PIOピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

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本日、Googleにアクセスしてみてびっくり。
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杉浦千畝、日本のシンドラーとも呼ばれる元外交官。
日本政府の指示に背いてまでも、彼個人の判断においてリトアニアでユダヤ人たちに日本のビザを発給し、6000人以上の人々を救ったと言われます。
ちょうど、彼のことを本で読んだばかりだったのでした。


エヴァパワシュ=ルトコフスカ、アンジェイ・タデウシュロメル 著
彩流社  334頁   2009年05月刊
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『ショパンを嗜む』で、平野啓一郎が推薦していた本です。
この本の第5章「第二次世界大戦中の諜報活動における協力」に千畝のことが出てきます。

1939年8月末、リトアニアのカウナスに現れ、独ソ両方を観察するのに絶好の地点として選ばれたこの場所に、領事代理として日本公館を開設した人物ーーそれが杉原千畝(1900-1986)である。

この部分の見出しが「カウナスー-杉原千畝とポーランド諜報機関」。

そう。
千畝の主な任務は情報員としての仕事であって、カウナスはポーランドの諜報員との接触の場であったのです。

これこそが、日本とポーランドとの関係を象徴しているともいえそうです。
このあたりのこと、本書の冒頭に置かれた序文(ポーランド語版へのもの。1995年)で明快に述べられています。
印象的だったのが、著者ロメルの日本滞在時(1960-62年)、当時の日商岩井副社長(創業者の孫)が語ったという言葉。

私と同世代の人間、特に国に仕えていた者、中でも高級軍人にはポーランド語を話す人がたくさんいることに気づかれることでしょう。日本とポーランドは、ロシアによって一万一千キロも隔てられている両極のようなものです。私ちちは生来の同盟者です。

そして、もう一か所。著者自身の記述部分です。

強調しておかなくてはならないのは、戦前のポ日間の外交関係と軍事関係が両国の友好的態度と、日本にいたポーランド人、ポーランドにいた日本人に対して示された親近感によって特徴づけられていたことである。

なるほど~。
私も、幼少時からポーランドに対して親近感を覚えていたのです。
なぜかなあ……と考えてみると、おそらくは、ショパンに対する憧れと、伝記で読んだキュリー夫人への尊敬の念、が出発点かなあ。

そして、日本とポーランドが外交を結んだのは、第一次世界大戦後、ポーランドが独立した1919年。今年で国交100周年なのですね。

本書、日本留学経験も持ち、日本文化を専門の一つとするワルシャワ大学の教授エヴァと、
ポーランドの「鉄鋼王」タデウシュ・センジミル(1894‐1989)と懇意だったビジネスマンで、日本とポーランドの関係に関する未公開資料を入手したロメルとの共著です。
「日本語、日本文化」研究者と、
資料入手に欠かせない人脈を持つ元ビジネスマンとが、タッグを組んで著した書。

構成は以下のとおり。
第1章 日露戦争以前
第2章 日露戦争
第3章 1920年代
第4章 1930年代
第5章  第二次世界大戦中の諜報活動における協力

情報量が半端ないので、印象に残った点のみ箇条書きで。
  • 日本に渡った最初のポーランド人は、イエズス会士ヴォイチェフ・メンチンスキ(1643年に殉教)。
  • 明治時代には二葉亭四迷がポーランド文学を日本語に翻訳し、ポーランドでは1896年に為永春水『いろは文庫』が重訳で出版されている。
  • 日本陸軍参謀本部の遣欧使節で情報将校の草分けである福島安正将軍は、1890年代にはすでにポーランドの独立運動家たちと関係を結んでいた。彼は在ベルリン日本公使館付き武官(1887-1892)の任期を終えると、愛「凱旋号」に乗ってベルリンを出発。ウラジオストクまで488日(!)かけて1万4000キロ(!)の「単騎」帰国の途についた(2/11ベルリン出発、2/18ロシア領内へ、2/24ワルシャワ到着。ここまで550キロ以上!)。
  • 福島に有益な情報をもたらしてくれたのがポーランド人志士〈愛国者)、すなわち武力闘争によるポーランド独立を目指していた熱烈な反ロシア派だった。
  • 当時、ロシアは日本の諜報活動を知っていたが、ロシアを脅かすには足りずと判断。福島の「騎手としての手綱さびきの巧さ、大胆さ、忍耐強さ」に感服し、彼の旅を支え、歓待した。
  • ポーランド独立運動といっても、急進派、穏健派、と一枚岩ではなく、そのうちどの人々と協力するかという点で、諜報員や政府関係者の中でも意見が割れた。ポーランド独立運動員側も、日本からの資金援助を引き出そうと奔走しており、ベルリンの福島には急進派、ウィーンの駐オーストリア日本公使(大久保利通の次男)には宥和派、ロンドン全権公使にはポーランド社会党が接触を図り、対立する運動には資金援助をしないようにとも働きかけていた。
  • ドイツよりロシアに宥和的な民族主義連盟の代表・ドモフスキと、ポーランド社会党のピウスツキがそれぞれ別経路で日本入りし、日本で鉢合わせして驚くという事態も。このときの日本の印象を、ドモフスキは次のように書き記している。
日本の勝利ーーそれは万人の認める物質的な力に対する道徳的な力の勝利である。(中略)
日本は偉大でならねばならず、未来永劫生き長らえねばならないーーそれをそのすべての息子が望み、そのためならすべてを投げ打つ覚悟がある。この熱意、すべてを捧げるという心構えーーそれこそがまさしく日本の財産であり、強さの源であり、勝利の秘訣なのだ。

  • 第一次大戦(1914-1918)中、日本は協商国(連合国)側に立って参戦、勝利。米英仏伊とともに五大国の一員となり、山東のドイツ権益、マーシャル群島、マリアナ諸島、カロリン群島の99年間の委任統治を認められた。このとき、日本がポーランド独立について発言することはなかった。
  • 1918年春、日本は米英仏とともに、シベリアに出兵。口実は、ロシア軍に投降したオーストリア・ハンガリー軍俘虜兵によって編成されたチェコ軍団(反乱を起こしてシベリア鉄道沿線を東進し、ポリシェヴィキ政権を崩壊させて地方政府を樹立していた)の救援で、日本は英米仏の10倍の戦力を投じたが、作戦は失敗。チェコ軍団の中にはポーランド人師団もあった。
  • ポーランド・ソヴィエト戦争終結後、シベリアのポーランド孤児たちの引き上げに際しては、1920年〜1921年に計375名が東京に、1922年7月、8月に390名が大阪に到着。著者は「日本から寄せられた温かい真心と心遣いは、「シベリア引き揚げ者」の記憶に深く刻まれ、その行動や考え方に影響を与えた。滞日経験は彼らの新たな精神と社会観の源となり、彼らは帰国後もずっとそれを育みつづけたのである。」と書く。
ふう。本日はこのへんで。
続きをまとめる気力があるかどうか。。。💦

ときには音楽ネタから離れて、読書記録。
『妊娠小説』『文章読本さん江』の著者、斎藤美奈子の最新作となれば、読むしかありません。


斎藤美奈子 著 岩波新書1746   2018年11月刊行

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明治期からの近代文学は、極論すれば「ヘタレな知識人」を描く作、そして私小説。
そこから出発して、1960年代以降の同時代文学を俯瞰しています。

目次
  1. 1960年代 知識人の凋落   描く対象がヘタレな知識人から会社員へ ポスト私小説=旅行記『どくとるマンボウ航海記』『天国にいちばん近い島』 三島と川端の死 
  2. 1970年代 記録文学の時代  大宅賞 ノンフィクションと歴史小説 王道私小説『火宅の人』『死の棘』
  3. 1980年代 遊園地化する純文学 『なんクリ』『キッチン』 そして村上春樹&龍 ポスト私小説はタレント本 
  4. 1990年代 女性作家の台頭 格闘する単身女性を描く 高村薫 宮部みゆき 川上弘美 角田光代 小川洋子
  5. 2000年代 戦争と格差社会 ケータイ小説の興隆 人格の二重化(『インストール』)現実の直視
  6. 2010年代 ディストピアを超えて 『何者。』『コンビニ人間』ブラック企業が真のプロレタリア文学に 介護小説 原発事故後の世界を描くSF小説

本書のスタンスは次のようなもの。
  • 作家たちが「文壇」を形成していた近代文学の時代とは異なり、今は「白樺派」「新感覚派」などのグルーピングは無理な時代になっている。
  • 「純文学に未来はない」などと言われつつ、小説は書き続けられているし、1970年代に大きな変化が起きたとも言える。
  • 同時代の小説について、作家よりも作品を、純文学以外(エンターテイメントやノンフィクション)も視野に入れて論じる。

正直に言って、読んだことのない小説が多々取り上げられていて、結構疎外感を覚えました。
60年代生まれの私、学生のころは前時代の近代小説を読むことが多く、同時代小説ってあまり読んでこなかったのですよね。
で、本書の前半でギブアップしそうになったころ、次のフレーズに超共感。

<格差社会について>
2000年代の格差社会の困難は「がんばれば報われる社会」ではない。上り坂の時代に青春時代を送った人には、そこが理解されにくい。
林真理子『下流の宴』
筆者評:よくできた小説ではありますが、これは古典的な立身出世ないし階級闘争の物語であって、同時代の格差社会に対応しているとはいえません。高度経済成長やバブルを経験した人と、そうでない人とのジェネレーション・ギャップは意外に深い。一念発起してなんとかなるなら、話は簡単なのです。(p.212)

 
がんばって最後まで読むことにしました。
小説を論じた箇所ではありませんが、次のような社会認識にも激しく共感。

震災および原発事故と安倍政権は一見関係ないように見えます。しかし、両者は底のほうでつながっている。震災で大きなショックを受けた有権者は「どこか不安な元野党」ではなく「強いリーダーのいる元与党」を選んだのです。
3.11と安倍政権の誕生はこの国の雰囲気をやんわりと、しかし確実に変えました。マスメディアは政権の顔色をうかがうようになり、雑誌や書籍を含む出版界では排外主義的な言説が幅をきかせ、過去の歴史の解釈を否定する歴史修正主義がはびこる。(p.221)


こうした社会に続々と登場したのが、「覚悟して読む」ことが求められるディストピア小説群です。

<ディストピア小説の純文学について>
純文学は、被害者、被災者、被爆者を描くばかりで、「その先」を示さない
→ますます読者が離れる
純文学は人を救わないオープンエンディングをとることで、一定の芸術性を保ってきた。その結果
現実に傷ついた人は「涙と感動」を求めて『世界の中心で、愛をさけぶ』に流れ、ディストピア小説ではなく『永遠の0』を選んだ。読者の劣化を嘆くのは本末転倒でしょう。厳しい時代に、厳しい小説なんか誰も読みたくないからです。(p.259)


「過労死」「ブラック企業」など21世紀の過酷な労働環境を描く作、高齢化社会の介護小説、3.11後の震災小説……といったディストピア小説群、私自身は読んでいません。確かに重いものは読みたくないという心理が働いているような気もします。
『コンビニ人間』の村田 沙耶香の最新作『地球星人』はまさにディストピアで、ヘビィすぎました。もう書評も書きたくないです。

そして、最後の最後になって出てきた章が、まさに私にヒットいたしました。
<国際化する日本語文学>
第二言語として日本語を学んだ人々が書く日本文学、
さまざまな要因で軽々と国境を越えて生活している人々が書く日本文学。

わたくし、いま人気の「チコちゃん」ではありませんが、日本人に喝!(「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」)を入れたくなることが多々あります。
  • 「日本は単一民族国家」と未だに考えている日本人、
  • ともに生活するマイノリティーに気づかず、無意識のうちに彼らを差別している日本人が、
「なんと多いことか!」
ってね。

文学~国際化した日本文学~が、そんな状況を打破するきっかけになるかもしれないな……なったらいいな……などとも思いました。

落合陽一 著 PLANETS/第二次惑星開発委員会 2018年6月刊行

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図書館に予約して、ずいぶん待ちました。今も予約者が数十人。人気なのですね。
落合陽一氏の本、これで3冊目ですが(→『日本再興戦略』 『10年後の仕事図鑑』
今回の本がもっとも広い視野に立った、壮大なスケールの内容でした。
実は、読み終えるのに年をまたいでます。

「デジタルネイチャー」の向こうに
高齢者、身体障碍者と健常者という分類がなく、個々人が多様性を維持しながらも快適に過ごせる社会
を目指すとありますが、
そういえば、本書にも載っていた、
耳で聴かない音楽会 2018年4月22日 東京国際フォーラムにて開催
は、私もニュースで見ました。

音楽でいえば、コンピュータと人間のコラボが既に実現しているとのこと。
デジタル技術を応用した現代曲の作曲は、もはや当たり前ですが、
『Human Coded Orchestra』という、指向性スピーカーによって「合唱の制御」を実現するシステムが既に完成。聞こえてきた音を真似て歌うだけでハーモニーが成立する「コンピュータによって演奏された人間の合唱」ができるんだそうです。


さて、本書の内容です。
まず、各ページの左端に列挙される「注」の深さに驚嘆。

本書では人類・人間・ヒト・人という言葉が頻出するが、「人類」は進化論的存在、「人間」は社会的存在、「ヒト」は生物学的存在、「人」は文化的存在、という意味で使い分けている。(p.15 注8)


こんな感じ。専門用語もたくさん。
そして、古代文明から中世欧州、現代デジタル技術に至るまで、縦横無尽に語られる教養に、それも、自分なりの視点で消化したうえで、自論の根拠として提示してくる、しなやかさに圧倒されました。

シラーの言葉を引用して、
植物は余剰エネルギーを大地に還元するが、動物は余剰エネルギーを運動に転換することで、自然界の物質的束縛を断ち切り、より自由になるべく姿を変えていくと詠った。(p.16)
と述べ、
その「余剰エネルギー」という言葉を用いて、この本では
「計算機的余剰」から出現した〈新しい自然〉について論じるのだ、と高らかに宣言するのです。


内容が多岐にわたっているので、以下、かなり乱暴に、恣意的に、抽出・要約します。
私がびっくりしたのは、以下のような点です。
  • 〈言語〉が人間と社会を根底で規定するという思想は、終焉を迎えるだろう。そもそもこれは、20世紀初頭にヴィトゲンシュタインによって見出された新しい思想。
  • 近年の計算技術の発展は、言語を介在せずに現象を直接処理するシステムを実現しつつある。
  • 計算機の「0と1」で情報を処理する方法は、動物の神経細胞の情報処理と同一(類似?)で、理にかなっている。言語に頼る必要はない。
  • イルカとクジラは地上から海に戻り、海中で超音波によるコミュニケーション――インターネットに近い情報伝達ツール――を用いている。2000万年かけて、非言語的で非物質的なコミュニケーションを獲得したと考えられる。
  • それなら、インターネット以降の我々が言語から現象のコミュニケーションに移行するのも、進化論的な必然かもしれない。
ひいい。
言語が消えるのですか!……と、語学教師の端くれである私は驚嘆したのでした。
で、
  • 「非言語的直接変換システム」のパラダイムでは、二項対立の原理に立つ西洋思想は役に立たない。東洋文明の古典の知見が、計算処理の繰り返しの末の自然的未来を予見していたかのよう。
  • 厳しい修行や極限的思考の末に到達する精神的な「悟り」ではなく、神経系を模した人工ニューラルネットによって、東洋文明の古典の知見が機械の内部に統計的に生成されつつある。

ということに。
で、人間とコンピュータは、どちらがどちらを支配する、という発想ではなくて、まさに同一のレベルの存在として共存し、両者にとっての「最適化」の道を探りつつ進化していくであろう、と。

  • 今、この世界にはタンパク質をベースにしたプロテイン型コンピュータ、すなわち「生物」と、半導体素子のもととなるケイ素をベースにしたシリコン型コンピュータ、すなわち「コンピュータ」が共存している。
  • コンピュータがもたらす全体最適化による問題解決、それは全体主義的ではあるが、誰も不幸にすることはない。全人類の幸福を追求しうる。
  • 前世紀の全体主義が「人間知能の民主主義に由来する全体主義」だとすれば、これは「人間知能と機械知能の全体最適化による全体主義」および「〈デジタルの自然〉を維持するための環境対策」である。

さらに、<人権>という発想は、西洋の二項対立理念から生まれた<欺瞞>であるとか、いろいろ…。
  • 将来は、西洋的なピラミッド構造ではない、東洋的再帰構造からなる「回転系自然なエコシステム」が形成されるはずだ。
  • 機械と人間が構成する「新しい<自然>」の発明は、現在の世界の枠組みを超越しうる。「新しい<自然>」は共有されるべき新しいビジョンなのだ。
このあたりが、落合氏の主張のツボかと。
あ、コンピュータが暴走して人間を殺しにかかる、というSF映画によくあるパターンは発生しないんだそうです。
なぜなら、人間の寿命80年は、インターネットの寿命(おそらく数千年)にくらべて短すぎるから。「人類よりはるかに長い寿命を持つインターネットは、私たちの人生には直接関わりを持たず、寿命単位で区切った世代的なスパンでしか人間を認識しないだろう」ということで。
スケール感、半端ないです。

最後に、p.255-256を丸ごと引用。

  • 我々はディスプレイを通じて、直接目にしていないものを<現実>と信じ、同時にコンピュータグラフィックスや特撮を<虚構>とみなす。映像メディアには、このような排反的なリアリティが常に付いて回る。
  • それに対し、デジタルネイチャーでは<実質>と<物質>の区別が超越され、我々の身体とつながるすべての現象が、唯一の<現実>として受容される。計算機によるヒューマンインターフェースの外部で、<虚構>と<現実>が溶け合う世界。そこではあらゆる存在が、魔術的な振る舞いをするようになるだろう。それは事事無碍(じじむげ)として包括され、自然を構築し、寂びたプロセスの中に美を見出す。

なるほど。
難解ですけど、あれこれ、びっくり満載の本でした。

新井紀子 著 東洋経済新報社 2018年02月刊行
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上の画像に書いてあるコピーは、この本の本質を見誤らせます。
「人口知能はこんなに進んでるぞ!」と煽る本では、まったくありません。 

AI (人口知能 Artificial Interigence) つまり、人間と同等レベルの能力のある知能は、いまだ存在していないのです。現在、メディア等で氾濫している「AI」とは、「AI技術」のことで、知能そのものではないのだとか。初めて知りました~。

確かにAI技術はここ数年で格段に発達しました。
Siriにつかれる音声認識技術、自然言語処理技術などが身近ですし、つい先日は、画像認識技術で、医者には見つけられなかった病気をAI技術で発見できたとか、ニュースになっていました。
でも、これらの認識力のアップは、
  1. 人間が「これを覚えなさい」という形に加工した教師データを大量に覚え込ませる(医療診断の画像認識などはコレ)か、
  2. 教師データに加工しない生のデータを、まさに膨大に覚え込ませる
という方法をとったうえでのディープ・ラーニングで獲得されるとのこと。
でも、これらには落とし穴が。。。

1.の場合は、「教師データ」の作成に異様に手間がかかり、しかも、もし画像データの精度が上がって従来の画像と異なったりすると、また「覚え込ませ」を「1からやり直し」しなくてはいけない、ということに。

2.の場合は、例えば大学センター試験に答えさせるために150億文の英文を学習させても、英会話完成の四択問題の正答率すらさほど上がらなかったのです。AIは、覚え込んだ英文との一致度を検索して正答を導こうするのですが、問題によって異なる文脈や状況の「意味」は全く読み取っていないのですから、それも仕方がないでしょう。

「こんなのは、センター英語特有の不自然は英語ですよ。これで点数を出したかったら、センター英語で日英対訳データを100万持って来てください。」(p.94)
という機械翻訳の若手研究者の言葉、衝撃的です。これは無理なので、1の方法を諦め、2の方法で取り組んだけれども、やはり無理だった、ということですね。
特許翻訳用に造られたAIは旅行翻訳では使えないし、旅行翻訳用に造られたAIは国際会議では使えないのです。

でも、上記以上に私の印象に一番残ったのは、日米の差でした。

【日本の場合】
  1. 日本は「失敗に学ぶ」という姿勢がない。臭いものには蓋をする。1982年に立ち上げた「第五世代コンピューター」に国家が500億円以上を投資し、論理による自動診断や機械翻訳の実現を目指したが、手ひどい失敗に終わった。このときの「失敗」のデータが全く残っていない。「こんな夢を実現したい」という話や、「実は第五は成功した」と強弁する報告書のみで、どこで判断を誤り、どこで失敗したかの記録は皆無。
  2. 上記の失敗後、「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」かのように、国はAIのプロジェクトを封印。予算も出さない。
  3. 日本は基本的にモノづくりの国。開発費を上乗せした価格で製品が売れる見込みがなければ、新機能は搭載できない。しかも製造物責任を負う必要もある。この開発費を企業が負うことは不可能に近い。
  4. しかも、製造現場の工場は、すでに世界最先端のロボット化してしまっている。AIへの渇望度は低い。
【米国の場合】
  1. 米国の企業は日本の失敗に学び、論理的な手法に見切りをつけ、統計的手法に舵を切って、グーグル翻訳などの成果を上げた。
  2. 米国にはAIへのリアルなニーズがある。グーグル、フェイスブックといった企業が「無償サービス」を大規模に提供するには「人手をかけずにサービスを提供できる」か……例えば、ツイッターが不適切画像をAIが自動判定できるかどうか、グーグルが悪意ある攻撃を判定できるかどうか……は企業の存続にかかわる。
  3. 企業はAI開発を渇望しており、巨大な研究助成をするだけの十分な土壌がある。

日本、ヤバイですよ。
この本後半部、第3章の「教科書が読めない――全国読解力調査」の結果も衝撃的です。
新聞で有名になってしまったという問題を挙げてみると、

次の文を読みなさい。

仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアに主に広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは(   )である。
①ヒンドゥー教  ②キリスト教  ③イスラム教  ④仏教  (p.196)


結果。
中学生の3人に1人以上が、高校生の10人に3人近くが正答できなかったのです。
解答した高校生745人が通うのは進学率ほぼ100%の進学校(問題文中に出てこない「ヒンドゥー教」の選択率が非常に少ないことから、ちゃんと真面目に取り組んでいることがわかります)。
いっぽう、国語が苦手なAIは、この問題に正解できました。

ほんと、あらゆる意味で、びっくりです。
最後に、終結部に出て来る印象的な見出しを抜き書きしておきます。

  • 求められるのは意味を理解する人材
  • アクティブ・ラーニングは絵に描いた餅
  • いくつになっても、読解力は養える

池上英洋 著 ちくまプリマ―新書174   2012年2月刊

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昔、絵画は、今よりももっと「何かを伝えるためのもの」だったのであり、
「昔の人々にとっての重要な言語の一種」、コミュニケーション手段として用いる「視覚言語」だったのです。
  • 言語を学ぶには辞書が必要なように、昔の芸術作品を”読む”には、失われて久しいコードを再び手にする必要がある。(コードの再発掘「図像学(イコノグラフィー)」)
  • 絵を読むツール① スケッチ・スキル 短時間でイメージを略図化する。
  • 絵を読むツール② ディスクリプション・スキル 視覚情報を言語情報に変換する。
こういう手続きで、絵の「読み方」を解説してくれます。
いろいろと、目からウロコ、でございました。

背中に羽をはやした天使ラファエルが道案内をしている、よく見る図柄は、「金貸しの息子が天使に守られて旅をする」姿を描いたもので、金融業を営む富裕な商人層の親の安心のため、だったとか、

カトリック教会は、偶像崇拝を禁じたプロテスタントに対抗して、絵画の持つ力を最大限に活用……信者が感動するような「感情移入の力」にたけたのがカラバッジョであり、教会をまばゆいばかりの空間にプロデュースしたベルニーニである……とか、
(このあたり、ちょっと前に読んだ、バッハとルターの関係→なんかも思い出されました)

商人が力を持ち、商人層が社会の中心を構成したオランダであったからこそ、市民生活を小さなキャンバスに描き出すフェルメールという人物が脚光を浴び、活躍できた、とか(もっと言えば、オランダだからこそ、一般市民のしかも女性が手紙を読み書きしたりしたのだ、とか)。


静物画というジャンルに骸骨とか、死んだ動物とかが頻出するのも、私にはどうにも腑に落ちなかったのですが、字が読めない人々にも「いずれ訪れる死を思って、日々をよりよく生きよう」というメッセージを送るという意図を持つものだったのですね。なるほど。

今年の5月に訪れたドイツ、ワイマールで「バウハウス」美術学校を訪れた私ですが、この学校の偉大さもやっとわかりました。ここ、フォービズム、キュビズムの発信地として名高かったのですね。

絵画を色彩と形態という構成要素の集合体とみるなかば科学的な見方は、ほぼ同時期にドイツでさかんになった表現主義とも共通します。クレーやカンディンスキーらは、バウハウスという美術学校において精神的なものの視覚化、諸芸術の理論化などに挑戦しました。(p.178)

さらには、現代という時代の特性にも納得。
  • 今は、プロとアマの区別が失われていく時代である
  • 識字率が低い時代において絵画が最大のメディアだったような、伝達手段としての必要性が失われつつある。美術は、当初与えられていたような存在理由をほとんど失い、純粋に趣味的表現の場、事故表現のツールとなっている。
なかなか深~い内容をわかりやすく記述した、まさに優秀な「西洋美術史入門」でございました。

加藤浩子 著  平凡社新書830   2016年11月刊

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なんといっても、カラーでたくさんの名画が見られるのが嬉しいです。
たとえサイズは小さくとも。なんとも太っ腹!

あとがきによると、「名曲アルバム」のCDに付属するマガジン(ディアゴスティーニ社!)に連載したエッセイをまとめたものとのこと。
すべてのエピソードが、絵と文章を合わせてコンパクト(4ページほど)に収められていて、読みやすいです。

足を運んだ美術展でちょこちょこと仕入れは、すぐに忘却の彼方へと去っていくミニ知識やエピソードをまとめていただけて嬉しい、という側面と、
おお、そうでしたか!初めて知りました!という側面の、両方がありました。

前者については、
フェルメールとオランダ市民生活、シューベルティアーゼの仲間たち、ショパンとサンド、印象派と浮世絵の関係、ミュシャからムハへ、等。
後者については、
「憧れていたワーグナーに会えて有頂天」だったルノワールが徐々にその熱を冷ましたこと、マーラーの妻アルマが「芸術家たちに火をつけるミューズ」として「空前絶後の存在」であったこと(ココシュカという画家を初めて知りました)、シェーンブルクとカンディンスキーが親友同士であったこと、黒船来航時、ミンストレル・ショーの様子を三代歌川豊国が「船中狂言図」として描いていること、イプセンの戯曲を元にした「ペールギュント」をめぐってムンクとグリーグが仕事を共にしていたこと、等々。

ずっと時代を追って読んでいくと、
芸術家の葛藤といえば、かつては王族と仕える者という身分の差や、宗教画と現実世界との対立などであったものが、時代が下って一市民として生きるようになるにつれ、自らの恋愛や親子関係のどろどろ問題、芸術上の主義主張の対立へと移ってきたように感じました。
最後のエピソード、シャガールでは、彼の晩年を支えた20歳年下の妻が、シャガールの息子とその母の存在を夫の伝記から消してしまったことを扱っているのが象徴的かと。

改めてゆっくり読みなおしてみたいな、と思わせる本でした。

吉見俊哉 著 岩波新書1726    2018年9月刊

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表紙を開けてすぐの巻頭言(?)には、
シェークスピアの「リチャード3世」からの抜き書きが掲載されています。

計画はもうできている。でたらめな予言や、悪口を書いたビラや夢占いで、恐ろしい序の幕はもう切って落とされている。兄王エドワードと次兄クラレンスとが、お互いに不倶戴天の憎悪を抱くようにしてやるのだ。

なるほど。兄王エドワードをアメリカのエリート層に、次兄クラレンスをアメリカの労働者階層に読み替えれば、今のトランプ政権そのままでは?

本書、2017年9月から18年6月まで、ハーバード大学で教えた筆者が、実際に肌身で感じたトランプ大統領(2017年1月に就任)の世界を描いたもの。
大学のシステム表層だけを真似したって根付くはずなし!
という大学関連に話題については、特に目新しいもの無し。

へええ~っと思ったのは、
トランプ政権への怒りが草の根で結びついて、新たな動きを生んでいるという指摘。
銃規制に反対し続けるNRAを糾弾する「#BoycottNRA」運動が、NRAに様々な便宜を提供してきた大企業を追い詰め、わずか数週間で数多くの企業がNRAへのサービス打ち切りへと動かしたとのこと。(第4章 性と銃のトライアングル)

また、アメリカに住んでこそわかる、肌感覚の社会にも、へええ~でした。
公共サービスがガタガタになっていて、郵便は届かない、道路はガタガタ。
仕事への「誇り」を維持できなくなった現実に絶望した労働者たちが、耳に心地よいトランプのスローガンに惹きつけられて彼を支持しており、スローガンと現実のズレには気づこうとしない。(第5章 反転したアメリカンドリーム)

そして、このくだり。

トランプは「アメリカ、ファースト」と選挙戦で叫んだが、少なくともアジアではそれと正反対のことが起こる。アジアで「ファースト」の地位をますます確立していくのは、アメリカではなく中国である。中国は、その経済力はもちろん、政治力から知力や軍事力まで、アジアの覇権国家への道を歩んでいる。そのなかで日本はなおアメリカに媚び、すがり続けることにより、ますます存在感を弱めていくかもしれない。20世紀を通じ、アメリカは一国であると同時に世界であった。この二重性が、トランプ時代を機に解消されていくかもしれないのである。(第6章 アメリカの鏡・北朝鮮 p.220)

日本、大丈夫か?

倉橋耕平 著  青弓社 2018年2月刊

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サブタイトルが「90年代保守言説のメディア文化」。
90年代とは、
1989年にベルリンの壁が、91年末にソビエト連邦が崩壊して冷戦体制が瓦解。91年に湾岸戦争が、93年にユーゴスラビアの紛争などが勃発。一方、朝鮮半島の分断や台湾海峡危機など東アジアの冷戦状態は継続されていた、という時代。
このころ、韓国や台湾が経済成長を遂げて政治的に民主化していく中で、日本軍「慰安婦」だった人が補償を求めて声を上げ始めたわけです。

日本国内では、上記の「慰安婦」問題について
強制連行を示す資料さえなければ軍と政府の関与は何ら問題にならないし、問題とすべきではない(する必要がない)(p.25)
というスタンスが生まれます。これが
歴史的事実を歴史的ストーリーの解釈論にすり替える戦略 = 歴史修正主義
と言えるわけです。それには次のような特徴がみられるとのこと。

・特定の歴史的事件の「是認」「極小化」「正当化」「否定」といったレトリック
・その事件が「あってよかった」「被害者はもっと少ない」「合法的だった」という主張
・何者かの「陰謀」により被害妄想的なデータが独り歩きしたという主張

具体的には、
戦後50年にあたる1995年の「村山談話」に反発した知識人・文化人らが、1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」を発足させたこと、
小林よしのりの漫画『ゴーマニズム宣言』のヒット、保守派の雑誌で盛んに上記の歴史修正主義が論じられたことなどを指します。

実は私、「歴史修正主義」という言葉の意味自体をうまく把握できていなかったので、こういう状況整理で言葉の意味が腑に落ちたことが一番大きい収穫でした。

本書が検討の対象とする日本の歴史修正主義は、復古主義的な側面が強く、戦前日本を賛美しようとするために、「大東亜戦争」を「自衛戦争」と位置付けることでその戦争の「侵略」「加害」を否定する方向に議論を進める。それゆえ自動的に、植民地だった国と地域や日本軍が侵攻した近隣諸国との間に軋轢が生じる。(pp.21-22)

さて、社会学・メディア文化論・ジェンダー論を専門とする筆者は、
メディア研究の中でも見落とされがちだった1990年代(1920~70年代の「教養」を論じるのが人気だとか)に焦点を当て、この時代の議論が、現代のヘイト・スピーチやいわゆるネトウヨの活動につながるとして、自己啓発本・ビジネス本と言われる類の一般書籍、論壇誌・総合雑誌・オピニオン誌と呼ばれる月刊や週刊の雑誌、マンガ、新聞を分析対象に、本書を著したわけです。

ふう。かなりの字数を使ってしまった。。。
ということで、結論は本書をお読みくださいませ。

印象に残ったのは、
語られる内容を攻撃しても意味がない。
語る場が、その場の論理が、アカデミックの世界とは異質なのだから。相容れないのだから。
という点。

オピニオン誌などで声高に語っている人々は、アカデミックな肩書を持ってはいても、語る内容は「専門外」のことであって、エビデンスを示す等のアカデミックな手続きを経ていないのです。
そこに読者を巻き込んで、自分たちの共通の場を創り上げ、仲間をどんどん増やしていく……自己増殖、それが目的。それに役立つ戦略はどんどん取り込む。
普通なら、アマチュアも専門家も、お互いに参照し合い、刺激し合う関係が築かれているのですが、
こと「歴史修正主義」を語る非専門家たちには、歴史学を参照しようといった意識自体がない。

なるほどね~と思いました。
アマチュアも専門家もなく、自由に発信する時代。
いろんな教訓が読み取れそうです。

生活リズムが狂った感ありの私。またもやヘンテコな時間に目ざめてしまい、
「そうだ!これを機に浜コンのアーカイブを聴こう!」
と思ったのですが、……残念。アーカイブは「coming soon」の表示だったのでした。
海外のコンクールでは、演奏終了後すぐにアーカイブにアップ!なんてこともありますが。

ということで、スイッチを切り替えて、読書記録アップ。


大澤 聡 著(鷲田 清一/ 竹内 洋/ 吉見 俊哉/ 述) 筑摩選書 2018年5月刊
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メディア論、思想史を専門とする大学教員であり、批評家でもある著者(1978年生まれ)が、教養主義の来歴、現在、未来をめぐって、3名の相手を選んで対論し、考察した記録です。

「はじめに」には
最新の知識をマニュアル化するハウツー路線でもなければ、教養の有無をパフォーマティブに確認しあう共同体路線でもない。そのどちらにも与しない路線の選択。つまり、教養の中身ではなく、それが成立する条件やフレームの点検作業をとおして足場を組みなおすこと。教養主義の性急なアップグレードでもリバイバルでもなく、じっくりリハビリテーションからはじめること。それがこの本のミッションだ。
と、この本の目的が端的に示されています。
ネット検索するだけで、さっさと情報にアクセスできる現代、
「教養」というものの意味、価値が今までとは変わらざるを得ないことは自明。
なかなか示唆に富む本でした。
以下、ざくっと、思いっきり恣意的にまとめてみます。

  • 第1章 現代編「現代的教養」の時代(鷲田清一×大澤聡)
自由というと、自分をさまざまに絡めとってくる制度から解き放たれるようなイメージがあるが、自由とはむしろ自分が生きていく上でのコンテクストを自ら編んでいけること。
「こらえ症」と「わくわく」を併存させながら新しい教養を設計する必要がある。
  • 第2章 歴史編 日本型教養主義の来歴(竹内洋×大澤聡)
かつて、教養主義を獲得するという行為には仲間集団の外にいる者を排除する機能があった。
教養主義の崩壊とは、ようするに、おれはあいつらとはちがうんだという差別化戦略が立てられなくなっていくプロセスでもある。
大学での教養文化は1980年代に消滅。
かわりに、高度消費社会においてファッションなど別分野での差別化競争が進んだ。
  • 第3章 制度編  大学と新しい教養(吉見俊哉×大澤聡)
いま必要なのは「対話的知」。
大学にゆとりがあった時代には存在した、グループ知のようなものが衰退しつつある。
個々の関心にだけそってオタク的に行う学問には、対話の生まれようがない。
  • 第4章  対話のあとで  全体性への想像力について
「修養主義」明治期 → 「文化的教養」大正期 → 「政治的教養」昭和戦前期 →「大衆的教養」昭和戦後期  に続く現代日本の教養のあるべきモデルとして
「対話的教養+現場的教養」を提案


1980年代に大学を卒業した私、昔ながらの流派……自分よら上にいる人間に並び立ちたいという欲望に属する「教養主義」……の最後の尻尾をかじったことになるんだなあ~と妙に納得した次第。
息子と価値観が共有できないというのも、ある意味、当然なのかもしれませぬ。

今の大学が、なかなか「知」の創造の場となり得ないのは、
明治期に導入したドイツ型システムの上に、戦後、アメリカ式システムを無計画に建て増しししてしまったことが一因……という説明にも妙に納得。
これを抜本的に変革しなくてはいけない!というのは正論なのでしょうけれども、ううむ、実現、実践がほんとうに可能なのかどうか。。。

今後、対話的教養教育の実践の場として、アートが注目されていく……という流れは、確かに出てきそう。
主に美術や演劇が取り上げられていましたが、音楽にも将来性があるんじゃないかな~。

堀江貴文 落合陽一 著  SBクリエイティブ 2018年04月 刊
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著者の二人の対談記録のようですが、実際に話し合う形式ではなく、
節ごとに発言者(書き手)を変えて、相手の発言を引用、相手に反応しつつ進めていくという形式の本。
タイトルとは裏腹に、
「未来のことなんて、だれにわかるものか!現在をしっかり生きろよ!」
という強いメッセージの内容でした。

印象に残った箇所の抜き書きを。


「没頭」さえしてしまえば、あとは知らぬ間に好きになっていく。(p.56堀江)

僕たちがなすべきこと。それは社会の慣習や常識にとらわれて打算に走りすぎることではなく、自分の「好き」という感情に、ピュアに向き合うことなのだ。(p.60堀江)


AIの時代は古代ローマに似ているかもしれない。古代ローマには奴隷制度が存在したが、その役割をある程度AIが果たすというわけだ。
「研究」のルーツも、古代ローマかギリシャの貴族層が余暇時間をつぶすためにはじめたことにある。ほかにも音楽など、貴族が考えることは大体が遊びを元にするアートの追求だ。(p.69落合)

(「根性と写経の世界」という自らの表現の意味するところとは…)
努力することそれ自体が美しいという考え方が優先されコストパフォーマンスが極めて悪い前時代的な就職活動の世界のこと。(p.72落合)

みんな問いが間違っている。あなたが問うべき対象は未来ではなく他でもない、「自分」だ。自分が求めているものは何か、やりたいことは何か。今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考え抜けばいい。自分の「これが好きだ」「これがしたい」という感覚を信じ、それに従って下した判断を、誰のせいにもせず生きる。
そして、価値のゆらぎを恐れない。むしろ変化するのは正常だ。毎日、瞬間ごとに自分の判断を更新していくべきなのだ。その覚悟があれば、未来予測などしなくていい。あなたは、とにかく「今」の自分を信じればいいのである。(p.236堀江)


何も、何一つ、没頭するものを見つけられずに、日々時間つぶしと睡眠に徹する若者ができあがってしまったような場合、やはり責任を負うべきは親なのだろうなあ……と、深く、深~く反省した次第です。

落合陽一 著 幻冬舎 2018年1月刊

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ご活躍ですね。落合陽一氏。
図書館のデータによると、
<落合/陽一> 1987年生まれ。メディアアーティスト。筑波大学学長補佐、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授。JST CREST xDiversity代表。

この本を知ったのは、ヴァイオリニストの郷古廉くんのツイッターによって、でした。
  • 彼は刺激的だなあ!芸術分野に於ける人体の動きは、テクノロジーの極致だと思う。音楽の分野で技術と音楽性を区別して考える慣習があるのは大きな勘違いで、膨大な練習量、研ぎ澄まされた感性と判断、客観性等あらゆるものを注ぎ込み、それら全てが魔術化されたところに究極の美がある。(2018年5月9日)
落合氏の制作アート展を鑑賞してのつぶやきだったようです。
で、そのハッシュタグによりこの本を知ったのですけれども、予約待ちすること3か月。やっと順番が回ってきました。
が、時期的に私の方の余裕がなく、熟読はできず。
印象的だった箇所のみ抜き書きします。本論よりも、その手前の序論にほうに目が行ってしまった私です。


西洋的思想と日本の相性の悪さ
  • 西洋的思想の根底に流れるものは、個人が神を目指す、全能性に近づいていく思想です。(p.37)
  • それに対して、東洋的思想とは、一言で言うと、自然です。日本人は、どこまで行っても自然の中にある同質性・均質性にひもづいています。
  • つまり、これからの日本人にとっては、西洋的人間性をどうやって超克して、決別し、更新しうるかがすごく重要なのです。過去150年ぐらいにわたって日本が目指してきた、西洋的人間観と文化との齟齬に、どうやって戦いを挑むかという問いに直面しているのです。(p.38)
で、どうすればいいかというと…
  • 「個人」として判断することをやめればいい
  • 「僕個人にとって誰に投票するのがいいか」ではなく、重層的に「僕らにとって誰に投票すればいのだろう」「僕の会社にとって、誰に投票するのが得なんだろう」「僕の学校にとって、誰に投票するのが得なんだろう」と考えたらいいのです。個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいい
なるほど、確かにこのほうが行動しやすいですね。発想に馴染む感じ。

【「ワークライフバランス」から「ワークアズライフ」へ】
  • ワークとライフを二分法で分けること自体が文化に向いていない
  • 日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いている。無理なく、そして自然に働くのが大切
教育に関しては
  • 今の近代社会を成り立たせる全ての公教育とはほぼ洗脳に近い。
  • 我々は中途半端に個人、自由、平等、人権といった西洋的な理念を押し付けられた結果、個人のビジョンがぼやけてしまった。
  • 今の教育は、「やりがいややりたいことがない」という自己否定認識を持った歪んだ人間を生み出す。要は、欲しいものをちゃんと選ぶとか、自発的に何か行動するということを練習しない。ガマンするように指導するのに、好きなものを見つけることが重要だと言い続けるのは大きな自己矛盾。(p.51)

うー。わが身を振り返って猛省。
いつかは自発的に動き出すだろうと傍観したのが間違いだった、家庭教育。もっと強権発動するべきだった。外部の専門家に相談なんてしなきゃよかった。「押し付けてはいけません」的な助言に従うべきではなかった。
でも、そもそも彼の個性を見抜けなかった、それに寄り添えなかった親が諸悪の根源。



何を読んでも、すべて自分への批判に見えてならない昨今。
そうして私は音楽に逃げる。
仕事に逃げる。
犯罪者かも。

森博嗣 著  朝日新書402  2013年5月刊

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  • 第1章 仕事への大いなる勘違い
  • 第2章 自分に合った仕事はどこにある
  • 第3章 これからの仕事
  • 第4章 仕事の悩みや不安に答える
  • 第5章 人生と仕事の関係

第1,2章で目を引いたのは、次のくだりぐらい。

 質素な生活ができる人は、ときどき適当に働いて、のんびり生きれば良い。贅沢な生活がしたい人は、ばりばり頑張って働いて、どんどん稼げば良い。いずれが偉いわけでもなく、片方が勝者で、もう一方が敗者というわけではない。
 人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。
 「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である。(p,94)


なるほど。
「できるだけラクをして生きること」が人生の目標、それが自分にとっての成功。
「今の生活、ラクでいいじゃん。ラクができなくなったら、そのとき考える」
と思い定めてしまったような人には、やる気を出させること自体、やはり無理でしょうか。

第3章がおもしろかったです。
世の動きを的確にとらえているなあ、と思った箇所を挙げます。
入れ物や仲介じゃないぞ、中身だぞ!に共感。
レンタカーの宅配という発想、宣伝、メディアの現状になるほど。

 一方、コンテンツを作り出す仕事は滅びることはない。新聞もテレビも、危ないのは新聞社とかテレビ局というハードであって、ジャーナリズムとか、エンタテインメントを創造するソフト面では、まだまだ生き延びられる。これからは、メディアではなくコンテンツの時代だと思って間違いない。 
 これは、製造業と消費者が直接ネットで結びつくことにも通じる。商品を右から仕入れて左へ売るという「店」というハードが、どんどん不要になるだろう。(p.110)

 田舎に住んでいると、どうしても自動車が必要だけれど、これだけなんでもネットで買えるようになれば、その自動車もいらないのではないか、と思えてくる。どうしても必要なときだけ、レンタカーをネットで注文して、自宅の前まで届けてもらえば良い。(p.120)

 商品が売れて売れて困る、生産が追いつかないほどだ、というときには宣伝などしない。宣伝費を使う必要がない。そういうときには、次の商品を開発することに専念した方が得策だろう。もし商品の売れ行きが落ちてきて、品物が余っている状態ならば、これは宣伝をする価値がある。値段を下げることも効果がある。したがって、「最近よくこの宣伝を見るね」というものは、「売れていないのだな」と受け取ればまずまちがいない。(p.125)


第4章から、これはいいな、と思った部分。
そのとおり。共感です。

 人生の選択というのは、どちらが正しい、どちらが間違いという解答はない。同じことを同条件で繰り返すことができないからだ。(中略)どちらでも正しいと思える人間になると良い、というのが多少は前向きな回答になる。(p.146)

 やりたいことがあったら、どうしてやっていないのだろうか。時間がない、という言い訳を考える暇があるなら、やれば良いと思う。やりたいことというのは、寝るよりも、食べるよりも、優先できるはずだ。(p.158)。


第5章から。

 人生のやりがい、人生の楽しみというものは、人から与えられるものではない。どこかに既にあるものでもない。自分で作るもの、育てるものだ。(p.191)

「ラクをすることが何よりも大事」
と言い続けている人に、「自分で作るもの、育てるものだ」ということの重さ、輝きを伝えることは、やはり不可能でしょうか。

室田 尚子 著  清流出版 2012年5月刊 
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表紙にギョッとします(著者ご自身、漫画家の方にコンタクトして依頼されたとのことです)が、中身はたいへんよくできた解説本でした。

  • 応接室:オペラ劇場の楽しみ方
  • 「禁じられた愛」の部屋(ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」、ヴェルディ「アイーダ」)
  • 「恐い女」の部屋(プッチーニ「トゥーランドット」、プッチーニ「トスカ」、リヒャルト・シュトラウス「サロメ」、ベルク「ルル」)
  • 「困った男」の部屋(プッチーニ「蝶々夫人」、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」)
  • 「結婚相談所」の部屋(ロッシーニ「セビリャの理髪師」、モーツァルト「フィガロの結婚」、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」)
  • 「美人薄命」の部屋(ヴェルディ「椿姫」、プッチーニ「ラ・ボエーム」)
  • 「殺人事件」の部屋(ビゼー「カルメン」、ヴェルディ「オテロ」、ベルク「ヴォツェック」
  • 「魔法使いとファンタジー」の部屋(モーツァルト「魔笛」、ウェーバー「魔弾の射手」、ワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作)
  • 「身代わり請負人」の部屋(モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」、ヨハン・シュトラウス二世「こうもり」、レハール「メリー・ウィドウ」)
  • 「詐欺師と泥棒たち」の部屋(ドニゼッティ「愛の妙薬」、オッフェンバック「ホフマン物語」、ヴァイル「三文オペラ」)
  • 「子ども部屋」(ラヴェル「子どもと魔法」、フンバーディンク「ヘンゼルとグレーテル」)
  • キッチン:オペラの舞台ができるまで

私がこれまでに見たオペラ(数は少ない…)の疑問点が解決できたのが、一番の収穫です。

(1)ベルク「ヴォツェック」
登場人物がどんどん死んで行って、最後に男の子が「ポッポー、ポッポー」と一人さびしくつぶやくように歌う陰惨な幕切れ。暗くて救いのないストーリーに「いったいこれは何だ??何をめざしているのだ??」と頭の中が疑問符だらけになった私でした。(2004年のサイトウキネン・フェスティバル。卓越した舞台意匠が忘れられません!)
【疑問への答え】
オペラが夢物語としてだけではなく、「私たち自身の問題」として考える材料となり得ることを示した作品。ピエール・ブーレーズ(20世紀を代表する作曲家で指揮者)は
『ヴォツェック』はオペラそのものの総括であり、おそらく『ヴォツェック』をもってこのジャンルの歴史が最終的に幕を閉じたのである。このような作品のあとでは、劇音楽はまったく新しい表現形式を探さなければならないように思われる
と述べている。
オペラに登場するすべての人が不条理な社会に押し込められたまま身動きが取れず、そこに絡めとられている、という状況は現代にも通ずる。芸術が「絵空事」で終わるなら、芸術に未来はない。この作品では、最後に残る子どもをどう捉えるか、さまざまな演出で新たな解釈が提示され続けている。

(2)オッフェンバック「ホフマン物語」
つい最近見たオペラです。
私としては、この作品にも「私たち自身の問題」として考えるべきテーマが示されていたと思うのですが(→鑑賞記録)、「親友のニクラウス(実は詩の女神)」「恋敵のリンドルフ(実は悪魔)」等の設定の意味が????だったうえ、有名な「ホフマンの舟歌」がストーリー展開には関係なしと知って驚いたのでした。
【疑問への答え】
ホフマンの恋の遍歴というかたちをとる物語だが、実はカギを握るのは詩の女神ミューズと悪魔の存在。ミューズが詩人ホフマンを芸術の道へ引き戻そうとする一方、悪魔はリンドルフから人形師コッペリウス、医師ミラクル、魔術師ダベルトゥットへと姿を変え、ホフマンの運命を操る。つまり、根底には女神と悪魔のかけひきがある。
また、現実と幻想(人形オランピア、歌姫アントニア、高級娼婦ジュリエッタは夢?)、過去と現在が渾然としている不思議さが魅力でもあり、有名な二重唱「ホフマンの舟歌」はこの作品のムードを見事に表している。


なるほど。お見事な解説!と納得いたしました。
表紙からわかるように、たいへんくだけた語り口で読みやすいのですが、
中身はしっかり詰まっている本でした。


追記:
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実はこの記事を書きかけの状態で、たまたまNHK「ららら♪クラシック」の録画を見たところ、著者の室田さんが「30分オペラまるわかり ドン・カルロ」という回に登場され、
オペラはマンガ好きにはたまらない。「ヘタレ」「ギャップ萌え」「BLの香り」といった少女漫画の視点から語ることができる
と主張されていました。ここでもまた、
なるほど、この人にしてこの著書あり!と納得しました。

中川 右介 著   NHK出版新書481   2016年2月刊行
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『冷戦とクラシック 音楽家たちの知られざる闘い』の前著にあたるというので、興味をひかれて。
標題を見て感じたとおり、「はじめに」にこうありました。

本書の書名を見て、中野京子氏のベストセラーシリーズ「怖い絵」を思い出す方も多いだろう。もちろん、この本は、中野氏の一連の本からヒントを得ての企画である。(p.10)

でも、中身はだいぶ異なる印象。
各章が特定の「絵の紹介」として独立したエッセイ、軽妙な読み物となっていた中野氏の作品に対し、
本作は「音楽史を辿ろう」というテーマの切り口として「恐怖」という言葉を借用しただけ(こじつけっぽい箇所も…)、のように感じます。

第一の恐怖 父――モーツアルトによる「心地よくない音楽」の誕生
第二の恐怖 自然――ベートーヴェンによる「風景の発見」
第三の恐怖 狂気――ベルリオーズが挑んだ「内面の音楽化」
第四の恐怖 死――ショパンが確立した「死のイメージ」
第五の恐怖 神――ヴェルディが完成した「宗教のコンテンツ化」
第六の恐怖 孤独――ラフマニノフとマーラーの「抽象的な恐怖」
第七の恐怖 戦争――ヴォーン=ウィリアムズの「象徴の音楽」
第八の恐怖 国家権力――ショスタコーヴィチの「隠喩としての音楽」


目次を見ると各章一人の作曲家に限っていますが、本文にはさまざまな作曲家との比較や影響関係(同時代も時代を超えても)、音楽家の交友関係、さらには後世の演奏家エピソードも綴られています。ちょっととっ散らかったかな、とも思います。伝えたい情報があふれていることはよくわかるのですが。

  • 心地よさが求められるBGMとしての宮廷音楽から、市民階級のための有料の音楽会へと歴史が移行し、「藝術の鑑賞」を求めるからには「軽佻浮薄な音楽よりも、重厚長大なほうがいい」という風潮が一部に生まれ、「難しいクラシック」が始まった。
  • 短調の怖い音楽を書いたモーツアルトは時代を先取りしていた。
このあたりは、まあわかりやすいです。
  • 自らが作曲した「葬送行進曲」で葬られた最初の作曲家は、おそらくショパン。
  • 「レクイエムはカトリックのものである」という枠組みをはずすキッカケをつくったのがヴェルディ。
  • ラフマニノフ(ロシア革命で祖国脱出)、マーラー(ユダヤ人でありながらウィーンでの職のためにキリスト教に改宗)ともに、故郷喪失者として20世紀の怖い音楽を書いた。
  • 戦争を身近なもの、音楽家たち自身に襲い掛かるものと意識するようになったのは第一次大戦から(それ以前は「遠い場所」で起こるものへの「讃歌」でよかった)。
こういった視点には、なるほど、読者として発見を感じました。
ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ブリテン、といった英国の作曲家の人生については初めて知りました。
最近、切れ切れにいろいろ読んだショスタコーヴィチについてまとめて読めたのもよかったです。


中川右介 著  NHK出版  2017年07月刊
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序章  「戦後」の始まりーー1945年
第1章   鉄のカーテンーー1945〜49年
第2章   雪どけーー1953〜58年
第3章   音楽外交ーー1958〜64年
第4章   停滞の時代ーー1965〜86年
第5章   三人の指揮者の死ーー1987〜90年

中心人物は、
最終章のタイトルである三人の指揮者、
  • ヘルベルト・フォン・カラヤン(終戦時37歳)
  • エフゲニー・ムラヴィンスキー(終戦時42歳)
  • レナード・バーンスタイン(終戦時27歳)
そして、もう一人。作曲家の
  • ドミトリー・ショスタコーヴィチ(終戦時37歳)。
世界史に疎い私(恥!)、これまで知らなかったこと、気に留めなかったことに目を開かされる思いでした。
あまりに情報量が多いので、項目別に分けて書きます。

(1)東西ドイツ

五月の終戦時にベルリンを占領したのはソ連軍だった。
米英仏軍も来て四カ月の分割統治となるのは八月半ばてま、それまでは何をするにもソ連軍の許可が必要だったし、演奏会の客もソ連軍兵士が多かった。
そのベルリンで、音楽は他のなによりも早く再興されていく。(p.30)

この箇所での小見出し「ベルリンの不運な指揮者」とは、ロシア生まれのドイツ人レオ・ボルヒャルト。戦中、ナチスに干された彼は、ドイツ敗戦後、ロシア語を生かしてソ連軍(ベルリンを単独占領中)司令官と交渉。フィルハーモニーの活動再開を認めさせます。しかし、彼はわずか3カ月後に米軍兵の誤射で即死。彼を失ったベルリン・フィルハーモニーはソ連との関係が薄れ、結果的に西側のオーケストラとなるのです。

なんというか、歴史のいたずら、というものを考えさせられます。

そして、その後、ベルリン支配に加わった西側の米英仏3か国は、48年、三者統一政府に。
自国の復興に追われる英仏に対し、「早くドイツに復興してもらって、貿易を始めたい」と考える米国が主導権をとって新通貨ドイツマルクを流通させはじめ(通貨はアメリカで印刷)、これにソ連が反発して「ベルリン封鎖」(西ベルリンに通じる鉄道、道路、水路をすべて封鎖)となったのですね。
「ベルリンの壁」ができたのは1961年だということも、初めてちゃんと認識しました。
(壁があった1961-1989年より、崩壊後の1990-2018年のほうが長い……いまや、ベルリンの壁は遠くなりにけり、でしょうか)

カラヤンがベルリン・フィルに専念することになるのは1964年(ベルリン・フィルの指揮者就任は55年だが、57年からウィーン国立歌劇場監督も兼任)で、今のベルリン・フィルの金色のホール完成に合わせる形。金色ホールは「カラヤン・サーカス」と呼ばれたんですね。
私の中には、カラヤン=ベルリン・フィル、という図式があったんですが、戦後すぐに決まった関係のわけじゃない、と知りました。

(2)ソ連

まずもって、戦時中にオーケストラが疎開していた、ということにびっくり。
レニングラードがドイツ軍に包囲された戦中の1941年、レニングラード・フィルハーモニーと指揮者ムラヴィンスキーはシベリアへ疎開。包囲戦終了の44年9月に故郷へ戻り、瓦礫の中で音楽を奏で続けて45年5月の勝利の日を迎えたのでした。
このオーケストラと指揮者の関係は、戦後に至っても鉄壁です。

ソ連国内での政治的な個人弾圧については既にいろいろ読みましたが、私にとっての新情報が次々に。
ピアニストのリヒテルもまた、その出自(父がドイツ人で、独ソ戦開戦直前にスパイ容疑で逮捕。母は別の男と駆け落ちしてドイツへ逃亡)を理由として、1歳年下のギレリスに遅れをとったこと(全ソ連邦音楽コンクールのピアノ部門優勝はギレリスの12年後の1945年)、
1948年1月10日には、またクレムリンに70人以上の作曲家、指揮者、音楽学者が集められ、独裁国家ならではの密告と保身と裏切りの狂想曲が展開されたこと。

昨日まで国家を代表する英雄だったショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ハチャトリアン、ミャスコフスキーたちが形式主義者、個人主義者だと批判された。ショスタコーヴィチたちを失脚させれば、自分の作品の演奏機会が増えると考えた、ショスタコーヴィチたちよりも才能のない音楽家たちがいかに多かったかを物語る(p.74太字、下線はby PIO)

いやはや、ほんと、怖いことです。
プロコフィエフはこの5年後、スターリンと同日(1953年3月5日)に死去(61歳)。
1975年死去のショスタコーヴィチ(68歳)は、私にとって「昔の人」のイメージでしたが、実はカラヤンと同い年です。
ショスタコーヴィチが、チェリスト・ロストロポーヴィチの師にあたり、ロストロポーヴィチは文学者ソルジェニーツィンを助けたこと等で当局に睨まれて干され(ロストロポーヴィチのソ連国内最後の演奏は、小澤征爾の強い要請による特例)、国外脱出するしかなくなったこと、
それゆえ、ロストロポーヴィチは親友ショスタコーヴィチの死に立ち会えなかったこと、等も初めて知りました。

(3)鉄のカーテン

「鉄のカーテン」という表現、ヨーロッパが完全に東西に分断される以前の時点での、英国のチャーチルによるものだったのですね。無知な私。

スターリンはチャーチルの挑発に乗って、それなら本当に鉄のカーテンを降ろしてやると決意したのかもしれない。(p.48)

ひえ〜。言葉の力って、侮れません。

(4)聴衆の力

西側のピアニストとして、ソ連で演奏会を開いた第1号は、
カナダ国籍の、グレン・グールドだったのですね。
彼の≪ゴルトベルク変奏曲≫はアメリカでベストセラーとなったものの、ソ連では全くの無名。

宗教とは関係のないバッハ のピアノ曲はレッスンで弾く曲という印象が強く、バッハ は、わざわざ演奏会に行ってまで聴くような作曲家だとは思われていなかった。
そのため、大ホールの客席は半分も埋まっていなかった。しかし、前半のバッハ かま終わると、少ない聴衆は熱狂的な拍手とブラヴォーを贈った。何の予備知識もない人びとが、宣伝に踊らされたのでもなく、評論家の文章を読んで鵜呑みにしたのでもなく、自分の耳で聴いて、熱狂したのだ。(p.148)

そして、休憩時間が1時間と長いソ連では、聴衆たちがその間、友人や知人たちに「すごい演奏だ。すぐに聴きに来い」と休憩時間に知らせるのです。

ソ連は日常生活において口コミが発達していた。政府や共産党の発表が嘘ばけりだと国民は知っていたので、その対抗手段として、クチコミネットワークを発達させていたのだ。こんにちのSNS社会を、ある意味では先取りしていた。「新しい音楽」に飢えていた人びとの間に、グールドのことは数十分のうちに伝わり、休憩後の後半は満席となった。(p.148)

ロシア聴衆の耳の確かさ、音楽に対する熱意って、ほんとに伝統なのだなあ、と思います。
米ソ緊張関係の中、第1回チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門優勝者をアメリカのクライバーンとした原動力も、ソ連の聴衆の熱狂ぶりだったのだとか。
私は「米ソの政治的合意が事前にあった」という説を読んだことがあったのですが、聴衆の力、というのが事実だろうと思います。


その他、
主な登場人物たちの政治活動ぶり、とか(バーンスタインは超積極的)、
ソ連に留まった音楽家、亡命した音楽家、それぞれの想い、とか
有名な1980年の第10回ショパンコンクール、ポゴレリチ事件なども描かれていましたし、
いろいろ思うところもありますが、長くなりすぎるので、このへんで。

サブタイトルに言う、音楽家たちの「闘い」とは、
音楽家同士、あるいは特定の相手とのバトルではなく、
音楽家が自らの置かれた境遇の中でもがく、という意味かと。
音楽の天分を与えられた先人たちの足跡、大きいです。重いです。

中川右介著 朝日新聞出版 2016年4月刊

第二次世界大戦を、その渦中を生きた音楽家たちがどう生き抜いたか、という点から描いた本です。
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私、ちょうど友人を訪ねるドイツへの旅から戻ったところで、ドレスデンの州立歌劇場や、ベルリンのコンツェルトハウスへも足を運んだので、
「ほおおお、あそこで、そんなことがあったのかっ!」
と、膝を打つような内容も多々あり、たいへん有意義でした。

例えば、
ベームが音楽監督をしていたハンブルクとドレスデンとでは、歌劇場としてはドレスデンの方が格上だった。ベームは何としてもドレスデンのポストが欲しかった。そのためにはナチスに気に入られなければならないことも分かっていた。(p.72)
とか。
確かに、外装も内装もすごいスケールでしたけれども、ステータスも高かったのですね、
ドレスデンの"Senperoper Dresden" (Sächsische Staatsoper Dresden ザクセン州立歌劇場) って。

また、
ナチス・ドイツとは、藝術家としては成功できなかった三流藝術家たちが、一流の藝術家を支配することで、自らの藝術的野心を満足させるための巨大な玩具だった一面も持つ。(p.52)
という視点にも驚きました。
ヒトラーは画家志望、ゲッペルスは作家志望だったとは。

そして、独裁者に気に入られるか否かで、人生が大きく変わる……時によっては死に至る……という世の恐ろしさを改めて感じました。

その例はショスタコーヴィチ。
1936年、ボリショイ劇場には彼のオペラ「ムチェンスク邸のマクベス夫人」観劇に訪れたスターリンの姿が。「いつお呼びがかかってもいいように劇場で控えて」いたショスタコーヴィチだったのですが、スターリンは作曲者を呼んで歓談するどころか、何も言わずに途中で帰ってしまったのでした。

これを皮切りにソ連のありとあらゆる紙媒体がショスタコーヴィチを批判し、彼の曲は他の交響曲などを含め、演奏されなくなってゆく。
天才作曲家は理由が分からない失脚をした。
スターリンが席を立った理由は、誰にもわからなかった。「プラウダ」が批判した「形式主義」が何を指し、どう悪いのかも誰にも分らない。(中略)スターリンの追随者たちは、とにかくショスタコーヴィチを批判しなければと考え、「形式主義」なる言葉をひねりだしたのだった。(p.156)


また、時代の流れをしっかり見据えて行動することの大切さも思い知りました。
ある時点までは善行だったことが、世の流れとともに犯罪になってしまうこともあるのです。
フルトヴェングラー、そしてカラヤンも、しかり。

ヒトラー誕生日の記念演奏会で演奏を任されるのは、音楽家にとって、ナチス政権時代は名誉なことであり、戦後はその経歴に汚点として刻まれることになる。(p.53)

フルトヴェングラーは「政治音痴」だったとかで、音楽と政治は切り離して考えるべきだ、という主義で、ヒトラー政権下に平気でユダヤ人演奏家をドイツに招こうとして周囲に呆れられたりしたのだそうです。
前述のように、藝術的野心家の集団でもあったナチス・ドイツは、内閣の一つに国民啓蒙・宣伝省を設け、文化・藝術行政を担わせました。それゆえに、

戦争国家であり、人種差別国家であると同時に藝術至上こうっかでもあったことが、多くの藝術家に判断を誤らせたのだ。(p.52)

ということになるのです。
カラヤンが若くしてドイツで活躍を始められたのは、国外に逃げ出した大物指揮者たちの空席があったからだった一方、彼自身が狙っていたドレスデンのポストを逃したことが戦後、功を奏し、

戦後のカラヤンには「ヒトラーに嫌われていたので、ドレスデンの音楽監督に就任できなかった」という事実が必要だった。(p.325)

ということに。
フルトヴェングラーも、戦況悪化につれ、ヒトラー誕生日を祝う式典の指揮者から逃れるべく、考え得る限りの策を弄することに。そして、戦後は裁判を受けるものの、ヒトラー政権に近い立場にいつつ、逆にその立場を利用して多くのユダヤ人を逃がしてもいたことが評価され、無罪となります。

一方、ショスタコーヴィチは、1942年、第七交響曲「レニングラード」で復活を果たします。
アメリカをはじめとする西側でも「ファシズムとの闘い」を描いた曲として評判になり、
イタリアの反ファシズム老指揮者(トスカニーニ)によるアメリカ初演(スタジオからの放送演奏会で全米に放送)が全米国民の胸に響き、

参戦したばかりのアメリカが、ヨーロッパ戦線で闘う連合国と一体となったのはこの時からと言われる。
トスカニーニの狙いは、まさにそこにあった。彼は音楽の力を知っていた。(p.316)


のだそうです。音楽の力、ひしひし。
その楽譜は、封鎖が続き、飢餓に苦しむレニングラードにも、ドイツ兵の包囲網をくぐり抜けての極秘搬入されて、ついに当地でも初演がかないます。

ホールは超満員となった。入れなかった人のために拡声器を使い全市に流され、レニングラードを包囲しているドイツ軍兵士の耳にも届いた。
それは市を包囲しているドイツ軍に対しての音楽でもあった。ドイツ軍のレニングラード戦線司令官は、演奏の邪魔にならないように、始まる前に大砲での集中爆撃をしてしまうように命じ、演奏中はこの音楽を聴いた。
この一時間ちょっとの間、レニングラード市と包囲するドイツ軍と、中に立て籠もるレニングラード市民とはひとつになれたのかもしれない。夢のような時間だった。(p.317)

すごい切迫感です。音楽への飢餓感と、音楽の持つ力の放出と。

これら以外にも
メシアンが「夜の終りの四重奏曲」を作曲したのは収容所の中で、そこで組むことのできた四重奏団の楽器に合わせ、クラリネットを入れた編成になったのだ、とか
ドイツが併合した国々でも頻繁に音楽会を催し、満員の盛況だったというが、その観客のほとんどがドイツの軍人だったとか、
なるほど~と思うポイントがたくさんありました。

そして、ナチス・ドイツの黒い歴史を持ちながら、
戦後、しっかり歴史と向き合い、東西ドイツの統一もプラスに変え、ここまで着実に世界での地位を高めてきたドイツの力に、改めて敬服する思いを抱きました。

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