の仕事は、
続々と届けられるリアルな人間の臓器(!)から、蝋(ろう)人形ならぬ蝋臓器を作ること。

そして、わずか9歳のマリーは、蝋細工の技術を身に着け、
降りかかる想定外の状況を切り抜けつつ、パリでたくましく生き抜いていくのです。
ときは、フランス革命前後。
なんと、マリー・アントワネットの出産に身近に接し、その夫君である王とのコミュニケーションまで描かれるのですよ。
まさに数奇な人生。

終盤に、ほんとに最後になって、
「タッソー」という男性と結婚し、結局、彼をフランスに置いたままロンドンへ渡る、という状況に。そこでやっと私、気づきました。

蝋人形?
タッソー?
あれ?

そうです。マダム・タッソー。
びっくり。
それにしても、彼女が生きた時代がマリー・アントワネットの時代だったとは。

ノンフィクションではなく、小説であるとのこと。
装丁(よく見ると、小さなイラストは人間の臓器だったりするのです)、イラスト、ストーリー、よくできています。

著者:原田マハ
文庫: 133ページ
出版社: 新潮社 (2019/12/23)
512pVyxWpML._SX351_BO1,204,203,200_

小説の最後のページをさらにめくると、次の文言が。

本作は史実に基づいたフィクションです。
第二章のロバート・タナヒルを除く主要登場人物は、架空の人物です。

ロバート・タナヒルとは、彼自身の遺志により、1969年、
絵画≪マダム・セザンヌ≫(文庫本の表紙の絵、婦人の名前はオルタンス)
DIA(Detroit Institute of Arts デトロイト美術館)に寄贈した人物。

他の主要登場人物とは、
  • フレッド・ウィル(デトロイト出身・在住のアフリカン・アメリカン68歳・元溶接工)
  • ジェフリー・マクノイド(DIAコレクション担当チーフ・キュレーター。『ロバート・タナヒル・コレクション』のカタログの著者)
この二人が実に魅力的です。
デトロイトの財政破綻を受けて、「コレクション売却の危機」を迎えたDIA。
そんな2013年、
フレッドは「一般のデトロイト市民」としてジェフリーに面会を申し出ます。
二人が言葉を交わしたのは≪マダム・セザンヌ≫の絵画の前。

ジェフリーは、この初対面の老人にたちまち親しみを覚えた。最近、初対面の人物とは後ろ向きの話しかしてこなかったので、誰かと会うときにはいつも猜疑心を持ち、身構えてしまっていた。それは間違ったことなのだと、フレッドと会った瞬間に、ふと気がついた。(pp.83-84)

世代を、人種を、階層を超えて心を通い合わせる二人です。
その後の展開はネタばれになるので伏せますが、大変心を打つ「奇跡」について筆が進められていきます。心が温かくなります。

covid-19の暗いニュースばかりが報道され、
心がささくれ立つ今、芸術へのアクセスも制限される今、
この二人の行動、その後の展開に、涙が出そうになりました。
すごく薄~い本ですが、中身は濃いです。

著者: 原田マハ
出版社: 集英社
頁数: 600P
発売日: 2016年10月
(文庫本:2019年10月)
41VyqYpZS+L

つい最近、仕事絡みで柳宗悦の「用の美」の話題がでたところでもあり、
これもご縁と手にとりました。
白樺派の作家を、留学生向けの日本文学の授業でも取り上げている私、
このバーナード・リーチについて知らなかったのは、不覚でありました。

小説の幕開け(プロローグ)は1954年。
陶芸の大家となったリーチ先生(しぇんしぇー)が大分県は小鹿田を訪れるところから。
そのお世話係となった沖高市(オキ・コウイチ)に、リーチ先生は問いかけます。
「君のお父さんは、オキ・カメノスケ、という名前ではありませんか」

そして本編へ。
本書の主人公・亀乃介(カメちゃん)は、
横浜で「英語を聞いて成長」するうちに、英語を自然習得。
両親を失って引き取られた食堂で働くうちに、留学へと向かう高村光太郎と知り合ったことが縁で、16歳で光雲のもとへと赴きます。
その光雲宅へ、同じように光太郎の紹介を受けて英国からやってきたのが、青年バーナード・リーチ22歳。

リーチの通訳として活躍するようになる亀乃介。
彼とリーチが上京する、というときに放った光雲の言葉が印象的でした。

(リーチの才能も、亀乃介の才能も、どういうものかまだわからない)
しかるに、彼とお前とは、よく響き合っている。それだけは、よくわかる。
行きなさい。リーチさんとともに。
そして、いつか、私や光太郎を、ふたりして、あっと驚かせてくれ。(p.101)

大家から若者への信頼の言葉。
いいですねえ。
この後、「響き合う」という言葉が、
リーチ、ターヴィー(リーチの友人)、富本憲吉の三人を描く場面にも再登場。

三人が共有する言葉ーーそれは「芸術」だ。
「芸術」の話をしている最中の三人は、目を輝かせ、身振り手振りも大きくなって、とても楽しそうに、また生き生きとして見える。
ぶつかり合いも、反発もない。芸術について論じているときの三人には、響き合う音が流れ、ハーモニーが湧き出るようだ。(p.131)

この後、白樺派の柳宗悦(初対面時には21歳)らとの出会い、
交流、助け合い、芸術をめぐる切磋琢磨ぶりなどが描かれます。
柳を中心に、我孫子に集まって芸術活動を繰り広げる白樺派たち。
リーチがそこに窯を構えて陶芸を始めるシーンは、今の朝ドラそのもので、びっくりしました。

窯の温度が上がらず、釉薬が溶けない。
薪を窯にくべ続け、ついには窯の天井から火が吹き出すが、
それを止めずに、あくまでも芸術を目指す。。。
そして、その場には、

柳宗悦はもちろん、近隣に住む志賀直哉や武者小路実篤、柳の家を訪れていた岸田劉生が集まって、リーチと亀乃介の作業を、興味深く見守っていた。(p.248-250)

というのです。
すごいな、この交友関係。

この後、リーチとともに亀乃介、
そして若き陶芸家・濱田庄司はイギリスへと渡り、かの地での陶芸を目指すのです。

プロローグで、
この亀乃介が、熊本で若くして亡くなっている、ということがわかっているのですから、
読者の方は、亀乃介にいったい何が起きるのか?
とミステリー解読ムードで読み進める、といったことにもなります。
この亀乃介、著者が造型した架空の人物とのこと。

リーチの生き生きした評伝であるとともに、小説ならではの面白さもあり。
なかなかやるなあ、原田マハ。

著者: 本間ひろむ
出版社: 光文社
価格: 924円
頁数: 232P
発売日: 2020年01月15日
41hj9T1uTKL
これまた、題名に惹かれて。
アルゲリッチは、もう我が子供時代からのあこがれピアニスト。
ポリーニは、ラジオで演奏を聴いてオッたまげ、1980年代の一時期、ハマってました。
私にとって、なぜ
アルゲリッチが「ず~っと」で、ポリーニが「一時期」だったのか。
この本の「まえがき」にあるように
  • 「情感豊かに感性で弾く」アルゲリッチに対し「完全無欠な演奏を披露する」ポリーニ
ということだろう、と思います。
1960年のショパコン優勝者のポリーニ(1942年1月5日~)。
次の1965年、同コンで優勝したアルゲリッチ(1941年6月5日~)。

さて、この本の内容です。

アルゲリッチについては、私、
映画『Bloody Daughter』も見ましたし、
本『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』も読んでいるので、
さほどの新情報はなく。
ただ、
ショパン・コンクールに参加する前に生んだ長女、リダ・チェンの人生に驚きました。
リダの父、ロバート・チェンとは早々に破局(というか、そもそも恋愛関係にはなかった中で子供ができた……ということらしい)アルゲリッチ。
リダの親権はチェンが持ち、スイスの居住許可を得たものの、ヨーロッパに仕事のない彼には養育権がない。

その結果、リダは母親には会えず、父親の元にすら止まることができず、あちこちの家を転々としたのちサレジオ修道会の修道女たちに引き取られた。(p.62)

こんな人生の出だしでありながら、リダはその後、ヴィオラを弾く演奏家となります。

彼女は、ミッシャ・マイスキー、ガブリエラ・モンテーロといった名手たちと室内楽で共演した。もちろん、母親マルタ・アルゲリッチとも共演している。(p.114)

母親とも祖母とも会えない十代を過ごしたリダは、出し抜けにアルゲリッチの前に現れた。19歳になっていた。ファニータ(アルゲリッチの母)はエキゾチックな孫娘を見て、映画スターにしようと奔走し始める。相変わらずのファニータだ。もちろんリダは「ノー」と言い、「あんた何様のつもり」とファニータが応じた。相変わらずのファニータだ。(p.115)

リダはジュネーヴ大学で法律と音楽学を学び、音楽の道を目指したとのこと。
立派です。

あ、アルゲリッチと、シャルル・デュトワとの破局の原因、
実は、デュトワの浮気(相手はヴァイオリニスト、チョン・キョンファ!)で、
来日中にそれを知ったアルゲリッチが、日本での演奏をせずに帰ってしまった、などの舞台裏エピソードにもびっくりしました。


対するポリーニ。
アルゲリッチは、まだ幼いころから母ファニータが凄まじいエネルギーで奔走し、大物たちの協力をとりつけて音楽の道を切り拓いていったのでしたが、ポリーニはというと、

建築家である父親ジーノ・ポリーニに、ショパン・コンクールで優勝できなかったら建築家になれ、と言われていた。(p.45)

とのこと。ひぇ~っ。エリート名家の出なのだとか。
で、18歳の彼は、見事に優勝。
その後、ステージに立たなかったということは聞いていましたが、
翌年の1961年にはミラノ大学に入って、物理学と美学を学んでいたとは知りませんでした。

頭脳明晰。
ストイック。

そんな彼の息子、ダニエレ・ポリーニは1997年にピアニストとしてデビュー。
その後、指揮者としても活動を始め、父をソリストと迎えて共演も果たしているとのこと。
お見事。



番外編
序章では、中村紘子(1965年のショパコン4位)と内田光子(1970年のショパコン2位)を比較しているのですが、これが印象に残りました。

 元々外交官の娘として十代の頃からヨーロッパで暮らしていた内田と、日本で育ち果敢にアメリカやヨーロッパに飛び出していった中村とはそもそも立ち位置が違った。(p.24)

絋子氏は、ショパコン後の華やかなレセプション(この時の優勝者がアルゲリッチ)で、コンテスタントやその家族が大使館関係者などのVIPたちと和やかに談笑する中で、大きな疎外感を感じたのだそうです。
この体験が、彼女に「日本での社交界の華」となり、日本の音楽界を盛り上げるという道を選ばせたのではないか、と。

なるほど。

今年の秋、5年に1度のショパコンです。
著者は、日本の期待の星として、
絋子氏とのかかわりの深い藤田真央、牛田智大の二人を挙げていました。
予備予選免除の二人(チャイコン2位、浜コン2位という実績で)。
ただいま超人気、超多忙の藤田君は「参加しない」と明言しましたが、
牛田君はきっと参加することでしょう。
楽しみです。

著者: 中島京子
出版社: 文藝春秋
頁数: 404P
発売日: 2019年05月15日
51t4u5MzbHL

タイトルに惹かれて借りてみました。
なんとなく、今の国会図書館を指すものだろうと思っていたら、さにあらず。
上野、です。
今は、国際子ども図書館。
その元々をたどっていくと、
書籍館(しょじゃくかん)。明治5年。
「ビブリオテーキ!」
「それがないことには近代国家とは言えないわけだな」「不平等条約が撤廃できないんだな」
ということで、明治新政府が思いついて、できたもの。

こういう、上野の図書館をめぐるうんちくっぽい歴史話が、あちこちに

夢見る帝国図書館・1 前史「ビブリオテーキ」
夢見る帝国図書館・2 東京書籍館時代「永井荷風の父」


といった具合に、コラムのように挟み込まれます。
そう。「書籍館」なのに本がない、という屈辱的な状況を払拭したのは、23歳の館長補・永井久一郎、のちに結婚して永井荷風の父となる男だったのでした。
このコラム、最後となるのが

夢見る帝国図書館・24 ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる

です。
おおっ。何ごとっ?突然ピアニストっ?とびっくり。
実はこれ、昭和21年、戦後のこと。
ピアニストの娘とはレオ・シロタの娘ベアテ・シロタ、22歳。
なんと彼女、占領下日本に、アメリカ軍人の一人として来日し、日本国憲法の「GHQ草案」の資料を借り出しにあらわれたのでした。

つい長くなりました。
でも、これらはあくまで傍流のコラム的扱い。……実は、読み進めるほどに、本流のストーリーとのかかわりが明らかになってくる、という仕掛けです。

本流は、
小説家の「わたし」(小説冒頭では「物書きを目指して」る状態)が、上野の国際子ども図書館を取材した折に出会った老婦人、喜和子さんのストーリー。
彼女の口から、戦後間もなくの上野の様子とか、
それよりずっと以前のことが、図書館を慈しむ目で、あれこれと語られるのです。
まるで、おとぎ話のような話も。
短髪で、頭陀袋のようなスカートをはき、珍妙なコートをまとった老婦人、
ピノキオのような雰囲気の彼女って、いったいなにもの??

その謎解きのストーリーでもあります。

こういう、懐古的ムードの漂うなかで古風な女性を描くって、
中島京子の真骨頂発揮!って感じです。

現代の若い女性の視点では
(どんな立場な女性かは、ネタバレのなるので伏せます)
オペラ『魔笛』の解釈なども語られます。

「母親の支配から逃れる娘の物語だと思ってたんだけど、母親視点で見ると違ってて」
「母親視点?夜の女王視点ていうこと?」
「女性が結束して男性の支配と闘おうとする話に見えてきて」
「夜の女王VSザラストロの闘い」
「夜の女王は娘を説得していっしょに闘おう、ザラストロを倒そうとするんだけど、結局負けてしまうという」


こんなくだりもあります。
いろいろ考えさせられたり、歴史の真実に唸ったり。
触発されるところの多い小説でした。

著者: 川越宗一
出版社: 文藝春秋
頁数: 426P
発売日: 2019年08月28日

51HdMNS9S9L
この1月に直木賞を受賞した作品です。
美術館で「ハマスホイとデンマーク絵画展」を見て、北欧の灰色の世界に強く惹かれ、北国に思いを馳せていた今のタイミングで、図書館の予約が回ってきました。

直木賞受賞の報道では「アイヌ」についての作、という触れ込みだったかと思うのですが、
小説の冒頭は、なぜかロシア軍の若き女性戦士を描いているんです。
彼女、小説の最後のほうに再登場して、やっと冒頭の意味がわかる、という仕掛け。

視点は、あちこちに飛びます。

アイヌの人たちと日本人(和人)との接触。
ソ連になる前のロシアにおけるポーランド人の迫害。
サハリンにおける原住民(アイヌ、ギリヤーク、オロッコ)の生活。
ロシアの罪人としてサハリン送りとなった流刑囚たちの過酷な生活。
「優秀なる白人が劣った民族を支配する」正当性を確保するための調査。
サハリン原住民とロシア人との接触。
ロシアと日本との戦闘。
民族学者としてのポーランド人、そして日本人。

冒頭からハッとさせられたのは、次のくだり。

東京から帰ってきた、アイヌの村の総統領チコビローの言葉
「文明ってのに和人は追い立てられている。その和人に、おれたち樺太のアイヌは追い立てられ、北海道のアイヌはなお苦労している。」
それを聞いたアイヌの青年、ヤヨマネフクが、村の総統領に問います。
「文明ってのは、なんだい」
 ヤヨマネクフが前から抱いていた問いだった。開けた文明人たれとは、学校で散々に言われるが、それがどんなものかさっぱり想像がつかない。
「たぶんだが」チコビローの顔はやはり苦い。
「馬鹿で弱い奴は死んじまうっていう、思い込みだろうな」


重要な人物は、このヤヨマネフク、そして
ポーランドの言語学者となるブロニスワフ・ピウスツキ。
私、去年の夏に初めてポーランドを訪れたこともあって、ポーランド関係の本をいろいろ読んだのですが、ポーランド社会党を率いて1918年にポーランドが独立したとき、国家主席となったユゼフ・ピウスツキが、このブロニスワフの弟と気づくまで時間がかかりました(最初から、独立運動に走る「弟、ユゼフ」って書いてあったんですが)。

日本(和人)側の人物としては、
アイヌ語を書きとめる大学生・金田一京助も出てくるし、
二葉亭四迷(たった一作で創作の筆を折り、以後は翻訳やら政治趣味やら外国語教員やら、書く気のない原稿料の前借りやらで身過ぎ世過ぎしてきた長谷川辰之助)も、
園丁のような身なりで自宅の庭を義足で歩く、ブロニスワフより大柄な大隈重信も。

なんというか、私自身が日本の偉人と言われる人たちのことをちゃんと把握していないことを思い知らされました。
日本、ロシア、ポーランドの関係についてもしかり。

子供のころ、南極探検者の伝記『アムンゼン』にハマったりもしていた私ですが、
南極探検にアイヌが、ヤヨマネクフが絡んでいたということも初めて知りました。
ほんと、いろんなことがつながりました。

そうそう、音楽も出てきましたよ。
アイヌの五弦琴が。
物語最後まで生き残るアイヌの女性、イカペラを支えたのがこの琴。
そして、イカペラが少女だったころ、主人公ヤヨマネクフの奏でた琴は、次のように描写されます。

 男が弦を弾いたとたん、聞いたこともないような音が飛び出した。
鋭く、だが柔らかい。音は星のように瞬きながら耳を心地よくかすめて白い雪原を抜け、世界の一部に帰るように溶けていった。
 音は、光る。余韻がイカペラの体を震わせる。

素晴らしい音楽の描写って、ユニバーサルなのですね。
そして、アイヌの叙事詩。節をつけて謳われる、英雄の冒険譚。

 金田一は真顔で身を乗り出した。
「叙事詩を持つのは、西洋でもギリシャやローマのような優秀な民族だけです。失礼ですがアイヌは今まで、未開で野蛮な民族と見られてきました。けどハウキやユーカラは、アイヌが野蛮どころか偉大な民族である証です」


こういったエピソードを挟みつつ、壮大なテーマが語られます。

文明をどう捉えるか、
原住民と呼ばれる人々は滅びる運命にあるのか、
世の中は弱肉強食の摂理で動くのか。

ブロニスワフの言葉がとても胸に響きました。
どんな言葉なのかは、ぜひ原作をお読みください。
おすすめです。

著者: デイヴィッドアーモンド
出版社: 東京創元社
発売日: 2009年01月22日
51Qh4ViNdGL

両親、生まれたばかりの妹とともに、荒れた家に引っ越してきた少年マイケル。
家には、ここで死を迎えた元の持ち主・孤独な老人アーニーの影がそこここに。
ずっと具合が悪い、生まれたばかりの妹。
精神状態不安定の母。
母を励まそうと家の改装に励む父。
バスで通わなくてはいけなくなってしまった小学校。

敷地内には、朽ち果てたガレージ~小屋~が。
おずおずと足を踏み入れたマイケルは、そこで、「彼」に出会います。
ほこりにまみれ、やせ細り、体じゅうを痛がって動けなくなっている黒いスーツの男。
くさい息、散らばるアオバエの死体。。。なんとも不穏な出だしです。

学校に通わず、自宅で母に教育を受けている少女・ミナと心を通わせ、
ミナと「彼」を会わせたマイケルは、
ミナの主導のもと、「彼」を別の場所へ移動させることに成功。

再入院の決まった妹とともに母は病院へ。
ミナから、耳を澄ませて音を聴き取ることを教わったマイケルは、
木の中のブラックバードの声を感じるのと同じように、
自分の鼓動の中に、妹の小さな鼓動も聞き取れるようになります。

ウィリアム・ブレイクの詩を暗唱し、自然を楽しみ、のびのびと生きるミナ。
「学校教育」に縛られるマイケルの周囲の大人。
この対比に、ハッとさせられることが多々ありました。

そして、スケリグと名乗った「彼」は、思ったよりずっと若い青年であることがわかり、
フクロウと共に暮らすようになって、元気を取り戻していきます。
そして、この本のタイトルです。
彼の背中にこぶのようになって張り付いていたものは、翼だったのです。

翼といえば、マイケルと母の次のような会話も出てきました。

「うちのあかちゃんも翼を持ってたと思う?」
「ええ、ぜったい翼を持っていたと思うわ。よく見てごらんなさい。ときどきかあさんは、あの子はまだ天国を離れきっていなくて、この世にちゃんと降り立ってないんだと思う」
母さんは微笑したがその目は涙ぐんでいた。「だからこそ、この世にとどまるのに苦労しているのかもしれないわ」

ここには母親の柔らかな心が感じられるのですが、その彼女も、スケリグの姿は夢の中のものと思い込むのでした。

一般的な大人の、偏狭な価値観、
ピュアな子供の、自然界、そして不可思議な存在との交流。
この対比にハッとしました。

そして、すっかり凝り固まっている自分の心に気づかされました。
「肩甲骨」という言葉に惹かれて手に取りましたが、軽そうに見えて予想外の深さがありました。
実は児童書だったみたいですが、大人にこそ響く世界かも。
おススメです。

著者: 青柳いづみこ
出版社: アルテスパブリッシング
頁数: 312P
発売日: 2019年11月12日

51GSj09j2UL
「音楽家という職業は、衝動に突き動かされた者だけがする職業だ」

のっけから、こんな定義が出てきました。
バーンスタインの言葉とのことですが、言い換えるならば、音楽家とは

(なるべき人がなるものではない。もうならざるをえないから、それでしか生きていけないから、なってしまうもの。自分が音楽家になるべきなのだろうかという質問を自分にたいしてした時点で、もはや音楽家ではない)

ということのようです(脇園彩・メゾソプラノ)。
なるほど、皆様、音楽家になるべきかなんて悩んでなどいません。
どんどん行動していて、行動しているうちに、自然と環境が整ってしまう、自分が成長を遂げてしまう、というように読みました。

古楽ピアノとモダンピアノとでは、指導者の間に価値観の乖離(曲目を「どう演奏すべきか」をめぐって)と気づき、双方の立場の審査員のいるコンクールに「審査員の意見を統一して発表すべきだ」と助言メールを出した(川口成彦・フォルテピアノ)とか、

委嘱作品にお金がかかるので、助成金申請書はどんどん自分で書いてネットワークを広げ、共演者を増やしていく中で、新たな資金源が紹介されていくという循環が生まれる(會田瑞樹・打楽器)とか。

心酔できる先生のビデオを買って、1日8時間ぐらいずっと先生の弾き方だけを見る(本條秀慈郎・三弦)とか、「浸る」という行動も凄い力を持つようです。

インタビューでの、さりげない言葉遣いにも唸りました。
「頭の疲れはありましたけれども、体は弾けば弾くほどしなやかになっていく感じもありました」
「(体は硬いけれども)ちゃんとした立ち方、立ったときの重心を正しいところにとか、考えています」
「(腕を高く上げさせる今の弓の持ち方は)どう考えても不自然ですよね。過去の人たちはやっぱり自然な体勢で弾くっていうことを考えていたのかなと。」
で、弾き姿の変遷について調べ上げ、近年のヴィブラート過剰を指摘するに至る(佐藤俊介・ヴァイオリン)。


著者、青柳氏は
「ご自身の自発的な発想で活動している、しかも成功なさっている」音楽家を選び、話を聞いたといいます。(p.132)

何となく感じていたことではありますが、
大成する人というのは、自ら動く人のことなんだ、と改めて思いました。

川口成彦さん(→)、田村響さん(→)のお二人のピアニスト、
作曲家の森円花さん(→)、指揮の川瀬健太郎(→)さん、フルートの上野星矢さん(→等)の姿には、直に接したこともあって共感しつつ読みました。
あ、上野くんがフランスからドイツに移って以降、上唇のジストニアを患っていたなんて、全く知りませんでした。

著者: 舘野泉
出版社: 六耀社
頁数: 224P
発売日: 2013年10月26日
51fKoA1NEOL

世界で活躍されている、今は左手のピアニスト、舘野泉氏の著書です。
数週間前、たまたま聞いたラジオ番組に舘野氏が出演されていて、

「左手が、左半分の体が動かなくなったときね、ぼくは、別にショックは受けなかったんだよ。みんな、大変だろうって心配してくれたけど、そんなことはなかった。このときね、妻のマリアと、結婚してはじめて、ずっと一緒にいることができて、ぼくは幸せだったなあ。マリアも同じ意見で、ほんとに二人でよく笑ったよ。」

といったことを、柔らかな口調で発言されていて、私、ほんと、びっくりしたのでした。
脳梗塞で半身不随になって、第一線で活躍していたピアニストが左手を動かせなくなって、
「幸せだったなあ」
ですよ。

それで、その著書を借りて読んでみた次第です。
なるほど、と納得しました。
この方、人間力が、半端ないです。
おっとりしたたたずまい、口調、でいらっしゃいますけれど、精神力、行動力のパワーはものすごい。
考えてみれば、そもそも、1960年代に北欧はフィンランドに移住してしまう、という行動からして、すごいのですが。

いわゆる逆境を、自分の糧に変えてしまう人です。

戦争中の疎開生活で「裸足で田畑の周りを駆けめぐった」4か月を過ごしたことが、その後のピアノどっぷりの生活の肥やしとなったと述べ、

芸大受験に失敗した「浪人時代は学校の勉強からは解き放たれ、ピアノ以外のことをする時間も与えてくれた、貴重な時期」「とにかく、あらゆるものが自分の中に飛び込んできて、僕の人生はぐっと開かれたものになった」と述べるのです。

独立独歩の精神。
演奏旅行には付き人をつけず、楽譜を詰め込んだスーツケースを引っ張って、どこへでも一人で行った、と言います。文字通り、どこへでも。
弾くピアノのブランドがどうとか、状態がどうとか、そういうことは気にならないのだとか。
どんなにおんぼろなピアノでも、聴いてくれる人がいるなら、それを弾くよ。
本番の前に、そのピアノを1時間ぐらい弾けば、ピアノと友達になれる。
そして、できるだけいい音を引き出すことができるから、大丈夫、と。
調律師さんからも、「音程の調整、いわゆる調律さえすればOKな、稀有なピアニスト」という評判を得ているのだそうです。

いやもう、ほとんど、神の領域では??

一生涯変わらない姿勢は、こんな具合。

舞台は一回一回が真剣勝負だ。そのときの自分の向き合い方、もっと言えば、生きているさまにまで大きくかかっていることである。そのときの自分、そのときの会場、そのときの聴衆。毎回異なる条件下で、毎回違うものに仕上がっていく。でもだからといって、僕の音楽に対する探究心や、求める音楽の理想が変わることはないのだ。それは、病気をする前からの、僕の演奏信条である。

僕はステージに出ていく直前、何も考えない。ステージに出たら、そのとき世界が変わるのだ。ポンと音をたたくだけで、即座に新しい世界に飛び込める。

音楽を創り上げていくことを「暴れ牛とと闘う」とも表現する氏。

なぜがんばれるのか。これまでの過去の経験が積み重なって力になっているという部分もあるけれど、それとは別に、「今やらなきゃ」「今こそ、これをやるんだ」という強い意志こそが完遂する力なのだと思う。
それでなければやっていられない!たった独りで暴れ牛と闘うのである。本当に大変な勝負なのだ。頼る人は誰もいない。誰に言っても答えなど出ない。誰にも助けてはもらえない、自分だけの孤独な闘い。目の前の牡牛の角を押さえ込み、あるときはむずかってごねる子どもをなだめすかしているように扱いもする。一瞬も気が抜けない。
音楽も、真剣勝負なのだ。自分の力を全部出してやらなければ、いいコンサートなんてできるわけがない。
「まあ、大体できているから、こんなところで」なんて感じでは。絶対できっこない!


こういう内容が、嫌味でなく、ひけらかしには聞こえず
読み手の心に響いてくるのですから、それだけでもすごい人だと思います。脱帽。

こういう人間力あればこそ、左手のピアニストとして活動再開してから、目を見張る活躍の日々となったわけですね。
世界中の作曲家が、舘野泉のために作品を書いてしまう、といった状況になるのですねえ。

人間、生き方だ!
納得。

↑このページのトップヘ