PIOピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

カテゴリ:書籍レビュー > 小説(海外)

エドワード・ケアリー著、古屋美登里訳
出版社: 東京創元社
価格: 3780円
発売日: 2019年11月29日

41R29Zt42oL

「おちび」っていう題名、薄ピンク色の装丁、ドレスを取り巻く小さなイラストたち、きっと可愛らしい女の子が活躍するメルヘンチックな小説よね。。。そんな予想が見事に裏切られます。

いったいどういう経緯でこの本を図書館に予約したんだか、もう思い出せません。
コロナ禍による引きこもり生活も、遠隔オンラインで押し寄せる仕事への対応だけで青息吐息となった私、1か月以上、本を一冊も読めないという前代未聞の事態に立ち至っておりました。

さすがに「読書禁断症状」に陥り、図書館から借りていた一群の本(図書館コロナ休館につき、貸出期間延長)の中から、装丁の可愛らしさにひかれて手に取った次第。

出だしは「おしん」感たっぷり。
アルザス地方に生まれた小さな少女アンネ・マリー・グロショルツ。
戦地に赴いた父親不在の中で、母とともに穏やかな日々を過ごします。
やがて、身体障碍者となった父親が戦地より帰還。その現実を受け入れられない母、父の死、そして経済的な自立を求めての母と二人でのパリ行き。
「パリにおいて、お医者様の補助をすることによって自立する。」
なんて素敵♪
と思っていた二人は、パリに到着して愕然とします。

お医者様の仕事は、
続々と届けられるリアルな人間の臓器(!)から、蝋(ろう)人形ならぬ蝋臓器を作ること。

そして、わずか9歳のマリーは、蝋細工の技術を身に着け、
降りかかる想定外の状況を切り抜けつつ、パリでたくましく生き抜いていくのです。
ときは、フランス革命前後。
なんと、マリー・アントワネットの出産に身近に接し、その夫君である王とのコミュニケーションまで描かれるのですよ。
まさに数奇な人生。

終盤に、ほんとに最後になって、
「タッソー」という男性と結婚し、結局、彼をフランスに置いたままロンドンへ渡る、という状況に。そこでやっと私、気づきました。

蝋人形?
タッソー?
あれ?

そうです。マダム・タッソー。
びっくり。
それにしても、彼女が生きた時代がマリー・アントワネットの時代だったとは。

ノンフィクションではなく、小説であるとのこと。
装丁(よく見ると、小さなイラストは人間の臓器だったりするのです)、イラスト、ストーリー、よくできています。

著者: デイヴィッドアーモンド
出版社: 東京創元社
発売日: 2009年01月22日
51Qh4ViNdGL

両親、生まれたばかりの妹とともに、荒れた家に引っ越してきた少年マイケル。
家には、ここで死を迎えた元の持ち主・孤独な老人アーニーの影がそこここに。
ずっと具合が悪い、生まれたばかりの妹。
精神状態不安定の母。
母を励まそうと家の改装に励む父。
バスで通わなくてはいけなくなってしまった小学校。

敷地内には、朽ち果てたガレージ~小屋~が。
おずおずと足を踏み入れたマイケルは、そこで、「彼」に出会います。
ほこりにまみれ、やせ細り、体じゅうを痛がって動けなくなっている黒いスーツの男。
くさい息、散らばるアオバエの死体。。。なんとも不穏な出だしです。

学校に通わず、自宅で母に教育を受けている少女・ミナと心を通わせ、
ミナと「彼」を会わせたマイケルは、
ミナの主導のもと、「彼」を別の場所へ移動させることに成功。

再入院の決まった妹とともに母は病院へ。
ミナから、耳を澄ませて音を聴き取ることを教わったマイケルは、
木の中のブラックバードの声を感じるのと同じように、
自分の鼓動の中に、妹の小さな鼓動も聞き取れるようになります。

ウィリアム・ブレイクの詩を暗唱し、自然を楽しみ、のびのびと生きるミナ。
「学校教育」に縛られるマイケルの周囲の大人。
この対比に、ハッとさせられることが多々ありました。

そして、スケリグと名乗った「彼」は、思ったよりずっと若い青年であることがわかり、
フクロウと共に暮らすようになって、元気を取り戻していきます。
そして、この本のタイトルです。
彼の背中にこぶのようになって張り付いていたものは、翼だったのです。

翼といえば、マイケルと母の次のような会話も出てきました。

「うちのあかちゃんも翼を持ってたと思う?」
「ええ、ぜったい翼を持っていたと思うわ。よく見てごらんなさい。ときどきかあさんは、あの子はまだ天国を離れきっていなくて、この世にちゃんと降り立ってないんだと思う」
母さんは微笑したがその目は涙ぐんでいた。「だからこそ、この世にとどまるのに苦労しているのかもしれないわ」

ここには母親の柔らかな心が感じられるのですが、その彼女も、スケリグの姿は夢の中のものと思い込むのでした。

一般的な大人の、偏狭な価値観、
ピュアな子供の、自然界、そして不可思議な存在との交流。
この対比にハッとしました。

そして、すっかり凝り固まっている自分の心に気づかされました。
「肩甲骨」という言葉に惹かれて手に取りましたが、軽そうに見えて予想外の深さがありました。
実は児童書だったみたいですが、大人にこそ響く世界かも。
おススメです。

2107AD0B-AF5D-42E1-B3CB-58864195ABC0

統合失調症を患った特異な女性の話?……と読み始めたら、ごく一般的な女性の生き方を淡々を描くものでした。韓国人女性は元気!前向き!というイメージが偏ったものだと実感。

数年前に話題になった本。
図書館の待ち人数が落ち着いたのをみて、借りてみました。

幼い娘を育てている裕福な家庭の若い主婦が、なぜだか時折、自分の母(娘の祖母)になりかわったような言動をしてしまう。その姿にぎょっとした夫が精神科医に彼女を連れていく。

そんな場面から始まる小説です。

本のカバーの内側には、愚痴のような文言が。
ムンジェイン大統領もプレゼントされた!
K-POPのアイドルが
この本を読んでいると
発言しただけで炎上!
韓国の社会現象となった本書が、
世界的に#MeTooムーヴメントの
まきおこる今、ついに日本上陸。

乱暴にまとめてしまえば、ジェンダー論の実写版。

男の兄弟に教育を受けさせるため、お金を稼ぎつつ家事を一手に引き受けるのが「女性のあるべき姿」とされた母の時代。
娘には自分のような思いはさせまいと心に決め、経済危機のあおりで公務員を退職した夫を叱咤激励し、ともに食堂を開いてきりもりする母です。

その娘がキム・ジヨン。
ジヨン氏姉妹は一度も、良い男性に出会って嫁に行けとか、良い母親になれとか、料理が上手でなきゃいけないとか言われたことはなかった。

ううむ。ジヨン氏の立ち位置って、私の世代に共通するような。
このジヨン氏が経験する「女性差別」って、私の世代とほぼ同じ。
そういう感慨が一番強く残りました。

そうそう、この「ジヨン氏」っていう書き方に初めは違和感を感じたのですが、
読み終えてみると、韓国語での呼び名そのままの日本語表記だけに
「韓国の生の声!」感が強く出て、この本には合っているように感じました。

ラグナル・ヨナソン著 吉田 薫 訳  小学館文庫 2017年5月刊

51rKgHxvtVL
風邪をずるずる引きずって、どうにも倦怠感。。。そんな週末は、ごろごろしながらミステリーを読みふけるのにぴったりです。

初めて読んだラグナル・ヨナソンは、「アイスランドのアガサ・クリスティ」の異名をとる日本初登場の作家とのこと。ただし男性です(巻末の「謝辞」に「妻」への感謝が書いてありました)。

主人公は、警察学校の卒業を控えたアリ=ソウル・アラソン(24歳)。
哲学、そして神学を専攻途中で警官へと進路変更した若者です。
彼女と同棲中だったレイキャヴィクから、北の最果ての地・シグルフィヨルズルへの赴任を独断で決めて以来、医者の卵の彼女との仲はギクシャク。

赴任地は、家に鍵もかけないのが普通、という田舎の地。
かつてはニシンでにぎわった漁師町は、人口も景気も衰退の一途で、「事件など起きない」と上司が請け合うほどだったのに、なんとこの町の住人二人が立て続けに死を遂げます。

高名な老作家が階段から落ちて。
頭部から大量出血した上半身裸体の婦人が、雪の中に横たわって。

老作家が関わっていたアマチュア劇団員たちが容疑者に?
その中には、アリ=ソウルといい仲になる、劇団員にしてピアノ教師の若い女性も。
アリは彼女にピアノを習い始めたのです。

いかにもアイスランドという感じの、しんしんと寒さが募るような描写とともに、何やらいわくありげなアマチュア劇団員たちの様子が淡々と描かれます。
丁々発止とか、血沸き肉躍るとか、アリウッド映画的アクションとか、ありません。
でも、ぼわんとした私の頭にはちょうどよかったです。
最後の謎解きには無理やり感なく、納得できましたし。

絶対的なワルが、証拠不十分で捕まらないのに……という側面もあるのですが、それもまた実社会の反映だよね、という気分に。
北欧ミステリー、なかなかよいです。

「Pachinko」の著者へのインタビューが興味深かったので、貼り付けます。



執筆にあたっては、歴史学と社会学のアカデミック・リサーチを行ったうえで、日本に住んで多くの在日韓国人にインタビューをしたんだそうです。
そのインタビューも、ちゃんとアカデミックな手法で分析したとのこと。
その上で生れたキャラクターたちが、小説の登場人物たち。

在日韓国人を「犠牲者(Victim)」と捉えるのは間違いだとよくわかった、
彼らの生きようは実に多様性に満ちている。
そういうことを伝えるには、
個々人を描く(Individual)よりも、もっと広い視野で(Panorama)で書いたほうがよく、
個人の伝記よりも、フィクションのほうが向いていると思う。
コミュニティを描きたかった。

といったことが印象に残りました。
なるほど。
そういう意図があっての、4世代にわたる小説なのですね。納得です。

MinJinLee 著   
(National Book Award Finalist) (English Edition) Kindle版
2017年08月刊
518GQ9aPgVL
何年ぶりかで、英語の小説を読破しました。

日本が韓国を併合していた時代、誠実な、でも口蓋裂があり足が不自由な男性と、没落した家柄の15歳の少女が見合い結婚をしたのが1911年。この夫婦にやっと生まれた娘・Sunjaが市場で見染められ、恋に落ち、妊娠し…。ところがこの相手Koh Hansuは大阪に日本人の妻と娘たちを持つ韓国籍の既婚者。
そんな折、Sunjaの母が切り盛りする民宿で病に倒れ、看病を受けた若く敬虔な牧師Isakは、大阪で新生活を始めるにあたってSunjaを妻として同伴しようと決心し、Sunjaもそれを受け入れたのでした。

以来、夫Isakの死後もずっと日本で生活することになるSunja。
ストーリーは、彼女の息子Noa、Mozasu(聖人Noah、Mosesから)
Mozasuの息子、Solomonの世代まで(1989年まで)、ストーリーは続きます。
息子を、孫を、ずっと見守りつつづけるSunja……壮大なる大河ドラマです。

本のテーマは「在日」ですが、それ以外にも多くのマイノリティが登場します。
身体障碍者(Sunjaの父)、精神薄弱者(Mozasuの親友の弟)、原爆被害者(Isakの兄)、部落民(肉屋の祖先や一般的記述として)、LGBT(Mozasuの親友)、売春婦を母に持つ娘、不倫により故郷を追われた女性、都会で性産業に従事する娘、、、
そして、マイノリティを切り捨てようとする社会、支配層、無知な一般人の言動が、さりげなく、あちこちに盛り込まれます。

それから、アイデンティティの問題も。
重要なのは、血筋か、育ちか?
愛情とは?権力とは?

決して被害者意識、日本糾弾意識で書かれた物語ではありません。
読んでいて不快を覚える箇所が、まったくありませんでした。
それどころか、最初から最後までストーリーの続きが気になって、わくわくしながらページを繰りました。お見事だと思います。
ヤクザの政治力も絡んで、すごい勢いでストーリーが展開していく箇所もいくつか。
嫁・姑問題はまったく出てきません。仲間とみなした者たちへの優しさは特筆ものです。

戦中の差別やむごい仕打ちよりも、
1989年の日本人の発想、日本社会は変えられない、「仕方ない」、という記述が、胸に突き刺さりました。
2019年、30年も経った今も、確かにそうかもしれない……という思いが拭えません。
でも、それではいけないと強く思います。

「パチンコ」というタイトルが意味するもの、
それは最後まで読み通して、初めてわかるもののように感じました。
多くの人に読んでもらいたい、そしてこれを契機にいろいろ考えたり語り合ったりしたい、と思いました。
筆者はアメリカで歴史学の博士号を取得した、韓国生まれの女性です。

そうそう、この小説の中の舞台を紹介する、こんなサイトもありました。
おすすめです。

サイモン・フレンチ 著  野の水生 訳  福音館書店 2012年1月刊

51QgYxbZgyL
児童書です。でも、深いです。
原題は "Where in the world" 、原著は2002年、著者在住オーストラリアでの出版。

構成が秀逸です。
小学生の男の子、アリの語りによる物語。

そうか、トマスにも、こわいものがあるんだ。
思いがけないことだった。こわがらせようなんて、そんなつもりはまるでなく、ぼくはただ、足もとに広がるながめを見せたかっただけなんだ。(小節冒頭「ぼくの心はここになく」p.7)


そして、「でも、このあたりには、きのほうがぼくより長く住んでるのに」「ここへ越してきたとき」「ドイツからはじめてここへ来るときに」等から、「ぼく」の事情が徐々にわかってきます。

「ダス・イスト・タレント」才能だな。オーパは母さんに言った。
「ヴァス・イスト・ダス?」才能ってなに?ぼくはたずねた。
「シュラウ」頭がいいってことだよ。オーパは答えた。(第2節「遠いむかし、はるかかなたで」太字原文のまま p.13)


そう。主人公の少年アリは、音楽の才能にあふれた少年。
ドイツに生まれたアリは、3歳と2週間で父を交通事故で亡くし、母の父オーパの家で暮らすことに。ヴァイオリニストだったオーパは、彼にとって唯一無二の音楽の師匠となったのでした。

「ねえ、アリ、ドイツ語なまりが少し取れてきちゃったわよ」と母さんに、二度だか言われたことがある。「前とはちがってきちゃったもの。母さんにはわかる。飛行機雲……みたいに、だんだん消えていったしまうのね。そのうち、あなたの英語、そこらのおちびの<オスィー>みたいになるんじゃない?」オーストラリア人を指す<オージー>を、母さんは<オスィー>と発音する。(p.19-20)

ここにきて、今はアリが母さんの再婚相手、ジェイミーとともにオーストラリアで生活していると判明するのです。
大好きなオーパと離れて。

アリ、サッカーの名ゴールキーパー。アリ、算数の問題をだれよりも早く解く子。アリ、町はずれの、洞窟のそばのカフェに住んでる子。(p.20)

これが、アリに対する周囲の認識です。
才能にあふれるヴァイオリンを人前で弾こうとしないアリ。音楽カフェを営む母とジェイミーは、大学生のピアニスト・アリソン、コントラバス担当のベンも雇って、ともにステージに生演奏を披露しているのに。
オーパからの楽譜に沿って、きちんと練習はしているアリなのに。

この後、つぎの3つが混ざり合いながら、アリの視点から描かれていきます。
  • 母とアリの二人旅の様子(アリ6歳のときの欧州、そして8歳のときの豪州旅)
  • オーストラリアに引っ越してからの生活を、アリからオーパへの電話として。
そして、
  • オーパと電話できなくなってからは、オーパ宛ての届かないEメールとして。

ドイツ語の太字が、小説を進めていく原動力ともなっています。
一部を抜き書きすると、

「ヴェルヒェス・イスト・ダス・フレッヒステ?」どの子がいちばんなまいきっ子?(p.53)ニュルンベルグで世話になった家に飾ってあった孫の写真を見て

「イッヒ・ヴェルデ・エス・ニヒト・フェアゲッセン」ぼく、忘れないよ。ナポリで、即興で弾いた音を忘れないようにね、という母に応えて
「マイン・シュラウアー・ゾーン」なんてかしこい、わたしのぼうや。
「イッヒ・ハーベ・フンガー」おなかすいたよ。
(p.64)


「ノッホ・ニヒト」まだだいじょうぶ。
「ヴァス・イスト・ロス?」どうしたの?
「イッヒ・フェアステーエ・ダス・ニヒト」なんの話かわかんない。
(p.75)
ギリシャのコルフ島で、旅のお金が尽きたことや将来への迷いを口にする母の独り言に

「ママ―、シャウ・ディア・ダス・アン!」母さん、これ見て!(p.103)
「エス・イスト・ヴンダシェーン!」すごいよう。(p.104)
豪州旅行中、ジェイミー自作のシロフォンを見て

「ダス・イスト・ミア・パインリッヒ」恥ずかしいよ。(p.108) 豪州旅行中、土曜広場での演奏がテレビ放映されることになって

オーストラリアに移住し、英語が流暢になってからは、もちろん、こういうドイツ語太字はなくなっていきます。でも最後に、最大の効果を上げる一言が。

「シェーン・ゲシュピールト・アリ!」すばらしかったぞ、アリ!(p.278)

この声に気づくまでの描写もお見事。
決して、霊会からの使者とか、夢まぼろしとかではないのです。

転校の大変さは、私も身をもって体験しました。
ましてやアリの場合、学校だけでなく、国も、言語も、家族も一新されたのですから、その重圧たるやものすごかったでしょう。
それを乗り越え、音楽に生きると決意するまでの道を描く作。

全編を通して、とにかく温かいトーンで描かれる点が印象に残ります。
冒頭に登場したトマスのように、下手すれば厄介者となりそうな人物も。
雑然とした、無教養な家族が跋扈する一角として描かれる旅の地も。

おすすめです。

キム・チュイ 著 山出裕子 訳  『小川』 彩流社 2012年9月刊

著者は、ボートピープルとしてベトナムを脱出し、カナダに渡った作家。
ノーベル文学賞の発表が見送られた今年、その代替賞として立ち上がった「ニュー・アカデミー文学賞」の最終候補作に残ったという作品です。
(これはkindleでなく紙媒体で読みました)
41eWnPUMyPL
ベトナム戦争。
歴史的項目の一つとして、また、ヒッピー文化を広めた契機として、なんとなく意識している程度の存在でした。
そもそも「ベトナム」と「難民」がうまく結びつかない感覚が。。。そうでした。日本で受け入れた人々には「インドシナ難民」という呼称を使っていたのでした。

1975年のベトナム戦争終結に相前後し,インドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では新しい政治体制が発足し,そうした体制になじめない多くの人々が,その後数年に亘り,国外へ脱出しました。これらベトナム難民,ラオス難民,カンボジア難民を総称して,「インドシナ難民」と呼んでいます。国内における難民の受け入れ by外務省)

この文章を読んでも、なぜか他人事という感覚がしてしまいます。
書き手側の問題なのか、受け手側の問題なのか。。。

前置きが長くなりました。
さて、本書。
冒頭は以下のように始まります。

この世に生を受けたのは、申年の最初の日だった。新年の祝いのさなかに、攻撃を受けている間に。家の前で鳴り響く爆竹が、機関銃の音とともに、多重奏を奏でていた。(p.7)

このページ、6行のみ。ページの三分の二に空白を残して次へ。

p.8は「私の名はグエン・アン・ティン。」と始まり、9行で終わり。
p.9は「カナダは私を難民として受け入れてくれたから、子供たちは私の人生の続きを生きる必要はない。」で始まり、p.10の1行目で終わり。
p.11は「ラックザーの川辺で錨を上げる時、共産主義者に見つかるのではないかという恐怖で震え上がった。」で始まり、10行で終わり。

全編がこうした断片のような記述で貫かれています。
ベトナムでの政府軍支配、ベトナム脱出までの経緯、ボートの中の苛酷さ、マレーシアの難民キャンプ、カナダ行き、カナダでの生活、成人後のベトナム出張滞在、我が子との関わり、……

小さなエピソードが、時系列ではなく、緩い結びつきをもってに淡々と綴られ、重ねられていくうちに、それらの集積の重みが読み手側に強烈に響いてくる。

そんな小説です。
こんな手法による小説、初めて出会ったといえるかもしれません。

印象に残った断片を2か所、抜き書きします。

はじめてのカナダ人の先生は、私たち七人の子供たちがこの現実の世界への橋を渡るのを助けてくれた。未熟児で生まれた赤ちゃんに対する母親のようなやさしさで、私たちが新しい土地に慣れるように気を配ってくれた。そのゆっくりした動き、丸みを帯びた腰、大きなお尻に、私たちは魅了された。彼女はカルガモのお母さんのように先頭に立って歩き、私たちは安全な避難所に辿り着くまで、その後をついて歩いた。まるで、色とりどりの落書きや、ガラクタのおもちゃに囲まれた子供に戻ったようだった。今でも彼女にはとても感謝している。移民になってはじめて憧れの感情を抱いたのも、彼女に対してだった。(p.15)

夫や子供が武器を手にしている間、ベトナムを背負っていた女性たちがいたことは、忘れられがちである。彼女たちは尖った帽子を被っていて、空を見ていなかった。眠ってしまうよりも、太陽が自分たちの上に落ちて、気絶する方を好んでいた。眠気がやって来るのを待つ時間があったら、息子が粉々になってしまう姿や、夫の身体が川に浮かんでいる姿を、想像してしまったであろうから。アメリカの奴隷たちは綿花畑で苦しみを歌うことができたけれど、ベトナムの女たちは心の中で悲しみが大きくなるのに任せていた。(p.43)

移住者が自らの体験を語る視点、
女性の苦しみに対するまなざし、
そのどちらも、今の日本に何かを突きつけてくるように思われます。

空白が多く、薄く読みやすい本ですが、実に多くの示唆を含んでいます。
空白の美。
そこには、日本の和歌、俳句にもつながるような感性さえ感じました。

ダン・ブラウン 著  角川書店 2018年2月刊 
51dGkyETcdL
大団円へむけて回収すべき要素が多すぎて、多少とっ散らかった印象。ピークは上巻にあったかも。
そう感じた主な理由は、人工知能ウィンストンの所業あれこれの予測がついてしまったから。
巻末で、いかにも「種明かし」のように語られた部分に鼻白んでしまった次第。

天地創造をめぐる宗教学と科学の対立、
キリスト教の宗派間の対立、
スペインのフランコ政権の評価をめぐる対立、
王家の義務と対立するプライバシーや恋愛感情、
未来に対する楽観論と悲観論、
大衆とエリート、
若者と老人、
男性と女性、
保守派と革新派、
インターネットの光と影、
…………………

あまりにも多くのものを扱いすぎたかな
という気もします。
ワクワク感より、作り物感が優ってしまったといいますか。

あとがきを読んで驚いたのは、
作品中に出てきた、「ミサ曲チャールズ・ダーウィン」という曲が
著者ダン・ブラウンの弟の作曲によるものだったということ。

芸術家の血筋ってことでしょうか。


ダン・ブラウン 著 角川書店 2018年2月刊

5104EM8KoEL
なぜこの作品を図書館に予約したのか、もう経緯が思い出せません。それぐらい待ちました。
主人公のロバート・ラングドンって、「ダ・ヴィンチ・コード」以来有名で、何作にも登場しているようですが、私にはほぼ初めての人物(過去に読んだかも…ですが既に忘却の彼方)。

上巻は(まだ下巻を読んでいません)、
ラングドンの弟子にして友人のカリスマ的コンピュータ―科学者、エドモンド・カーシュが、世紀の大発見についてプレゼンをすると世界にぶち上げ、大掛かりなショーを仕掛けたところ、大変な事態に。
さあ、どうなる……というところまで。

発表会場となったのは、スペイン、ビルバオのグッゲンハイム美術館。
頓挫してしまった彼のプレゼン発表を、なんとか実現させるべく、
グッゲンハイム美術館館長の美女、アンブラ・ビダルと行動を共にするラングドン。
強力な助っ人は、カーシュが開発した人工知能、ウィンストン。

発表遂行のミッションは果たされるか?
発表の阻止をたくらむ首謀者は何者?
このチェイス劇は、どちらに軍配が?……といったスリリングな展開と、

ゴーギャンの絵に通ずる
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
の答だとする重大発砲の中身は何?……というコンテンツを巡る謎解き。

下巻が楽しみです。

小説の本筋からはズレますが、次のくだりにびっくりしました。
スペインの王宮職員の最若年者、史上最年少の「広報コーディネーター」の描写です。

 26歳の若さながら、マドリード・コンプルテンンセ大学でコミュニケーション学の学位を取得し、コンピューター分野における世界有数の教育機関――北京の精華大学――で二年間、大学院生として研究に従事したのち、出版社<グルーポ・プラネタ>で広報部門の要職に就き、その後スペインの民間テレビ局<アンテナ3>にコミュニケーション部門のトップとして迎えられたという経歴を持つ。


北京の大学が「コンピューター分野における世界有数の教育機関」と言われる時代になったのですね。




アンドレアス・グルーパー 著 酒寄進一 訳 創元推理文庫 2017年4 刊

95F46778-C571-4A97-862B-555683448132
また、やってしまいました。一気読み。
原題『Racheherbst』(復讐の秋)。
前の作品が 『Rachesommer』(復讐の夏)ですから、明らかにシリーズ化を意識していますね。

前回同様、
喘息持ちのシングル・ファーザー、ライプツィヒ警察のヴァルターと、
ウィーンで独立事務所設立を果たした女性弁護士・エヴェリーンが登場。
前回は、ヴァルターの喘息の発作が臨場感を掻き立てていたのですが、
今回はそんな程度では済みません。

ヴァルターは、殺人事件の被害者となった少女の母、チェコ出身のミカエラに翻弄されることとなり、
エヴェリーンは、いかにも裏がありそうな曲者の医者の弁護を引き受けた結果、私生活も含めて彼に操れていく格好に。前回の「頭の回転すばらしく、すべてマネジメントして町を闊歩する」印象とかなり異なります。

今回、かっこよさと行動力を発揮するのは、ミカエラ。
ヴァルターの車、拳銃、さっさと奪い、夫からかすめてきた大金で危ない連中から情報を得てはあちこちに出没。行方をくらましている下の娘(殺された娘の妹)を見つけ出そうと奮闘するのです。
彼女、今後、このシリーズのレギュラーとなるのでしょうか?興味津々。

片や、気の毒なエヴェリーンは、今後どうなるのでしょうか。
子供時代のトラウマを抱える彼女。その克服を課題としつつ、人脈と頭脳を利用してますます活躍の幅を広げていくはず……と思ったのですが、片翼もがれたような状態に。

実は、作品の肝はオカルトチックな殺人(刺青、血液、骨)にあるのかもしれませんが、そのあたりは読み飛ばしてしまいました。

私にとって面白かったのは、心理的駆け引きも含んだ人間ドラマ。
そして、ライプツィヒ、ウィーンあたりの生の生活感覚。
ライプツィヒからプラハは車で「せいぜい2時間半」(p.257)。そして、ヴァルターとミカエラは、プラハからパッサウへ、パッサウからウィーンへと行動を共にします。

ヴァルターは目の前の道をじっと見つめていた。リンツの手前。ウィーンまでの道のりの三分の一以上走ったことになる。ウィーンまではあと一時間半ほどかかるだろう。(p.446)

289883DA-3B29-480C-B9C5-CDAD73081072
上の●が、事件のカギとなりそうな刺青とかかわる場所。
この夏、ライプツィヒに1週間滞在したので、ちょっと地理感覚あるのですけれども、
ライプツィヒ-ウィーン間って、距離的には、ライプツィヒ-ミュンヘン間と変わらない程度なのですね。
ほー。そういう位置関係なのか……なんて思いつつ読むのも一興でした。

アンドレアス・グルーパー 著 酒寄進一 訳 創元推理文庫 2013年2月 刊

6451945D-9743-426D-83FB-7A8FC348E62F
原題『Rachesommer』~復讐の夏~
このタイトルの方がしっくりきます。復讐に立ち上がった者の物語。

ウィーンの若い女性弁護士と、ライプツィヒの男性ヤモメ刑事が活躍する推理物
と聞いて興味を惹かれ、軽い気持ちで手に取りました。
仕事が多忙になると出る、いつもの逃避行動です。

例によって、長距離通勤行き帰りの時間であっという間に読み切りました。
449頁。決して短くはないのですが。

内容は結構ヘビーでした。
児童虐待が、1つのテーマをなしていることもあり。
金持ち男性集団の鼻もちならない裏の顔にげっそり。
彼らの素行の犠牲となって、精神的に病んだ若者たちの姿に暗澹たる気分に。

とはいえ、
酔った小児科医がマンホールにはまって死亡、
市会議員が山道を運転中にエアバッグが作動してハンドルを切り損ねて死亡、
という2つの案件を引き金として動き出すウィーンのエヴェリーンと、
病院での若い患者の不審死を追うライプツィヒのヴァルターの二人の姿が交互に描かれる展開に、
いったいこの二つの路線がどうつながるのか、
二人はどこでどう出会い、どんな結末となるのか、
ドキドキ感満載でした。

ドイツというと「公明正大」なイメージが強いですが、
それでも、権力者が勝つ!社会的弱者は無視される!という傾向は否めないのだなあ
と思ったりも。
実は同じ一つの根をもつ殺人事件でありながら、
小児科医や市会議員は、建設業者や車メーカーを訴えて勝訴を勝ち取りかけ、
病院での死は自殺として片づけられそうになるのですから。

単に事件の真相を追うというだけでなく、登場人物の描き込み方も上手いです。
エヴェリーンは少女時代に忌まわしい記憶を持ち、
ヴァルターは妻を病で亡くした痛手から立ち直っていません。

著者は1968年ウィーン生まれとのこと。
なんとなく、物事の捉え方に同世代の感覚を覚えます。
ワクワクと、次の作品に手が伸びてしまう私です。

 ウイリアム・アイリッシュ(William Irish)著 黒原敏行訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

517aSHFdTgL
1942年発行、最初の邦訳は1955年という、古典的なミステリの新訳だそうです。
最近、仕事上の必要に迫られてお堅い専門書ばかり読んでいたのですが(ここにUPするのはあまりに野暮…)、ついに耐えきれなくなり、ミステリー本を手にとって1日で読破(通勤時間が長いのです)。

夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」(p.11)
という冒頭文が有名なのだそうですが(確かに、"文学“の香りが…)、私は次のような描写に「なるほど」と時代を感じました。現代とはかなり異なる風景です。

 五月の夕べ、今まさにデートの時間が始まろうとしていた。三十歳前の、街の半分が、髪を撫でつけ、財布に資金をしこみ、意気揚々と待ち合わせの場所に向かっていた。これまた三十歳前の、街の残り半分は、顔に白粉をはたき、特別の服を着こんで、待ち合わせの場所に向かってうきうきと歩を運んでいた。どちらを向いても、街の半分と街の半分が落ち合っていた。(pp.11-12)

で、こんな雰囲気に満ち満ちた日に、
妻とともにディナー&観劇に出かける予定だった主人公スコットは、妻と大喧嘩をして家を飛び出し、たまたま出会った見知らぬ婦人に声をかけて予定をこなし、帰宅。すると、自宅には警察がいて、妻がスコットのネクタイで絞殺されていることを知るのです。
スコット、殺人嫌疑をかけられます。
なあに、大丈夫。スコットと行動を共にしていた見知らぬ婦人さえ見つかれば、スコットのアリバイは証明されるはず、と踏んだのですが。。。

なんと、スコットと婦人を目撃している人々がそろいもそろって
「婦人などいなかった。この人は一人で行動していた」
と証言するのです。

ついに、死刑判決をうけたスコット。
その彼無実を証明するために立ち上がったのが、次の3人。
  • スコットの若い恋人 キャロル
  • 事件の経緯に不信感を覚えた警察官 バージェス
  • スコットの長年の親友 ロンバード
この小説の章立ては、事件当日から死刑執行日までのカウントダウン方式。
さあ、幻の女は見つかるのか?スコットのアリバイは証明できるのか?
…鍵を握る人間を発見!……あと一歩のところで取り逃し……の連続。
煽ります。

最後のどんでん返しには、
「えええっ。そんなのアリ? 嘘っぽくない?」
と思ったのですが、その後のバージェスの説明(経緯の吐露)に深く納得してしまいました。なるほど~、ちゃんと見事に伏線が張ってあったのですよ。

*******

そうそう、謎解きに直結することではありませんが、
当時の劇場や音楽団員の描写に、ニューヨークの音楽事情が表れていることにも興味をひかれました。
劇場到着が遅れたスコット&謎の女は、場内案内係に導かれて最前列の席に着き、ショーを鑑賞。

 第二部の中ほどで、音楽がクレッシェンドで高まったかと思うと、劇場専属のアメリカ人楽団員はみな楽器を下に置いた。かわって舞台上にいる楽団が、ボンゴとマラカスで異国情緒たっぷりのリズムを刻みはじめ、今夜のショーの主役である南米出身の人気者、歌手にしてダンサーの女優のエステラ・メンドーサが登場した。(p.28)

ラジオ講座の言うとおり、ニューヨークは、ラテン音楽の発信地で(→)、劇場は「専属のオーケストラ」を所有していた(→)ことがわかります。
そして、公演終了後の楽団員が仲間で集ってセッションを楽しんだ(→)という場面そのものも出てきましたよ。
事件後、謎の女を覚えているはずの団員ドラマーにキャロルが接触。公演終了後に二人が店で飲んでいると……。

 灰色の朧な人影が、ひとつ、またひとつとテーブルの脇を通っていった。最後の人影がちょっと足をとめて、「地下でジャムセッションをやるんだが、来るか?」と言った。(中略)
「劇場で一晩じゅう演奏したのに、まだたりないの?」
「ありゃ金のためで、こっちは自分らの愉しみだ。すげえのを聴かせてやるよ」
(p.222)

 空の荷箱やボール紙の箱、樽などがあり、腰をおろすことができた。クラリネットの哀しげな音色が流れ、それを合図に狂乱のジャムセッションが始まった。(p.223)

*******

古典的名作と名高い作だそうですが、その評判に納得です。

アンナ・スヌクストラ 著(北沢あかね 訳)講談社文庫 2017年12月刊

51UBKI6TO8L

オーストラリアの新進気鋭の作家によるミステリーと聞いて、興味を惹かれました。
原題:Only Daughter

事情あって家出し、娼婦かホームレスか…という暮らしをして生きる「私」27歳は、
空腹に耐えかねて万引きしたところを警備員に捕らえられます。
警察から逃れようとして口から出たのが
私はレベッカ。11年前に誘拐されたの。」
という嘘八百。
実際にレベッカに瓜二つであることは、かつての彼氏と見たTV番組で確認済み。
これで時間稼ぎをして、隙をみて逃げ出そうと考えた「私」でしたが、
逃げる隙が見つけられない中、温かいベッドへの憧れもいや増しに増して、、、

レベッカになりきってしまえ!

おおお。なんと大胆な。
そして、本物のレベッカにはない身体の痣を隠そうと、警察を欺いて自傷行為決行。
うう、並々ならぬ意志の強さです。
それにしても、DNA鑑定をそんな技で乗り切ってしまえる?
両親もそんなに簡単に騙せる?
警察の追及はそんなもの?
……小説の序盤は、突っ込みどころ満載のように思えるのですが、
  • 現在の「私」の状況
  • 失踪前のレベッカの状況
この2つが交互に描かれていくのを読むうちに
「真相が知りたい!」欲がむくむくと沸いてきて、……はい、一気読み。

家族、隣人、親友やバイト仲間にその家族、
周囲の人々ほぼ全員が「怪しげ」に見えてきて、じわじわと「鳥肌が立つ」感じに。
そして、えええ~っなラストへ。

スリラー、背筋も凍る、
といった宣伝文句とは、ちょっと遠い感じの読後感でした。
でも、ホラーが苦手は私には、この程度のほうがありがたい。
主人公になかなか共感できなかったのですが、
エンディングに至って、自らの人生を取り戻そうと前向きになる「私」の姿に、ほっとしました。

イザベル・アジェンデ 著 木村裕美(訳) 河出書房新社  2018年2月刊

ナチスの魔の手から逃れて渡米したユダヤ系少女と、どんな植物も元気にさせる緑の指を持つ日系二世。二人の生涯をかけた愛と、現代の在米移民イリーナの人生をともに描き出す、スケール感と透明感を併せ持つ小説です。
61AZ0gC3a+L
裏表紙に記された三行。

生涯の愛――
どんな状況にあっても
一生をつらぬく愛というものがある。

そう、正統派の、王道を行く恋愛小説です。
愛を語り合うのは、同い年の二人。
二人が出会ったのは、ともに8歳になる1939年春、サンフランシスコ。
ポーランドに両親を残し、一人親戚のべラスコ邸へやってきたユダヤ系少女・アルマと、
べラスコ邸の庭園で働く日系の庭師の息子、イチメイ・フクダ。

でも、小節冒頭からこの恋愛がスタートするわけではありません。
実に凝った、洒落たつくりの小説なのです。

年老いて、バークリー郊外の高齢者施設・ラークハウスに暮らすアルマが、小説に初登場するのは25頁になってから。
実は、この小説の主人公は、ラーク・ハウスに勤め始めたばかりのモルドバ出身の若い女性職員、イリーナ・バジーリィ。
イリーナはアルマのお眼鏡にかない、アルマの孫、セツ・ベラスコが取り組む「アルマの伝記」執筆作業のアシスタント役を務めることになって……という筋書きです。

過酷な第二次大戦(日系人は財産を没収され、砂漠の中の収容所送りとなります)を経て、人種差別の目に苦い思いをしつつも、アルマとイチメイの二人は……という流れと、
2010年のイリーナとセツは……という二本の流れが行きつ戻りつしながら、語られていきます。

BGMは、通奏低音が淡々と奏でられるバロック音楽……そんな雰囲気を感じました。

イリーナがひた隠す過去とは……
アルマの秘密の外出、彼女に毎週届くクチナシの花、黄色い封筒に入った手紙
その正体は……最後の謎解きまで、読ませます。

著者は1942年ペルー生まれのチリの作家。
1973年に軍事クーデターで暗殺されたアジェンダ大統領の姪にあたる方とのこと。
南半球の作家が、在米日系人とユダヤ人との恋愛小説を執筆する――グローバル化は文学の世界にも如実に表れているのだなあと思いました。

ユッシ・エーズラ・オールソン 著  / 吉田奈保子 訳
早川書房   2018年1月刊
70105D91-4C52-483B-B5A8-87463C87BFCC
舞台はデンマーク。
未解決事件を専門に扱う特捜部Qのメンバーが活躍するシリーズ本 、第7作目。
→第1作「檻の中の女」、第2作「キジ殺し」、第3作「Pからのメッセージ」
 第4作「カルテ番号64」、第5作「知りすぎたマルコ」、第6作「吊された少女」。

特捜部Qチーフ、カール自身が「釘打ち事件」との関わりという謎を抱えていたはずで、
右腕アサド(シリア系?)も出自すら不明な謎だらけの人物なのですが、
今回、メンバーの中で特殊な役割を演じるのが、ローサ。
本編冒頭部で、まるで認知症患者を描くかのようにして描写された人物が、彼女だったなんて。

そして、いつものパターン、エピローグは「メインとなる事件の幕開け宣言」なのですが、
今回描かれたのは、両親と祖父母の不仲に心を痛めるいたいけな少女の姿。
思いがけずも少女は、祖父とナチス・ドイツとの関わりを目にします。
私としては、つい最近、戦中のドイツを描く新書を読んだばかりでもあり(→)、
なんたるご縁!と唸ってしまいました。

そのうえ、エピローグから本編へと進んでみれば、この少女の変身ぶりに唖然。
初めは、誰が誰なのか、なかなか像を結ばなかったのですが、
わかってみると、その母親の姿にも、祖母の姿にも、茫然とします。

題名が「女たち」ですが、まさにまさに、今回の犯罪の主役たちは女性が勢揃い。
・仕事熱心な公務員、かつ、若い女性の社会保障費受給者を憎みぬく悪鬼
・親切な隣人、かつ、孫娘から見れば守銭奴のくそ婆あ
・もと富裕家族の一人娘、かつ、逆上しやすい若い娼婦
・有能な警察官、かつ、生い立ちを原因とする人格障害を患う病人
……これだけじゃありません。まだまだ、出てくるのですよ。

事件のほうも混迷を深めます。
・最近発生した老女撲殺事件と、未解決の女性教師殺人事件との関連性?
というのが出発点だったはずなのに、
気付いて見れば、いろいろな女性たちが暗躍するさまざまな事件が絡み合っていき……。
結局は出発点に舞い戻ることになり、そしてすべてが明るみに出るのですが。

このシリーズ、だんだん「混迷度」が深くなっていくばかりのように思います。
今回の救いは、酷い目にあったものの、ローサの苦悩には光が見えたこと。
一方、男性陣であるカール、アサドについては、なんの新情報も出てきませんでした。
今後に続く、ということなのでしょうけれども、
ああ、私の体力、知力がついていけるでしょうか。。。

↑このページのトップヘ