PIOピアノ雑記帳

ピアノ、クラシック音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

カテゴリ:【TV番組】 > ピアノの森

放送開始日が発表になっていました。

2019年1月28日より 毎週月曜午前0:10~(27日 日曜深夜より)総合テレビ
*放送予定は変更になる場合があります。
*関西地方は同日午前0:50~となります。

とのことです。→NHKアニメワールド (画像も同サイトから拝借)
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言及されている情報は、声優さんについてですね。
エンディングテーマって、番組最後にクレジットとともに流れる曲ですよね?
曲目も、歌い手も変わる、ということかな?
ピアノ関連情報以外については、ほとんど記憶に残っていないことに我ながらあきれます。。。💦

公式ホームページにも第2シリーズ情報が追加されていました。
第1シリーズのDVDが12月19日発売とのこと。
ツイッター情報で流れているのは、やはり声優さん関連の話題ですね。
なるほど~。
この中の「MUSIC」のトップは上に書いたエンディングテーマのこと。
ピアニスト情報は第1シリーズのままで、特に更新情報ありません。

*「一ノ瀬海」のメインピアニストは非公開となります。

もそのままでした。
以上、
第1シリーズについて妄想を書き綴った記事が未だにアクセス最多になっていることに気づいて、新たにググってみた結果報告でした。

拙ブログ、相変わらず、ピアノの森のカイ君の演奏者の予測記事へのアクセスが目立って多いようです。3か月~6か月も前の記事なのに。びっくり。

そんな中、おおっ!という有力説が浮上。
  • 牛田智大くん説
です。
指摘されてみると、なぜ彼が今まで浮かばなかったのか不思議なくらい。
近々開幕する浜松国際ピアノコンクールにエントリーしていることにも気づいていたのに(→記事)。
ただでさえ注目を浴びている彼。
コンクール前という時期に話題になるのはマイナス効果と考えて、名前を伏せることを条件とした、なんていう可能性まで考えられてしまいます。

(コンクール中の動画が公開期間終了となったため、リンクを削除しました)

12歳でデビューしているのですから、プロとしての演奏収録にも慣れているでしょう。
年齢的にも、そして外見的にも、そして演奏の質としても、カイ君の条件に合致します。
そして話題性もたっぷり。
これは、可能性高いかもしれません。

それにしても、浜コンの人気ぶり、すごいです。
10月25日の時点で既にチケット売り切れなのが、
第3次予選(11/19,20)、審査員マスタークラス(11/22)、本選(11/23.24)、入賞者披露演奏会(11/25)。
第2時予選(11/15~17)も残りわずか、とのこと。

牛田君効果なのか、
『蜜蜂と遠雷』効果なのか。。。



「ピアノの森」放映開始前にノリで書いた記事へのアクセス、コメントが続いております(→アニメ「ピアノの森」ヒミツの演奏者?)。
そして、その後も、あーだ、こーだ、と書き続けてきたワタクシです(→反田君説、→ショパコン曲目比較

で、ここにきて、いただいたコメントを読んで、なるほど~!と納得してしまったのが、
  • チョ・ソンジン君説
私、「ピアノの森」の原作をまったく読んでいないので、結末を知らないのですけれども
カイ君がショパコンで優勝する、という筋書きであるならば、まさにソンジン君はカイの演奏担当者の筆頭に挙げられるはずです。

私が彼を候補に挙げなかった理由は、次のような点になります。
  • 今まさに世界を股にかけて大活躍中のソンジン君に、アニメに協力する時間的余裕はなかろうと思った(日本で聴いたリサイタルにおいても、その疲労具合が心配されるような様子に見えたものですから…→)。
  • 彼の演奏は、「理知的な構成、透明な音色」という点が特徴的だと考えていたので(あくまで個人的な印象です)、「燃え上がる」と描写されるような情熱的なカイの演奏とは質を異にするのではと思った。
  • 自然体で明るく開放的なカイのキャラクターと、ストイックでシャイに見えるソンジン君のキャラクターが、私の中では重ならなかった。
けれども!
いただいた以下のようなコメントに、「なるほど!」と膝を打ってしまったワタクシです。

  • 今の世において、韓国の演奏者ナシでいいのか(たしかに国際コンクールでの韓国人コンテスタントの活躍ぶりは衆目を集めてます)。
  • 「ピアノの森」制作スタッフには韓国の方々の名前が並んでいる。ここに韓国の演奏者を登場させるのは、番組的にも正しい流れであろう。
  • とにかくカイの演奏が、テクニック的にも音楽的にも超一流であることは確かである。
  • ショパコン後、ソンジン君の進化は目覚ましい。ショパコンでの演奏は「コンクール向け」に特化された演奏だったのであって、今の自由で創造的な演奏こそ、彼本来の演奏ではないか。
  • (7/16加筆)カイの体格、手指の形、そして演奏時の身体の動きは、ソンジン君と一致するのではないか。
そして、ご紹介いただいたソンジン君の演奏動画にびっくり。
ピアノの響きが、ずいぶんと違って聴こえるのです。



この音色は、放映されたカイ君の演奏に近いと思います。
Gilmore Keyboard Festivalにおける演奏とのこと。録音やスピーカーによる差も大きいのだなあ、と改めて思いました。

私、ソンジン君の演奏には、ショパコン前から惚れこんでおりまして、
もし、もし、カイ君の演奏担当が彼だったならば、天にものぼる気持ちなのですけれども。。。
どうなのでしょうか。これはもう、全身全霊で期待するばかりでございます。


参考

「ピアノの森」の演奏担当ピアニストの件、
勝手気ままな予想披露記事へのアクセスが最近急増していて、びっくりしております。
2015年のショパコンのステージ演奏との類似性を指摘するコメントもいただきました。
なるほど~。本物のショパコンでの演奏をそのまま使うってこともあり??
……と気になったので、調べてみましたよ。

ショパコン予選で演奏した曲目と、
すでに放映された第1次予選での曲目に重なりがあるかどうか…ですね。

まずは、レフ・シマノフスキの演奏担当の、シモン・ネ―リングくん。
放映済みの「ピアノの森」で演奏が流れたのは次の3曲でした。
  • 前奏曲(プレリュード)イ長調 作品28-7
  • 練習曲(エチュード) へ長調 作品10-8
  • 幻想曲 ヘ短調 作品49
彼のショパコンでの演奏はどんな具合だったかというと…
(引用元:『第17回ショパン国際ピアノコンクール全記録』サラサーテ2015年12月増刊)
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第17回ショパン国際ピアノコンクールでの
シモン・ネ―リング 
の演奏曲目

予備予選 2015.4.24.金
  • ノクターン第12番 op.37-2
  • 練習曲 op.10-8, 25-6, 25-10
  • マズルカ op.33-2
  • 幻想曲 op.49
 第1次審査 2015.10.5.月
  • 練習曲 op.25-7
  • 幻想曲 op.49
  • 練習曲 op.25-4, 25-11≪木枯らし≫
 第2次審査 2015.10.11.日
  • バラード第1番
  • ワルツ第2番 op.34-2≪華麗なる円舞曲≫
  • ノクターン第12番 op.37-2
  • 舟歌
  • ポロネーズ第5番
 第3次審査 2015.10.15.木
  • 練習曲 op.25-1, 25-2, 25-3,25-2,25-6, 25-8, 25-9, 25-10, 25-12
  • マズルカ op.33-1, 33-2, 33-3, 33-4
  • ソナタ第2番≪葬送≫
【結果】
放映された「前奏曲」は2015年のショパコン本ステージでは演奏していませんでした。
また、練習曲op.10-8も予備予選で弾いているだけで(この予備予選は出来が良くなかったとの声も…)、本選では弾いていません。
やはり、番組のために収録しなおした演奏ということになりそうです。
でも、3曲中の2曲はショパコンへの準備で取り組んだことのある曲だ、というのは注目ポイントかもしれません。

さて、参考までに、
「秘密のピアニスト」候補として名前があがった2015年コンテスタントとして、
チョ・ソンジン(優勝者)、小林愛実(ファイナリスト)の演奏曲目も挙げておきます。
やはり放映済みの曲中、技巧的なレベルが高いとはいえないワルツ3曲、そしてノクターン第8番は演奏されていませんでした。
結局、重なる曲目としては、ソンジン君が練習曲op.10-1, 10-2のみ、
愛実さんにいたっては、1曲も重なり曲がない
と判明しました。

やはりソンジン君や愛実さんがカイの演奏を担当しているという可能性は低いんじゃないかな~と思います。


「ピアノの森」での
一ノ瀬海
の演奏曲目(第1次予選として放映済みの曲目)
  • エチュード ハ長調 作品10-1
  • エチュード イ短調 作品10-2
  • ノクターン第8番 ロ長調 作品9-3
  • ワルツ第8番 変イ長調 作品64-3
  • ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64-2
  • ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1 「小犬のワルツ」
  • バラード第4番 ヘ短調 作品52
  • プレリュード 嬰へ長調 作品28-13
  • プレリュード 変ニ長調 作品28-15「雨だれ」
  • プレリュード 変ロ短調 作品28-16
  • プレリュード へ長調 作品28-23
  • プレリュード 二短調 作品28-24

第17回ショパン国際ピアノコンクールでの
チョ・ソンジン の演奏曲目

予備予選 2015.4.24.金
  • ノクターン第13番 op.48-1
  • 幻想曲 op.49
  • マズルカ op.33-4
  • 練習曲 op.10-10, 10-2, 10-1
 第1次審査 2015.10.3土
  • ノクターン第13番 op.48-1
  • 練習曲 op.10-10, 10-1
  • 幻想曲 op.49
 第2次審査 2015.10.9.金
  • バラード第2番
  • ワルツ第4番 op.34-3≪華麗なる大円舞曲≫
  • ソナタ第2番≪葬送≫
  • ポロネーズ第6番≪英雄≫
 第3次審査 2015.10.14.水
  • マズルカ op.33-1, 33-2, 33-3, 33-4
  • 前奏曲第1番~第24番
  • スケルツォ第2番

第17回ショパン国際ピアノコンクールでの
小林愛実 の演奏曲目

予備予選 2015.4.15水
  • ノクターン第7番 op.27-1
  • 練習曲 op.25-11≪木枯らし≫, 25-5, 10-4
  • マズルカ op.17-4
  • スケルツォ第1番
 第1次審査 2015.10.4日
  • ノクターン第7番 op.27-1
  • 練習曲 op.10-4, 25-2
  • スケルツォ第3番 
 第2次審査 2015.10.10.土
  • 舟歌
  • 前奏曲第25番 op.45
  • バラード第1番
  • ワルツ第4番 op.34-3≪華麗なる大円舞曲≫
  • ポロネーズ第6番≪英雄≫
 第3次予選 2015.10.14.水
  • 序奏とロンド op.16
  • ソナタ第2番≪葬送≫
  • マズルカ op.17-1, 17-2, 17-3, 17-4
  • スケルツォ第1番

あ、ファイナルの曲目は、上記3人とも協奏曲第1番でした。

#12 fff(フォルティッシッシモ)
驚きの第一部最終回(このあと、来年1月まで放送が途絶えるとは知らなかった…)を視聴しての続きです。(前半についてはこちら→

カイのショパコン第一次予選の演奏、ほぼ全曲について音源が流れました。
その演奏曲の一覧がこちら。(演奏者名、出なかったのでした)
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(1)秀逸なるタイトル
先週、「う?タイトルが”フォルティッシッシモ”って、どういうこと?」と思った私。
だって、第一次予選に入ってからのタイトルは、
#9 ワルシャワの胎動
#10 ショパン・コンクール
#11 ポーランドの新星

ですよ?
「ストーリー全体をまとめるタイトル」で来たのに、突如の「フォルティッシッシモ」とは?
でも、放映を見て納得しました。

プログラム構成

の重要さを訴えるタイトルです(構成の妙については、本日の項目(3)に続きます)。
カイの演奏を締めくくる最終曲は、

プレリュード ニ短調 作品28-24

ショパンの前奏曲、全24曲の最後を締めくくる曲でもあるこの曲、最後の音が、
まさにフォルティッシッシモ、fffの低音、左手の単音D3つ。
この音に向かって、見事に構成されたプログラムだったのでした。

そして、この音は、カイの人生の象徴でもあるのです。

(2)演奏家の音をつくるもの
冒頭のエチュード(練習曲)の演奏から、カイの音楽は以前との違いを表していました。
雨宮修平の父の独白がそれを伝えます。
「なんだ、これは。どういうことだ、これは阿字野の音ではないぞ。」

ノクターン、バラードと進むにつれて
「なんという静かさなんだろう。」
「水というより風か?どこだ? 夜の森だ。森をかすかに吹く風と、葉のささやき。」
そして、修平のつぶやき。
「これはまぎれもない、ピアノの森。カイ君に命を与えた森だ。
恵まれた日本の、まるで闇のような劣悪な環境で生れ、育った、その君が
聴衆をすべて森に連れて行くほどの力を与えてもらったというのか。」

「劣悪な環境」

これが、キーワードだったのでした。
カイの演奏に合わせて入った画像はというと、
カイが被差別地域「森の端」で、まさに虐げられながら生きていく様子を描くもの。
バラード第4番では、落雷に打たれて燃え上がるピアノを。
前奏曲「雨だれ」では、
掃除の仕事に遅れた罰として木に縛られて一晩過ごした少年カイが、実体験として「雨だれ」の意味を発見したシーンを。

今までの放映にはなかった絵も多々ありました。虐げられるシーン。
そして、恩師・阿字野の独白
「逆境がお前を後押ししてくれる」

そう、逆境をはねのけて、そうしてステージに登ることのできたカイだからこその
冒頭の一言でもあったのでした。
「不安ではないよ、阿字野。俺はここに来るまで一人ではなかった。」
「よっショパン、やっとここまで来たぜ。ありがとな、僕にこの舞台を与えてくれて。」

カイの演奏も、
この第12回の番組造りも、説得力に満ちていました。さすがです。

(3)プログラム構成
今までのカイの人生を映し出した、みごとなプログラムだなあと思いました。
そういうプログラムが作れる、そういう人生を歩んだ人が、聴衆の心をつかむのだろうな、とも。

初めに、練習曲でテクニックを、さらに
「間髪入れずに第2曲に入る」という弾き方で、独自の解釈、思い入れを見せる。
柔らかなノクターンで自分の雰囲気を創り上げ、
ワルツでは、カイ思い出の「小犬のワルツ」をピークに持っていくべく、
あえて作品番号を逆走する形で、3曲並べる。
(ここでは、小学生だったころ、コンクールで予選落ちしたカイの仇を打つ!と、この曲をひっさげて乗り込んだタカコが、自宅でカイの演奏をネット視聴している様子が映し出されました)

そして、いよいよバラード第4番。大曲です。
ここには、燃え上がる森のピアノを投影させて演奏するのが、カイのスタイル。
この演奏、事前に、阿字野とともに推薦者となったセローに聴いてもらっていて
「この解釈はポーランド人とは異なる」
という一言を得ています。そして、予選当日の審査員も「違う」という強い反応を見せます。
「また一段と派手に燃やしたな」
と阿字野がつぶやくほどの演奏ですから、まあ当然でしょう。

ショパンらしさ、ポーランドらしさ vs  ピアニストの個性

これはショパンコンクール永遠のテーマでもあります。論議が分かれるところです。
だからこそ、議論を巻き起こしそうなバラードは最後には持ってこず、
最後には、聴く人だれしもを納得させる渾身の「フォルティッシッシモの最後の音」が出せる
前奏曲
を持ってきて、その音で締めくくる。

納得のプログラムでした。
(かな~り、私自身の思い込みも入ってますが💦)


さて、1月以降の第二シリーズでは、第二次予選、第三次予選、本選、と続くのでしょうね。
楽しみに待ちたいと思います。

なんと、第一シリーズが終わってしまいました。
第二シリーズの開始は2019年1月とのこと。
そして、……カイの演奏担当者が誰なのか、明かされることはありませんでした。

演奏曲目
★一ノ瀬 海
  • エチュード ハ長調 作品10-1
  • エチュード イ短調 作品10-2
  • ノクターン第8番 ロ長調 作品9-3
  • ワルツ第8番 変イ長調 作品64-3
  • ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64-2
  • ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1 「小犬のワルツ」
  • バラード第4番 ヘ短調 作品52
  • プレリュード 嬰へ長調 作品28-13
  • プレリュード 変ニ長調 作品28-15「雨だれ」
  • プレリュード 変ロ短調 作品28-16
  • プレリュード へ長調 作品28-23
  • プレリュード 二短調 作品28-24
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今回は、まさにコンサート鑑賞の会。
会場の雰囲気の描写に、まず唸らされました。

「一瞬、風が吹いたのかと思った。それは強く、心地よく、会場の雰囲気を変えていく」

「ああ、なんという音を出すんだ。この血がたぎる感覚、まるで会場を覚醒させていくようだ」

「最初に弾いたエチュード2曲で、会場の雰囲気がいっぺんに変わった。会場が五感のすべてでカイ君のピアノを聴こうとしている」

こうして始まった、カイの演奏。
描写の雰囲気をよく伝える名演だったと思います。

………

とりあえず、今日はここまで。
いつも出勤途中にスマホで書き込んでるのですが、本日、バッテリーが危うい 状況。
続きは、また改めて。^_^; 
【追記】続きは、こちらです。 

ショパコン第一次予選のステージが続きます。
今回のテーマは「ステージに立つ者の精神状態」でしょうか。
ピアノ演奏をしっかり聴かせる会でもありました。

演奏曲目

★雨宮修平(演奏:高木竜馬)
  • スケルツォ第2番 変ロ長調 作品31
  • エチュード イ短調 作品25-4
  • エチュード イ短調 作品25-11「木枯らし」
  • バラード第1番 ト短調 作品23

★レフ・シマノフスキ(演奏:シモン・ネ―リング)
  • プレリュード イ長調 作品28-7
  • エチュード へ長調 作品10-8
  • 幻想曲 ヘ短調 作品49
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(1)雨宮修平
僕はただ透明になってショパンの残した曲を再現するだけだ。
恐れることなど何もない。

こんな心でステージに立ち、全くミスなく、聴衆の涙を誘う演奏を披露し、会場に感動を巻き起こした修平。
僕には今一点の曇りもない 一次も完璧にこなした。僕は必ず目の前の壁を壊してみせる。
一方で、決して傲慢不遜なわけではなく、一次演奏後のインタビューでは
満足することは、いつだってありません。
と答える、ストイックな彼です。

けれども、その精神状態は非常に危ういことが明らかになります。
演奏前に執拗に鍵盤を拭う姿が周囲に奇異に映っても、
トイレで手を洗い続ける時間が異様に長くても、
そう指摘される本人には、その自覚が、記憶が全くない。

まただ。また僕は暗闇に落ちていく。
またあの森のピアノの悪夢がよみがえる。
あの時僕が森に行かなければ、、僕が転校しなければ、、
僕が自分の手で最強の敵を生み出してしまったんだ。

カイを「敵」と言い切る精神状態、かなり危険です。
そう言えば、彼は一時、ピアノに向かうことごできなくなっていましたね。
この心の闇が、第2次予選以降でどう影響するのか。波乱を予感させます。

(2)レフ・シマノフスキ
今回のタイトル「ポーランドの新星」はこの人。
ワルシャワの森でのカイとの出会いは印象的でした。
この森のことなら、何でもわかるんだ。
と言い切り、森ではリラックスした表情を見せるレフと、
森のピアノで育ち、森のイメージに拠って立つカイ。
二人の間に今後育つであろう友情に注目です。
また、
予備予選では注目されず、本大会になって注目を集めたというところ、演奏担当のシモン・ネーリング君と重なります。

柔軟でばねのあるタッチとアーティキュレーション
クリスタルな音
自在なルバートにカンタービレ
なんてノーブルでのびやかなピアノだろう


彼の演奏に対する上のような評価も、シモンくんへの評価と重なるなあ、と納得してしてしまいました。

(3)バラード第1番と苦悩
バラードで最も勇壮な曲。
「中世リトアニアの十字軍」を描いた「悲劇の英雄の物語」だとは知りませんでした。
修平がラストに持ってきたこの曲が、会場の感動を呼ぶのですが、
演奏する修平の心の声は、

カイ君聞こえるか
これは僕の心の歌だ
僕の苦労なんだ
君のピアノに勝てないと思い込んだ僕の苦労
君に勝てなければ僕の未来はないと思い込んだ僕の苦労


葛藤や苦悩が芸術を高める、ということでしょうか。
それにしても、痛々しいです。

一方、会場で聴いているカイの方は、修平の演奏に
努力だけでは手に入らない、透明なきらきらした音のかけら
を聴き取り、
雨宮の弾くピアノが、俺は他の誰のピアノよりも好きなんだ
と気づいたと言います。
立場によって、人間関係の捉え方がここまで乖離してしまうというのは、ショッキングです。

(4)周囲との関係
立場といえば、ポーランドで既に大人気を確立しているという、年長コンテスタントのアダムスキも異彩を放っています。
神経過敏の症状を呈している雨宮修平に向かい、
僕は自分を取り戻している最中なんだ
と、自分の実体験を語り(貧乏な少年時代に、大事な恩師を罵倒して傷つけてしまった過去を持つとのこと)、

あまり自分を追い詰めないほうがいい。
ここまで来たら、優勝とか負けるとか考えないほうがいい。
余計なことかもしれないけど、次はないなんて思うな。君は若い。

と、相手を励ます。
なかなかの大物です。

一方の家族。
修平の父は、息子の演奏を
まさか、これほど素晴らしいバラードが弾けるとは。」と賞賛した上で
お前はこれまで誰にも勝る努力をしてきた。だから、誰にも負けるわけがないんだ。
と勝負にこだわる。
修平も、アダムスキの忠告には耳を貸さず、
僕が生き残るためにも、父さんのためにも」負けられない、との気持ちを新たにする。

レフ・シマノフスキの父は
有名ピアニストの祖父の名にかけて、シマノフスキ家の名誉のため
しっかりしろ。たかだか45分の集中だ。
と、舞台袖で息子を叱咤激励する。

いやはや、いろいろ背負っている若きコンテスタントたち、大変ですね。
そんな中、カイの自然体ぶりが新鮮に見えてきます。
カイ曰く

怖くなったら、疲れるまで体を動かすようにしている。
余計なことを考えなくてすむし、体力もつくから一石二鳥だ。
プレッシャーがないわけはないが、やめようとは思わない。
結果はともかく
全力でここを乗り越えたら、まだ見たことのない景色が見えるはずだ。



カイのまだ見たことのない景色とは。
今後の展開が楽しみです。

今朝、起床後の出勤前、いつものように「ピアノの森」録画を視聴しようとして、焦りましたよ。
しまった!録画失敗!
でも、調べてみたら、6/17は放映がお休みだったんですね。ホッ。
サッカーワールドカップの影響でしょうか。

さて、それで、つらつらと考えてみたのが、
秘密の演奏者(カイの演奏担当者)は誰だ⁉️の件。
先週、いよいよショパコン開幕という局面に突入し、
エンディングクレジットに「演奏者名」が記されるようになりました。
今まで、こんな表記がされていましたっけ?
私、視聴が終わると番組を消去してしまうので、確認できないのですが、
例えば、小学校の音楽室で阿字野の弾いた「茶色の小瓶」に、反田君の名前がクレジットされていたでしょうか?

たとえ以前の回にクレジットされていたとしても、
阿字野の演奏が、今後の回で曲名とともにクレジットされることはもはやないでしょう。


で、浮かぶのが、この疑問です。
こんなことでいいのか⁉️
あんなに番宣で活躍していた反田君の演奏が、今後、ショパコンのステージという場で、一度も披露されることがなくて、いいのか⁉️


思い出されるのは、予告番宣で、反田君が、
「阿字野バージョンの小犬のワルツ」
「反田バージョンの小犬のワルツ」
を弾き分けてみせていたこと。
もしかすると、これは、
「阿字野バージョン」
「海(カイ)バージョン」
を弾き分けてますよ!
ということの伏線だったのでは?

【追記 7/7筆】
7月2日放映の第12回fff(フォルティッシッシモ)では、カイの第一次予選の演奏曲目としてこの「小犬のワルツ」が登場しました。これは反田くん一人二役説の根拠の一つになるのでは…と思います。


ここで、私の大胆予想を発表。
実は、
反田君が、阿字野とカイを弾き分けて、一人で二人分の演奏を担当していた❗️
(あくまでも個人的な妄想ですが💦)

どうでしょ?
以前に挙げた横山幸雄氏説(→記事☆)より、現実味がドドンと高い気がするのですけれども。


追記:
なんと、先週カメラで撮ったエンディングクレジットに、反田君の名前がありました。💦
なるほど。ショパコンのステージに限らず、演奏者名は載せていたんですね。
でもまあ、今回の予想はママにしておきます。妄想ってことで、お読み流しくださいませ。
実際にポーランドに留学中の反田くん、もっとショパンの演奏を披露したいでしょうし。^ - ^
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いよいよショパン・コンクール開幕。第一次予選。
英語アナウンスが流れ、第一奏者、フランスのソフィ・オルメッソンの名前がコールされるところからスタートです。
今回の中心は、中国人コンテスタント、パンウェイ。
演奏曲目を書いておきます(エンディングクレジットより)。

★ソフィ・オルメッソン(演奏 ジュリエット・ジュルノー)
  • バラード第2番 へ長調 作品38
  • エチュード ハ長調 作品10-7
★パンウェイ(演奏 ニュウニュウ)
  • エチュード ハ短調 作品10-12「革命」
  • エチュード 英ト短調 作品25-6
  • 舟歌 嬰へ長調 作品60
  • スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39
(ほかのコンテスタントの演奏曲・演奏者名なし)
  • ロンド 変ホ長調 作品18 
  • エチュード ロ短調 作品25-1
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(1)パンウェイの造型
中国で極貧の生活から這い上がり、ポーランド留学中の青年。
どれほどの練習をしたのか!と、聴くものをゾッとさせるほとのテクニックの持ち主。

このあたりは、ランランを彷彿とさせる造型ですが、異なる点も。
  • ロンティボー国際音楽コンクールの優勝で世界中の耳目を集め、ショパンコンクールの第一次予選から会場を満員にするほどの前評判を得ている。(ランランはジュニアコンクールで優勝したものの、世界的に評判を上げたのは巨匠の代役で出たステージがきっかけ)
  • ピアノの音色は「煉獄の苦しみ」を表現。温かさに溢れた曲とされる「舟歌」の演奏でも、まるで水中から竜神が姿を現し、牙を剥いたように響く。(ランランは百面相で音楽の楽しさ、テクニックの冴えを追求する派)
  • ポーランドの音楽院で共に学ぶシュウヘイが「あれほど平気で他人を傷つけられる奴に、素晴らしいピアノが弾けるわけがない」とつぶやくほどの冷血漢。(ランランは明るさの権化のような人柄に見えます)
こうやって列挙してみて、苛酷な出自のピアニストを描くとすれば、パンウェイの造型の方が一般的なのかも、と思いました。
演奏担当のニュウニュウ(牛牛)くんは、10歳かそこらで来日し、確かサントリーホールでリサイタルをした神童です。人当たりも柔らかく、いかにも上流階層出身のように見えます。放映前の番宣で、
「自分の演奏ではなく、ストーリーの中の人物として演奏するのが難しかった」
といったことを述べていましたが、なるほど、そうだったであろうと納得しました。

(2)パンウェイと阿字野
シュウヘイの父も、カイも
「阿字野の音だ」
と驚愕したパンウェイの演奏(シュウヘイの父は「阿字野ではない。阿字野の音は温かい」と最後につぶやくのですが) 。
シュウヘイからその指摘を受けたパンウェイ本人は、阿字野など知らないと激怒するのですが、カイが阿字野の推薦を受けて出場していることに鋭く反応しています。
これは、きっと何かあるからでは?

(3)周囲の雑音(マスコミと取り巻き)
演奏中にドレスの肩紐が切れるハプニングに見舞われた、第一奏者ソフィ。
ゴシップ記者は
「話題を集めるための、故意の戦略の可能性もある」
として、ぶしつけなコメントを投げかけます。
 今なら、ネット上で大騒ぎになるでしょうね。

シュウヘイも、日本のマスコミ(ドキュメンタリーの撮影クルーも密着中)、日本から応援に駆けつけたおばさまファンの一群への対応にイライラを募らせます。

これらの雑音からピアニストを守るためにも、家族の存在って大きいんだなあと思いました(ソフィは兄、シュウヘイは父に救われます。ポーランド人、カロル・アダムスキは、緊急の衣装直しを妹に依頼)。

(4)審査に影響を与える外部要因
「いまさらコンクールに出る必要がないくらいのポーランドのスター」
カロル・アダムスキをめぐり、
  • 前評判が高すぎると、審査員の反感をかう
  • ポーランド人は優遇される
という相反する見方が提示されていましたが、現実もまさにそのとおりだと思います。
このカロルの次の奏者がシュウヘイ。
今回、カイの最後の独白が秀逸でした。

「(カロルは)評判どおりの華麗な演奏で聴衆をひきつけた。でも俺には、雨宮のほうがはるかに、はるかにスターだった」

さて、
次回放映のタイトルが 、ポーランドの新星(だったかな?)とやらですから、いよいよ現実の前回ショパン入賞者、シモン・ネーリングくんの演奏が聴けるようです。
楽しみです♪
(あ、カイの演奏担当者は、カイの出番放映のとき、エンディングのクレジットで発表されるのかもしれせんね)

またまた早い展開にびっくり。冒頭がカイの独白
「ワルシャワに来て3週間。今日もショパンの森に来ている」
ショパンコンクール予備予選、シュウヘイ登場の当日から幕開けです。
そして最後の一言が
「いよいよショパンコンクール本大会の、幕が開く」
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(1)予備予選の形の変化
前回2015年のショパンコンクールでは、
たしか4月に予備予選、秋に本大会でした。
予備予選の様子、ネットでも配信されました(LIVEではなく録画だったかな?記憶曖昧)。
「ピアノの森」では、本大会の数日前に現地で行われた模様。
大会の形式、時代とともに変遷していることがわかりました。
「300人から80人に絞られる」というのは、2015年と大差ないかもしれませんが。

(2)緊張してあがること
予備予選、自分の番の直前で具合が悪くなり、順番をかえてもらったらしいポーランド人コンテスタント、レフ・シマノフスキ。
同様に、腹痛と吐き気に襲われるも、名前がコールされてしまい、ステージに上がって不本意な演奏をした日本人コンテスタント。
その次の番にあたっていたカイは、初めて「あがって」しまいます。

気持ちを切り替えよう
でも、ドキドキが止まらない
指先がしびれて感覚がない
こんなこと初めてだ
だめだ、森がイメージできない 
森どころか草一本も浮かばない。

そのカイを立ち直らせたのは、
会場にいたシュウヘイの咳払いと「すみません」の声でした。
2人で森のピアノと戯れた記憶が溢れ出し、そのイメージに乗せて音楽を奏で始めたカイ。
なんだか、この映像は、見ていてうるうるきました。

カイにとっての拠り所は「森のイメージ」なんですね。
そういえは、タカコを立ち直らせたのも「犬のウェンディ」のイメージでした。
何のイメージが常に平常心を保たせる、というのは、演奏家にとってそこまで一般的なのか、ただ視聴者にわかりやすい仕掛けとして採用しただけなのか、気になりました。

(3)客席の動き
予備予選から、日本のマスコミが会場に詰めかけています。
彼らの目的は、雨宮シュウヘイ。
さらに、日本人聴衆(観客)もシュウヘイの演奏が終わるや、ドヤドヤと会場を出て行きます。
これって、現地の人にとっては、目障りだろうなあ、と感じました。
ショパン大好きな日本人、ショパンコンクールを生で見ようと現地に飛ぶ人も多いと聞きますが、ほんとに、こんな感じなのでしょうか?

(4)勝負する相手
「僕はここに君を打ち負かすためにここに来た。だから、ここで君に消えてもらっては困る」
「他人の評価ではなく、自分がどう思うか」が肝心だと認めつつも、
「僕は君のピアノから逃げないと決めたんだ。だとしたら、勝つしかない」
シュウヘイは、「ショパンコンクールという場を借りて」カイと勝負しに来た、と宣言します。
彼の考えが、何を契機として、どう変化していくのか、注目です。

(5)信頼関係
シュウヘイの、カイに対するライバル心を、
プロピアニストの父は、
自分と阿字野との関係と同じだと言い切り、理解を示して励まします。
一方、
カイを阿字野に託して以来、カイのことを思って交流を避けて来たカイの母レイちゃんは、いよいよ翌日ワルシャワに発つという阿字野に
「これを、カイがピンチのときにでも渡してあげて」
と、ある物を手渡します。
「結果なんて、どうでもいいの」
「どうしても、会ってお礼を言いたかった」
と言うレイちゃん。
「私を信頼して、カイを預けてくれて、ありがとう」
と返す阿字野。

親子の、そして、支える人同士の信頼関係の大切ささについて、考えさせられました。

(6)カイと阿字野
カイは、シュウヘイに
「俺はだれとも勝負する気はない。俺はまだ、自分と戦っている段階だから」
と述べています。
一方、師の阿字野は、カイの母に
「カイにとっては最初の、私にとっては最後の戦いになるでしょう」
と述べ、勝つことに強い執念を見せます。
この二人の関係、二人の変化にも注目です。

なんと早い展開。
ショパンコンクール出場に向けて大きく動き出しました。
本番は1年後。
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(1)コンクール出場のための足場固め
ショパン国際ピアノコンクールにエントリーするにあたっては、
  • 2人の推薦者
が必要である、とのこと。
となれば、誰を推薦者とするか、というところから勝負は始まっていると言えましょう。
カイの指導者、阿字野の戦略、それは、
自分と知遇のある世界的指揮者、ジャンジャック・セローをカイの推薦者とすること。
そのために、
日本国内の「ソリスト・コンクール」に出場させ、セローにカイを引き合わせるのです。
なるほど、こういう思惑でのコンクール出場もあるのか、と思いました。

(2)協奏曲におけるソリストとオーケストラ
コンクールでの「ソリスト賞」受賞により、協奏曲のソリストとなる権利を得たカイ。
リハーサルで、カイと合わせたオーケストラ団員の独白は、
「なんなんだ、このピアノは」
「この追いかけるような、噛みつかれるような、ピアノは」
というもの。
それを見ていたセロー、本番の指揮を買って出て、こう言います。
「オーケストラに合わせたピアノではなく、君のピアノを頼むよ」
「大丈夫、僕らを信じてぶつかってきなさい」
本番の様子は、オーケストラ側からのアングルで描かれていました。
「若い暴れ馬についていこう」
「テンションが上がっていく」
確かに。
オケとソリスト、丁々発止で、聴いていて手に汗握る演奏
って、実際にあります、あります。

(3)コンクールにケンカを売る
このフレーズ、何度となく出てきました。
ショパコンへの2人目推薦者は阿字野で、と主張するカイに、
「25年前と同じように、審査員にケンカを売っているように受け取られる」
「カイに不利な条件だ」
と反対する阿字野。
なるほど。
阿字野は、過去にショパコンに出場して、審査員にケンカを売るような結果を残したのですね。
阿字野とセローは、さしずめ、1980年のポゴレリチとアルゲリッチ。

「ショパンコンクールをなめるな」
「先生こそ俺をなめるな」

煽りますねえ。

(4)コンクールでの逸脱演奏
コンクールの場で、べートーヴェンの月光ソナタにアレンジを加えて演奏したカイ。
音程を1オクターブずらしたり、装飾音を加えたり。
その結果、審査員たちの
「コンクールでアレンジを認めるわけがない」
との判断で、一位該当者なしとなった「ソリストコンクール」。
でも、カイの演奏は
「これは楽しい」
「ベートーヴェンにケンカを売っておる」
といった反応を引き起こし、「ソリスト賞」の第一号受賞者として協奏曲を演奏したのです。

一方、実際のコンクールの場で、アレンジ演奏を耳にすることもあります。
コンクールによっては、自作曲の演奏も可とするものも。
時代を振り返れば、モーツァルトやショパンは自作曲を演奏する際、アレンジを入れるのが普通だった、とも言われます。
アレンジ演奏を認めるか否かも、今後変化していくかもしれません。
単に奇をてらっただけ、目立ちたがっただけ、というのはNGでしょうが。

(5)7年間の重み
7年前、カイのお陰で「自分のピアノを弾くってことが、どれだけ素敵なことか」を知り、それ以来、コンクールに出続けたというタカコ。
彼女はいま、審査員も務める先生に師事しているのですが、手を故障している様子。

「カイ、あなたとまた会える日を目指して頑張ってきたのに」
との述懐に、7年間の重みを感じます。

「カイのピアノが私を勇気づける」
「この手を治して、いつかきっと、あなたと同じ舞台に立つ」

そして、留学先でカイのショパコン参加を知ったシュウヘイもまた、参加を決めるのです。
これからの三人、どう描かれていくのでしょうか。

そうそう、シュウヘイの父の異名が
「癒しのピアニスト」
というのには、ちょっとびっくりでした。コワモテなのに。(逃)

冒頭からビックリ。
小学生だったシュウヘイが青年になっていました。
彼が日本へ5年ぶりに帰国するところから、番組スタートです。
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(1)心と技術
「心がなければいくら技術があっても人の心は動かせない」
これ、永遠のテーマですね。
「心があるとは、どういうことなんだ」
「阿字野先生、僕は5年経ったいまでも自分のピアノを好きになれません」
シュウヘイの今後に注目です。

(2)努力
「もって生まれた才能でさらさらってやられちゃうと、努力している人は立場がない」
そうつぶやいて、カイがも「頑張っている」と知って安心したシュウヘイでしたが、
実は、カイの頑張りとは生半可なものではなかったことに気づき、茫然とします。
部屋の床、壁、一面には、カイが書きなぐった勉強の痕跡が残っていたのでした。
そして、現在もアルバイトに追われつつ、高校の勉強をこなしているカイ。

(3)音楽の効用
スランプに陥り、ピアノが弾けなくなっていたシュウヘイが21日ぶり(だったかな?)に弾いたのは、
ダイキ少年作曲「やつらに捧げるバラード」の即興編曲版。
イジメられたことを克服し、自分自身に戻るために「バーカ、アーホ、…」という罵倒の言葉を歌詞として作曲した旋律。
シュウヘイにとっては意外な音楽の効用だったのでしょうが、実は私自身、身に覚えあり。
転校を繰り返した小学校、中学校時代、学校生活のストレスを「ピアノの鍵盤をたたきまくる」ことで発散していました。

(4)出自の問題
ダイキ少年、カイのことを「カイ先生」と呼んでいます。
「森の端」出身の少年でしょうか。。。
カイの行方を探そうとするシュウヘイを、森の端の人びと総がかりで阻止しようとしていたのは、「いい学校」に入ったカイの出自を世間に知らすまいとする配慮から。
作品に、世間の偏見を糾弾する姿勢を感じます。

(5)師弟関係
高校生となったカイ自身が、ダイキという弟子をとっているようでしたが、
彼の尊敬の対象は、阿字野先生。
かつての阿字野の演奏に、
「これだけの腕を持っていながら、弾けなくなるなんて」と涙するカイ。
その阿字野は、前回の放送で、
自分が生き残ったのは、カイという逸材を育てる使命があったからではないか、と独白していました。
主人公たちのプロの演奏家としての生き方だけでなく、
プロの教育者の姿を描くことも作品のテーマの一つでしょうか。注目です。

第6話を見て、驚きました。
このお話、音楽の世界のみにとどまらず、社会問題にも切り込む作だったのですね。

遊びじゃなくて、本気のピアノだ。お金がとれるピアノだぜ。」
「俺は、
森の端(もりのはた)全員を食べさせていくだけのピアノ弾きにならなくちゃいけない。」

世間から白い眼で見られ、差別を受けている地区
「森の端」。
母親のレイちゃんは、息子のカイをそこから出したいと考えているものの、
カイのほうは、発想が違います。

「俺は森の端から離れない。」
「いざってときにレイちゃんを守れないからだ。」


ええと、このときのカイって、小学生ですよね?
凄すぎます。

ノホホンとぬるま湯に浸かっている小学生とはわけが違うのですね。カイ。
子どもには、いっぱい刺激を与えるべき。
「可愛い子には旅をさせよ」
というのは、そういうこと。
被差別地区に生まれた子は、資質が高ければ、その環境を精神的な成長の糧とする。

ううう。深いです。
今週は、この点がもっとも胸に響きました。


では、それ以外に気づいた点を列挙します。

(1)ピアノを弾く意味
「ピアノ弾きて~!」
と叫ぶカイは、心の拠り所であった「森のピアノ」を失い、
久しぶりにイベント会場の「透明のピアノ」を弾いて、気づくのです。
「そうなんだ。ピアノは俺の、命なんだ。」

阿字野のせりふ
「お前がピアノを弾き続ける限り、森のピアノはお前の中でずっと生き続ける。」

こういうことを言い切れる人にとっては、意味もひったくれも、ないですね。
選ばれた人だけが、こういうことを口にできるのだと思います。

(2)初見能力
楽譜を見て、初めて弾く能力。
カイは、いつの間にこの能力を身につけたんでしょう?
耳から聞いてそれをコピーする、という弾き方から入ったはずでしたが。。。
それも、「初見でアンサンブル」という、とてつもなく高いハードルを楽々とクリア。
初見であるはずなのに、途中から楽譜も見ずに、目を閉じて自分の世界に入り込み、涙も流していましたよ。
これは、さすがに……ありえないのでは???
いや、天才なら、曲の構成、流れも、他の楽器との掛け合いも、すべて初見で把握してしまうのでしょうか。凡才には全くわかりません。
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(3)音楽留学の意味
コンクールで日本一となったシュウヘイの一言。
「カイ君、僕は日本を出るよ。」
音楽を本気で勉強するなら、留学必須、というのが日本の常識?
阿字野も同様のことを述べます。
「普通に考えると、早いうちに日本を出ることがいいと思うが。」

それに対するカイの反応。
「行かないよ、外国なんて。レイちゃんを置いて行けない。」
まっすぐに阿字野を見据えて
「俺の先生はここにいるじゃないか。」

なるほど。
海外での音楽教育vs阿字野の教育
これからのテーマの一つでしょうか。楽しみです。



なお、このアニメ、当然といえば当然ですが、
原作をかなり端折っていることが、今回わかりました。
荷物配送業者(トラック運転手)のお兄さんとか、その犬とか、当然のように名前入りで登場していたのですが、私としては「あら、どなた?」ってなもので。
……私、今後もちゃんと筋についていけるかなあ。。。

時差の影響なのか、4時に目覚めてしまったので、録画を見ました。

今回のテーマは、修平のセリフですね。
「ピアノの神様は君を選ぶかもしれないけれど、コンクールの神様は僕を選ぶ」

(1)ピアノ演奏に点数をつけるということ
予選におけるカイの演奏に対する評価
「テンポも強弱も楽譜を無視していた」
「彼のピアノには点数がつけられない」
審査員のこういった発言が、コンクールの限界を明示しています。
どうしても「ミスで減点」という方法をとらずにはいられないコンクール。
一方、人を感動させる演奏は、必ずしもミスの多寡とリンクはしない。

(2)天才と凡才
「予選では、みんなちゃんと楽譜をなぞれていたのに」
と審査員が嘆くような演奏をする、本選出場の小学生たち。
その理由を
「みんな、取りつかれちゃったみたいだねえ」
「あんな(予選落ちしたカイの)演奏を一度聴いちゃったら、あこがれずにはいられないでしょう」
と推測する審査員の一人。

「天才」はごくごく稀にしか出てこないもの。
凡人は「天才」のマネをしてはいけない。
ていねいに楽譜をなぞっていくしか、凡人には道がない。
凡人が手本とすべきは「天才」ではなく、完璧な演奏をする「秀才」のほう。
凡人を壊すような特別な奴は、早いうちに芽をつんでしまったほうがいい。
我々凡人は関わらないほうがいい。

こういう発想は、決して極端な少数意見とは言えないだろうと思います。
でも、「天才」とまでは言えなくとも「人を感動させる」演奏をする力を持つ者の可能性が、まじめな指導によって摘まれてしまう
……日本で一般化している発想、指導には、そんな危険性があるのでは…と危惧を覚えます。

(3)人を感動させるピアノ
「僕は君に負けていたのに」
とカイの演奏を認める修平は、東京への転校を前に、阿字野へアドバイスを求めます。
「僕にもカイ君のように人を感動させるピアノが弾けますか」
阿字野の返事
「君はもっと君のピアノを好きになった方がいい」
「誰かと比べる必要なんてないんだ」
「いいピアノだった。楽しみにしています」
そして、
「君は、一ノ瀬(カイ)が初めて出会った同志だ」
と、カイにとっての修平の存在の大きさを指摘する阿字野。
いい指導者だなあ、と思いました。

(4)ピアノ弾きを、ピアノに向かわせる原動力
予選で「犬のウェンディ」のイメージを拠り所についに「自分の演奏」ができたタカコ(誉子)。
彼女を本選の演奏に向かわせた原動力は、
「カイ(海)の演奏を認めなかったこのコンクールにケンカを売りに来た」
というもの。
でも、その前に大事なのは、彼女の心に
「ピアノを弾くことがどれほど気持ちがいいか、わかった」
「がんばって今までやってきて、よかった」
という自己肯定感がしっかりと根を張ったことだと思います。

こういった肯定感を与えてくれるものは、コンクールの結果に限らず、
「よかった」と認めてくれる身近な存在だといえるでしょう。
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彼女を支えてきたお手伝いさん(?)の
「誰が何と言おうと、今までの中で一番よかった」という力強い断言の力です。

一方、カイの場合。
大雨に打たれて音を出さなくなった「森のピアノ」を前に
「弾きたい。弾きたい。弾きてえ!」と叫ぶカイ。
「ステージに立つ快感を知ってしまった者はピアノを弾かずにはいられない」
と指摘し、カイの母親に
「彼を世界に出してみませんか」と話しかける阿字野。
今後の展開を予測させます。

(5)審査員特別奨励賞
3位までに入賞できなかったタカコが得た、特別賞です。
「世の中には、覆せないものと覆せるものがある」
という審査員の言葉に、
なるほど、順位には反映できなかったけれども、審査員の目を(耳を)惹いた演奏に贈られるのだな、と納得しました。

留守にしていた週の録画視聴記録。
第4週を見ての感想は……どんどん切り込んでくるなあ、です。

(1)一般人を感動させる演奏
演奏を聴いて会場全体が興奮の渦に巻き込まれ、審査員が
「厳粛な会場がこんな騒ぎに」
「あんな地味な曲を、ああも面白く弾くなんて」

と驚く。
「無理やり連れて来られた」という男性聴衆が
「ピアノがこんなにいいものだったなんて、初めて知ったよ。ありがとな」
と言う。
それほどの演奏なのに、コンクールの審査では高い評価が得られない。
こういう状況をうまく描き出しているなあと思いました。

現実にも、個性的な演奏について同様のことが起きています。
ショパンコンクールで言えば、
1980年のイーヴォ・ポゴレリチ(本選に残らないことに怒った審査員・アルゲリッチが帰国)
2010年のエフゲニ・ボジャノフ(演奏は会場の支持を集めたが4位。本人は授賞式に欠席)

近年では、2015年のチャイコフスキーコンクール4位、リュカ・ドゥバルグ
11歳でピアノを始め(遅い!)、一度は文学を専門としていたという変わり種です。
彼の場合は、技術的にはトップレベル奏者と差があるものの、「ハマった」ときの音楽性が半端なく、熱狂する会場の後押しが、彼を本選にまで持ち上げたように見えました。

(2)自分の演奏
「自分の演奏」とは。。。
この番組では
「自分だけがイメージできる、自分の世界に浸って演奏すること」
と解釈しているようです。

タカコ:愛犬ウェンディが傍らで見守っているイメージの中で、演奏
カイ:森の中で、蟻1匹を聴衆に「森のピアノ」を弾くイメージで演奏
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ううむ。なかなか難しいですね。
今回はモーツァルトでしたから、これで行けたのでしょうけれども、曲目によってはこのイメージではだめなこともありそうです。
番組では、
師匠のモノマネの演奏。作曲家に脅されているような演奏=悪!
という描き方になっていましたが、一度はこの段階を経る必要がある場合も多いかと。

(3)演奏とは「音」
「この音だ。そうだ、この音がお前のピアノだ」
「先生。これは森のピアノだわ」

カイの演奏に心躍らせる、カイの指導者阿字野、そしてカイの母。
音楽の構成、解釈、云々よりもまず「音」「音色」。確かに。そういう世界観に共感します。

(4)人前で弾く恐怖、達成感
ステージ中央に進み出る際、
「あ、足が震える」「お願い、助けて。」
という心で叫ぶタカコは、犬のイメージに助けられて、
「あ、弾けた。初めて人前でちゃんと弾けた。」
という達成感をやっと得る。

一方、カイは
「弾けた。俺のピアノが弾けた」
「きっと俺は忘れない。俺が初めて注目された日」

と、最初のステージから達成感を抱き、
本選の課題曲であるショパンの「小犬のワルツ」を
「俺はただ弾きたいんじゃない。人の前で弾きたいんだ」
と熱望する。

このあたりの対比も、うまいなあ、と思います。
彼らがどのような道を選んでいくのか、今後の展開に興味津津の私です。
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ただ、コンクールという場ではありますけれども
「勝った」「負けた」「負けるな」という表現があまりにも多用されるのがちょっと気になりました。それから、
今回の放送では「10人が本選進出」という結果になりましたが、
確か前回の放送では「全国大会に進めるのはただ一人」という話だったような……あれ?私の聞き違い?


モーツァルトの遺言とは、
私が死んだら、その200年後、ある人物に私のピアノソナタ第2番(ケッヘル280)を渡してほしい。ある人物とは、森の中に住む少年だ。
というもの。
これ、史実でしょうか。まあ、いろいろ書き残しているモーツァルトですから、そういうこともあったのかも?

さて、
タダで教えてもらうのは嫌だ。ちゃんと対価を払う!
と言い張った結果、コンクールを受けることになり、
東京から転校してきた級友、ピアノ界のサラブレッド・シュウヘイと「全力で戦う」と約束したカイ。
カイの求めに応じて、自分が手を傷める以前の録音演奏(コンクール課題曲:モーツァルトのソナタk280)をカイに渡した阿字野。
そして、コンクール当日となるのです。

今回も個人的メモを残しておきます。

(1)自分の演奏
今回のテーマ、阿字野のセリフが端的に表しています。

随分私の真似がうまくなったな。
こんなもの(阿字野の演奏録音)はもう聞くな。
お前はお前のピアノを弾くんだ。

おおお!3週目にして、すでにこの大テーマですか。
まだ楽譜が読めず、耳コピ演奏で臨むしかない状態のカイに、いきなりのこの要求。
でも、演奏家として立っていけるのは、放っておいても「自分の演奏」が湧き出てしまう人だけなのかも。
カイはそうではない、という設定、興味深いです。
今後、どうやって「自分の演奏」を見つけていくのでしょうか。

(2)コンクールという場で演奏する心理
シュウヘイの参加を知って、控え室でピリピリする参加者たち、保護者たち。
緊張のあまり、暴言を吐いたり、隠れて大泣きしたりするタカコ。
初対面のタカコと当初は反目しあったものの、最終的にはステージ袖で「行け、タカコ!」と応援するカイ。
演奏後、「やった、完璧だ」「勝った、俺は勝った」と独白するシュウヘイ。
凄まじい場ですね。
コンクールと名のつくものに参加したことのない私には、ただもう恐ろしいばかりです。
  • シュウヘイは、自信とプライドで乗り切る。
  • タカコは、愛犬との一心同体イメージで乗り切る(はず)。
  • カイは、無欲(のはず)。
他にはどんな方策があるのか、知りたいと思いました。
人前で弾くのはただ楽しい、幸せ、という人もいないわけではありませんが、
年を重ねていくとともに、そう単純な話ではなくなっていくのが常ではないかと。
(私はとてつもないあがり症で、コンクール参加なんて考えられません。)

(3)審査員のステレオタイプイメージ
それにしても、コンクール審査員の描き方は、あんまりじゃないでしょうか?
ショウヘイの演奏中の独白が
「なんてことなの、減点するところが何もないなんて。」
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現実には、もっとポジティブな聴き方をしている方々が大勢いらっしゃるのではないかなあ、と思うのですが。
でも、審査対象は子ども。しかも参加者多数となると、こうなってしまうのかなあ。 

(4)子どもにとってのコンクール
審査される場でばかり演奏させられるのは、あまり幸せとはいえない?
いえ、選ばれし者となったという自負と達成感を味わうという意味では、子ども時代の貴重な経験?
子どもの性格、意思などによって、さまざまなパターンがありそうです。


さて、このまま「勝った」と確信したショウヘイ一人が全国大会に進むのでは、ストーリーとしてはいただけないでしょうね。 
なかなかうまいです、視聴者の惹きつけかた。^ - ^

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