PIOピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

カテゴリ:書籍レビュー > 小説(日本)

著者: 辻村深月
出版社: 朝日新聞出版
頁数: 416P
発売日: 2019年03月05日


418DMq3DxGL
音楽ブログとは思えぬ内容の連投で、失礼いたします。
区立図書館がついに再開ということで、予約本をゲット。
そして、読み始めたら止まらなくなり、結局、ノンストップで3時間で読んでしまいました。
こうさせてしまう筆力に脱帽です。

序章は、ストーカー被害におびえつつ恋人の元へと急ぐ「彼女」の緊迫したシーン。

第1章は、こんな風に始まります。
「あ、ごめん。今ちょっと……。また後でこっちからかけていい?」
「いいよ。オレも今から一件、仕事で外回りがあるから、また夜にでも」

その会話が最後になるなんて、思わなかった。

序章の彼女の夫である架(かける)の視点から、物語は進みます。
おや、彼女、無事結婚したんですね
しかし、「その会話が最後」ときましたか。
おおお。
これは推理劇の始まりですね。

そう思って読み始めました。
そのとおり、前半はストーカー探しの推理小説の趣。
でも、だんだん、違和感が募ってきます。
そして、やはり私の直感は正しかったのだ!
という展開に。

でもって、後半は、序章の彼女、真理(まり)自身の視点からに切り替わります。
途中で
「なあんだ、そういうことね」
と、鼻白みそうになると、即、違う視点からの展開が始まるのです。

こういう書きっぷり、筆力、さすがです。

印象に残ったくだりは、こちら。

架は絶対に自分のことは自分で決めたいし、自由でいたい。しかし、世の中には、人の言うことに従い、誰かの基準に沿って生きることの方が合っているーーそういう生き方しか知らず、その方が得意な人たちも確かにいるのだ。特に、真面目で優しい子がそうなるのはよくわかる。ーー現代の結婚がうまくいかない理由は、『傲慢さと善良さ』にある。ーーp.153

オースティンの『高慢と偏見』の向こうを張ったタイトルであること、明らかです。

そして、真理が尊敬の念を抱いて心を許す友人、ジャネットのこんな言葉も胸に響きました。
「あなたがそうしたい、と強く思わないのだったら、人生はあなたの好きなことだけでいいの。興味が持てないことは恥ではないから」p.285


語学が堪能で、自分で奨学金を取って日本に留学し、その後、それを仕事につなげている」ジャネットの健康的な考えと、架(かける)の周囲のハイスペックな女友達たちで、真理に対する態度がなんと異なることか。

いろいろ、考えさせられます。
ストーリーとしては、明るい結末のよくできた展開となるわけですが、
そういった筋よりも、ここかしこに散りばめられた「毒」に反応してしまった私でした。
結構、深いです。

著者:原田マハ
文庫: 133ページ
出版社: 新潮社 (2019/12/23)
512pVyxWpML._SX351_BO1,204,203,200_

小説の最後のページをさらにめくると、次の文言が。

本作は史実に基づいたフィクションです。
第二章のロバート・タナヒルを除く主要登場人物は、架空の人物です。

ロバート・タナヒルとは、彼自身の遺志により、1969年、
絵画≪マダム・セザンヌ≫(文庫本の表紙の絵、婦人の名前はオルタンス)
DIA(Detroit Institute of Arts デトロイト美術館)に寄贈した人物。

他の主要登場人物とは、
  • フレッド・ウィル(デトロイト出身・在住のアフリカン・アメリカン68歳・元溶接工)
  • ジェフリー・マクノイド(DIAコレクション担当チーフ・キュレーター。『ロバート・タナヒル・コレクション』のカタログの著者)
この二人が実に魅力的です。
デトロイトの財政破綻を受けて、「コレクション売却の危機」を迎えたDIA。
そんな2013年、
フレッドは「一般のデトロイト市民」としてジェフリーに面会を申し出ます。
二人が言葉を交わしたのは≪マダム・セザンヌ≫の絵画の前。

ジェフリーは、この初対面の老人にたちまち親しみを覚えた。最近、初対面の人物とは後ろ向きの話しかしてこなかったので、誰かと会うときにはいつも猜疑心を持ち、身構えてしまっていた。それは間違ったことなのだと、フレッドと会った瞬間に、ふと気がついた。(pp.83-84)

世代を、人種を、階層を超えて心を通い合わせる二人です。
その後の展開はネタばれになるので伏せますが、大変心を打つ「奇跡」について筆が進められていきます。心が温かくなります。

covid-19の暗いニュースばかりが報道され、
心がささくれ立つ今、芸術へのアクセスも制限される今、
この二人の行動、その後の展開に、涙が出そうになりました。
すごく薄~い本ですが、中身は濃いです。

著者: 原田マハ
出版社: 集英社
頁数: 600P
発売日: 2016年10月
(文庫本:2019年10月)
41VyqYpZS+L

つい最近、仕事絡みで柳宗悦の「用の美」の話題がでたところでもあり、
これもご縁と手にとりました。
白樺派の作家を、留学生向けの日本文学の授業でも取り上げている私、
このバーナード・リーチについて知らなかったのは、不覚でありました。

小説の幕開け(プロローグ)は1954年。
陶芸の大家となったリーチ先生(しぇんしぇー)が大分県は小鹿田を訪れるところから。
そのお世話係となった沖高市(オキ・コウイチ)に、リーチ先生は問いかけます。
「君のお父さんは、オキ・カメノスケ、という名前ではありませんか」

そして本編へ。
本書の主人公・亀乃介(カメちゃん)は、
横浜で「英語を聞いて成長」するうちに、英語を自然習得。
両親を失って引き取られた食堂で働くうちに、留学へと向かう高村光太郎と知り合ったことが縁で、16歳で光雲のもとへと赴きます。
その光雲宅へ、同じように光太郎の紹介を受けて英国からやってきたのが、青年バーナード・リーチ22歳。

リーチの通訳として活躍するようになる亀乃介。
彼とリーチが上京する、というときに放った光雲の言葉が印象的でした。

(リーチの才能も、亀乃介の才能も、どういうものかまだわからない)
しかるに、彼とお前とは、よく響き合っている。それだけは、よくわかる。
行きなさい。リーチさんとともに。
そして、いつか、私や光太郎を、ふたりして、あっと驚かせてくれ。(p.101)

大家から若者への信頼の言葉。
いいですねえ。
この後、「響き合う」という言葉が、
リーチ、ターヴィー(リーチの友人)、富本憲吉の三人を描く場面にも再登場。

三人が共有する言葉ーーそれは「芸術」だ。
「芸術」の話をしている最中の三人は、目を輝かせ、身振り手振りも大きくなって、とても楽しそうに、また生き生きとして見える。
ぶつかり合いも、反発もない。芸術について論じているときの三人には、響き合う音が流れ、ハーモニーが湧き出るようだ。(p.131)

この後、白樺派の柳宗悦(初対面時には21歳)らとの出会い、
交流、助け合い、芸術をめぐる切磋琢磨ぶりなどが描かれます。
柳を中心に、我孫子に集まって芸術活動を繰り広げる白樺派たち。
リーチがそこに窯を構えて陶芸を始めるシーンは、今の朝ドラそのもので、びっくりしました。

窯の温度が上がらず、釉薬が溶けない。
薪を窯にくべ続け、ついには窯の天井から火が吹き出すが、
それを止めずに、あくまでも芸術を目指す。。。
そして、その場には、

柳宗悦はもちろん、近隣に住む志賀直哉や武者小路実篤、柳の家を訪れていた岸田劉生が集まって、リーチと亀乃介の作業を、興味深く見守っていた。(p.248-250)

というのです。
すごいな、この交友関係。

この後、リーチとともに亀乃介、
そして若き陶芸家・濱田庄司はイギリスへと渡り、かの地での陶芸を目指すのです。

プロローグで、
この亀乃介が、熊本で若くして亡くなっている、ということがわかっているのですから、
読者の方は、亀乃介にいったい何が起きるのか?
とミステリー解読ムードで読み進める、といったことにもなります。
この亀乃介、著者が造型した架空の人物とのこと。

リーチの生き生きした評伝であるとともに、小説ならではの面白さもあり。
なかなかやるなあ、原田マハ。

著者: 中島京子
出版社: 文藝春秋
頁数: 404P
発売日: 2019年05月15日
51t4u5MzbHL

タイトルに惹かれて借りてみました。
なんとなく、今の国会図書館を指すものだろうと思っていたら、さにあらず。
上野、です。
今は、国際子ども図書館。
その元々をたどっていくと、
書籍館(しょじゃくかん)。明治5年。
「ビブリオテーキ!」
「それがないことには近代国家とは言えないわけだな」「不平等条約が撤廃できないんだな」
ということで、明治新政府が思いついて、できたもの。

こういう、上野の図書館をめぐるうんちくっぽい歴史話が、あちこちに

夢見る帝国図書館・1 前史「ビブリオテーキ」
夢見る帝国図書館・2 東京書籍館時代「永井荷風の父」


といった具合に、コラムのように挟み込まれます。
そう。「書籍館」なのに本がない、という屈辱的な状況を払拭したのは、23歳の館長補・永井久一郎、のちに結婚して永井荷風の父となる男だったのでした。
このコラム、最後となるのが

夢見る帝国図書館・24 ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる

です。
おおっ。何ごとっ?突然ピアニストっ?とびっくり。
実はこれ、昭和21年、戦後のこと。
ピアニストの娘とはレオ・シロタの娘ベアテ・シロタ、22歳。
なんと彼女、占領下日本に、アメリカ軍人の一人として来日し、日本国憲法の「GHQ草案」の資料を借り出しにあらわれたのでした。

つい長くなりました。
でも、これらはあくまで傍流のコラム的扱い。……実は、読み進めるほどに、本流のストーリーとのかかわりが明らかになってくる、という仕掛けです。

本流は、
小説家の「わたし」(小説冒頭では「物書きを目指して」る状態)が、上野の国際子ども図書館を取材した折に出会った老婦人、喜和子さんのストーリー。
彼女の口から、戦後間もなくの上野の様子とか、
それよりずっと以前のことが、図書館を慈しむ目で、あれこれと語られるのです。
まるで、おとぎ話のような話も。
短髪で、頭陀袋のようなスカートをはき、珍妙なコートをまとった老婦人、
ピノキオのような雰囲気の彼女って、いったいなにもの??

その謎解きのストーリーでもあります。

こういう、懐古的ムードの漂うなかで古風な女性を描くって、
中島京子の真骨頂発揮!って感じです。

現代の若い女性の視点では
(どんな立場な女性かは、ネタバレのなるので伏せます)
オペラ『魔笛』の解釈なども語られます。

「母親の支配から逃れる娘の物語だと思ってたんだけど、母親視点で見ると違ってて」
「母親視点?夜の女王視点ていうこと?」
「女性が結束して男性の支配と闘おうとする話に見えてきて」
「夜の女王VSザラストロの闘い」
「夜の女王は娘を説得していっしょに闘おう、ザラストロを倒そうとするんだけど、結局負けてしまうという」


こんなくだりもあります。
いろいろ考えさせられたり、歴史の真実に唸ったり。
触発されるところの多い小説でした。

著者: 川越宗一
出版社: 文藝春秋
頁数: 426P
発売日: 2019年08月28日

51HdMNS9S9L
この1月に直木賞を受賞した作品です。
美術館で「ハマスホイとデンマーク絵画展」を見て、北欧の灰色の世界に強く惹かれ、北国に思いを馳せていた今のタイミングで、図書館の予約が回ってきました。

直木賞受賞の報道では「アイヌ」についての作、という触れ込みだったかと思うのですが、
小説の冒頭は、なぜかロシア軍の若き女性戦士を描いているんです。
彼女、小説の最後のほうに再登場して、やっと冒頭の意味がわかる、という仕掛け。

視点は、あちこちに飛びます。

アイヌの人たちと日本人(和人)との接触。
ソ連になる前のロシアにおけるポーランド人の迫害。
サハリンにおける原住民(アイヌ、ギリヤーク、オロッコ)の生活。
ロシアの罪人としてサハリン送りとなった流刑囚たちの過酷な生活。
「優秀なる白人が劣った民族を支配する」正当性を確保するための調査。
サハリン原住民とロシア人との接触。
ロシアと日本との戦闘。
民族学者としてのポーランド人、そして日本人。

冒頭からハッとさせられたのは、次のくだり。

東京から帰ってきた、アイヌの村の総統領チコビローの言葉
「文明ってのに和人は追い立てられている。その和人に、おれたち樺太のアイヌは追い立てられ、北海道のアイヌはなお苦労している。」
それを聞いたアイヌの青年、ヤヨマネフクが、村の総統領に問います。
「文明ってのは、なんだい」
 ヤヨマネクフが前から抱いていた問いだった。開けた文明人たれとは、学校で散々に言われるが、それがどんなものかさっぱり想像がつかない。
「たぶんだが」チコビローの顔はやはり苦い。
「馬鹿で弱い奴は死んじまうっていう、思い込みだろうな」


重要な人物は、このヤヨマネフク、そして
ポーランドの言語学者となるブロニスワフ・ピウスツキ。
私、去年の夏に初めてポーランドを訪れたこともあって、ポーランド関係の本をいろいろ読んだのですが、ポーランド社会党を率いて1918年にポーランドが独立したとき、国家主席となったユゼフ・ピウスツキが、このブロニスワフの弟と気づくまで時間がかかりました(最初から、独立運動に走る「弟、ユゼフ」って書いてあったんですが)。

日本(和人)側の人物としては、
アイヌ語を書きとめる大学生・金田一京助も出てくるし、
二葉亭四迷(たった一作で創作の筆を折り、以後は翻訳やら政治趣味やら外国語教員やら、書く気のない原稿料の前借りやらで身過ぎ世過ぎしてきた長谷川辰之助)も、
園丁のような身なりで自宅の庭を義足で歩く、ブロニスワフより大柄な大隈重信も。

なんというか、私自身が日本の偉人と言われる人たちのことをちゃんと把握していないことを思い知らされました。
日本、ロシア、ポーランドの関係についてもしかり。

子供のころ、南極探検者の伝記『アムンゼン』にハマったりもしていた私ですが、
南極探検にアイヌが、ヤヨマネクフが絡んでいたということも初めて知りました。
ほんと、いろんなことがつながりました。

そうそう、音楽も出てきましたよ。
アイヌの五弦琴が。
物語最後まで生き残るアイヌの女性、イカペラを支えたのがこの琴。
そして、イカペラが少女だったころ、主人公ヤヨマネクフの奏でた琴は、次のように描写されます。

 男が弦を弾いたとたん、聞いたこともないような音が飛び出した。
鋭く、だが柔らかい。音は星のように瞬きながら耳を心地よくかすめて白い雪原を抜け、世界の一部に帰るように溶けていった。
 音は、光る。余韻がイカペラの体を震わせる。

素晴らしい音楽の描写って、ユニバーサルなのですね。
そして、アイヌの叙事詩。節をつけて謳われる、英雄の冒険譚。

 金田一は真顔で身を乗り出した。
「叙事詩を持つのは、西洋でもギリシャやローマのような優秀な民族だけです。失礼ですがアイヌは今まで、未開で野蛮な民族と見られてきました。けどハウキやユーカラは、アイヌが野蛮どころか偉大な民族である証です」


こういったエピソードを挟みつつ、壮大なテーマが語られます。

文明をどう捉えるか、
原住民と呼ばれる人々は滅びる運命にあるのか、
世の中は弱肉強食の摂理で動くのか。

ブロニスワフの言葉がとても胸に響きました。
どんな言葉なのかは、ぜひ原作をお読みください。
おすすめです。

著者: 原田マハ
出版社: 幻冬舎
頁数: 408P
発売日: 2017年10月

51UwYgGRYNL

フィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-1890)が生きた時代、
パリで浮世絵等ジャポニズムがもてはやされた時代、
日本からフランスに渡って活躍した林忠正という画商がいたこと、初めて知りました。
(もしかして今までに足を運んだ展覧会でも解説されていたかもしれませんが、私の頭の中ではまったくつながっていませんでした)

そして、よく話には出てくるゴッホを支えた弟・テオについて
どんな人物だったのか、初めて現実味を持って感じることができました。

テオと密につきあう、
林忠正が呼び寄せた後輩・加納重吉は著者の造型した架空の人物とのことですが、
彼がゴッホ兄弟、忠正を「生き生きと立ち回らせる」役どころを果たしていて、うまくできています。
ただ、重吉が渡仏するまでの冒頭箇所は説明チックで、ちょっと読みづらかったかも。
歴史小説にありがちかもしれませんが。

そして終結部。
フィンセントの死に責任を感じるテオ、
その鞄のエピソードが真実なのかどうかは知りませんが、説得力ありました。
兄を追うように、数か月の後に病死してしまっていたのですね、テオ。

テオの死後、その若妻がヴィンセントの作品の管理を引き継いだことも史実でしょうか。
フィンセントの狂気、孤独ばかりが喧伝される風潮がありますけれど、
彼の生前から彼を理解し、支援した弟一家がいたことも押さえておきたいと感じました。

テオの息子のフィンセントは、どんな人生を歩んだのでしょう。。。

深緑野分 著  筑摩書房 2018年09月刊行 480頁 
41un0u1MT+L

第二次大戦に敗れたドイツ、ベルリンのアメリカ軍占領地域で、英語力を生かしてアメリカ軍の兵員食堂のウエイトレスとして働く17歳の少女、アウグステが主人公。
彼女が何よりも大切にしているのは1冊の本。

 角が縒れ、ぼろぼろになった黄色い本、『エーミールと探偵たち』。それもドイツ語の原書ではなく英訳版だ。一度私の手から離れ、もう見ることはないと諦めていたのに、ほんの数日前にかつての知り合いが届けてくれた。ページをめくると、幼い頃の私がせっせとペンを走らせ書き込んだ、つたないドイツ語訳文が読める。
 未来の見えない混沌としたこの街に暮らしながらドイツ人の私がアメリカ軍で仕事を得て、ちゃんとした部屋に住めるのは、元をたどればこの本のおかげだ。それと隣人だったイツァーク・ベッテルハイムがくれた英独辞書。この二冊が私に英語を教えてくれたおかげ。
 父さん、母さん、アッカ―通りの粗末なジードルングで暮らしていたみんな、そして、小さなイーダ。みんないなくなってしまった。私は誰も助けることができず、生れた家も失い、思い出の欠片すら手元に残せなかった。――この本以外は。(p.16)

今、読み返せば、この箇所が、今後の展開のカギを握っています。
この本が戻ってきた「ほんの数日前」とは?
隣人だったイツァーク・ベッテルハイムとは?
小さなイーダとは?
みんないなくなってしまった、その経緯とは?

突然、合衆国陸軍憲兵隊に連行されたアウグステは、さらにソ連の若きドブリギン大尉によってソ連管理区域に連れて行かれ、ある男性の遺体を見せられます。
それは、戦争中、ナチスの迫害から潜伏者を匿っていた、クリストフ・ローレンツ氏でした。
アウグステの家族が保護した幼いイーダ(ポーランド人労働者の娘で、目の見えないイーダ)を匿うのに手を貸したローレンツ夫妻。
ローレンツ氏はドイツ人のチェリスト、つまり音楽家。
そして、国家反逆罪に問われて両親が死んだ後、アウグステが逃げ込んだのも、イーダを預けたこの夫妻のもと。
チェリストという職業が、音楽が、ストーリーに絡む?と思いましたが、そうでもなく。
音楽はそのときの権力に利用される、という点がほのめかされていましたけれども。
ローレンツ氏、戦争中はナチス政権に、戦後はソ連の占領政府に奉仕する形で働いていたわけですから。

さて、このローレンツ氏の死因は……毒入りの歯磨き粉、コルゲートを使ったから。

ドブリギン大尉は、彼の死をナチスの元工作員”人狼”によるテロの恐れありとみなし、職場の縁でコルゲートを入手していたアウグステから情報を得ようとするのです。
そしてこの日、クリストフの妻、フレデリカ・ローレンツの家に泊まったアウグステは、フレデリカの甥にして彼ら二人の息子となったエーリヒのことを知ります。エーリヒが幼いうちに自らの意志で彼らの元を去ったことも、アウグステが戦火の中で彼を見かけていたことも。

さて、ローレンツ氏の死の意味は?
エーリヒとの関連は?

ということで、フレデリカはエーリヒを見つけようと決心。話が動き始めるのですけれども……。
ええと、
・当時の社会背景を描こうとする説明が多々挿入されること、
・登場人物が多くて、しかも「実はそれは仮の姿で…」といった条件が多々でてくること、
・戦後と戦中の、語りの時点が入れ替わること、
・アクション映画さながらの逃走シーンさえ、事物の名称になじみがなくて読みにくいこと、
・いくらなんでも、それはタイミング良すぎでしょ!という箇所が多いこと、
……
さまざまな要因があると思うのですが、
どうにも話の筋に入り込むことができないまま、「血沸き肉躍る」感覚は覚えないままに読了となりました。
真相解明に向け、アウグステと行動を共にする若い男性が何名もいるのですが、彼らについても、この場でしっかり説明したいという気になれず。
なぜかなあ?

もちろん、戦中・戦後の辛酸を、ドイツの非ユダヤ国民の視点、それも家族全員を失った少女の視点で綴るという本書は、戦争というものの恐ろしさ・哀しさを、無理なく自然に描き出しています。
ナチスvsユダヤ、といった単純図式では終わらない、さまざまな立場の人々が、それぞれに苦しめられた時代を。

おそらくは、こうして描き出された「時代」の姿が、「殺人事件の真相」と分かちがたく結びついている、とは言えないように感じる点が、いまひとつ入れこめなかった理由の一つかもしれません。
アウグステの苦難はわかる、
ともに行動を共にしている男性たちの苦難も、わかる、
けれども、なぜ彼らが今、危険を顧みず真相究明に躍起になっているのかが腑に落ちない。

最後の最後に、急展開で真相が明らかに!
という王道ポイントは外していない。
読み返せば、その伏線は、ちゃんと張られているのですけれども。
逆に、
最後の最後にならなければ、アウグステ自身が躍起になっていた理由がはっきりしないという点が、このストーリーの必然性を納得させる力を弱めているのでは?


引き込まれる小説を書くって、やっぱり難しいのね。

池井戸潤 著 小学館 2018年10月刊

09386523
『下町ロケット』(→2011年)、『同 ガウディ』(レビューは残してません)と読み、同シリーズの「ゴースト」を飛ばして(図書館での待ち人数多数!)、最新刊「ヤタガラス」を読了。

ロケットを飛ばす技術に貢献したのち、
その発展形を医療へ生かした佃製作所。
次には人工衛星によるGPSを利用した農業分野に進出していたのですね。

第1作では、下町の町工場の技術力 vs  巨大企業
という図式だったと思うのですが、
今回は、このような図式ではとらえきれない攻防が繰り広げられます。
佃製作所が立ち向かうのは「ダーウィン・プロジェクト」を立ち上げた相手。
仕掛け人は、

「下町の中小企業」という看板のもとに結集し、マスコミを使って「我々は巨大企業に挑みます!」と大々的に煽り立てる人々。
実は、巨大企業から追われた、あるいは巨大企業に会社を潰された「恨み」でつながった人々。
目的のためには手段を選ばず、技術を盗んだり、恩を仇で返したり、ということを平気でやってきた人々。

まあ、ストーリーは推して知るべし。
水戸黄門のような世界。
でも、それでも、わくわくと最後まで読ませてしまう筆力、お見事です。

人間の品性って、なんだろう……と思わされた箇所を抜き書き。


「いい気にならないほうが身のためだ、殿村さんよ」(p.127)

「このままじゃ米づくりがダメになる。なんとかならないかとずっと思っていた。けれども私に思いつくことなんざ、限られていましてね。情けないことに、もうあきらめていたんだ。米づくりはもう自分の代で終わりだ。そう思っていました」(中略)
「だけど、いまの佃さんの話をきいて心底、うれしかった。私と同じ志をもって、米づくりのことを、農業の未来のことを真剣に考えていてくれる人がいた。仲間がいたんだ。その仲間が、素晴らしい知恵を出して農業を救おうとがんばってくれている。こんなうれしいことがあるでしょうか」(p.205)

「誰が出世しようと、そんなこと関係ない。いいもの作って、農家の人たちに喜んでもらう。私たちが目指してるのは、そこなんだから」(p.244)

「下請けなんてのはな、結局、ウチ無しではやっていけない、その程度の連中なんだ」(p.286)


上で長々と引用した、田んぼを守る殿村の父親の言葉が、いちばんぐっときました。
企業間の、そして企業内の駆け引き、売り上げ競争、それらの結果よりも。
こういう感覚が既に「昭和」なのかもしれませんが。

今野敏 著 amazonpublishing   2018

IMG_9127

Kindleで読みました。
無料で読めるカテゴリに入っていたのも納得、短編1話のみでした。
うほうほとダウンロードした私、ちょっと肩透かしを食らった感じです。
電車の乗り換え含めて10分ほどで読了。

でも、内容は濃かったです。
竜崎署長が大森署から横浜へと異動していった後、新署長着任までの空白の1日を描きます。
例によって、袋小路の難しい局面に見えたものが、竜崎の判断でするすると対処策にたどりつき……という流れ。(→このシリーズ前作は『棲月』

Kindleの読み心地も確認できました。
電車内での読書は、ライトなしの格安キンドル(第8世代)で問題なしです。
つまり、日ごろの自宅デスクの照明が暗すぎたってことでしょうか。

6F29D321-F6A6-4A0C-AC7E-438DC6EFF06A
こんな具合。
文庫本タイプの書籍なら、目が疲れなくていい感じです。
ケースも装着済みで、これから活用したいと思います。

塩田武士 著    講談社   2018年8月 刊
51xWnfBC1DL

『罪の声』の著書、最新刊ということで、読んでみました。
今回も、主要な役は新聞記者。
やはり、著者、塩田氏自身、新聞社に在職されていたとのことです。

今回は、「小説現代」に発表した4つの短編(2017年発表)を並べ、最後に書き下ろしの 「歪んだ波紋」を置く、といった構成。

テーマは明確です。
虚偽の情報……ニュース、新聞記事、ネット記事……がいかにやすやすと生み出されるのか。
その情報により踏みつけられた人々の心の傷の深さ。
翻って、虚偽の情報を発信する側に立ってしまった者たちの傷の深さ。
故意の虚偽もあれば、諮られた虚偽もあり、
見る角度を変えれば、一人の人が悪者に見えたり、正義漢に見えたり。

誰もがネットで発信できる今、
誰もが被害者となり得るとともに、加害者にもなり得る!
ある意味、怖い世の中です。

「名を挙げたい」「いい記事を発信したい」
そういう意欲に支えられ、記者が発表する新情報の信ぴょう性は、どこで、どう測ればいいのか。
実に難解な問題と化していっている現代です。

本書では、死に至った同僚を悼み、退職後の病身に鞭打って、独自の調査を続ける記者・相賀正和が複数の短編に登場します。
そのニックネームは「ゲルマン」。ドイツ音楽を好む堅物。

 1986年10月、相賀は東京文化会館にいた。セルジュ・チェリビダッケとミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の公演で「ブラ四」を聴いたのだ。
 大学卒業後、全国紙の記者となった相賀は、新人の登竜門である警察回りを担当したが、その激務の中でも月に一度はクラシック音楽のコンサート会場に足を運んでいた。人付き合いが苦手な男が持つ唯一の趣味が、音楽鑑賞だった。 
 これまで数えきれないほどの公演を観てきた相賀が、終始音に圧倒され、震えがくるほどの感動を覚えたのは、31年前のチェリビダッケのコンサートだけだ。演奏中、音楽をこの身に閉じ込めてしまいたい、という柄にもない衝動に自ら戸惑い、第四楽章が終わると同時に立ち上がって、舞台からチェリビダッケの姿が見えなくなっても拍手をし続けた。



で、この相賀が、
この本の中で最もまっとうな取材をし、浮足立った後輩たちを冷静にさせるような役目を担っているんです。
そんな意味でも、ちょっと嬉しかったりしました。クラシック音楽ファンの一人として。

塩田武士 著 講談社 2016年8月刊
516LB3hK1aL

非常に強い印象を残した本でした。
グリコ・森永事件を下敷きにした……というより、事件を巡って起きたこと(警察やマスコミの動きも)、見つかった証拠等をそのまま使っての、フィクション小説です。

でも、フィクションとは思えない、ずっしりと重みのある展開。
久々に本格的なものを読んだ、という感覚です。
読者に媚びる姿勢は全くありません。
ただ、登場人物に感情移入して、心の重さを自分のものと感じて、読み進めてしまいます。
(「ほ~ら、こんな展開、面白いでしょ~♪」「サービスしちゃうもんね~♪」という著者の声が聞こえるような小説とは一線を画します)

事件当時、現金受け渡しの指示書をテープに吹き込んだ子供が、
平成の今になって、自分の記憶にはないその音声テープを自宅で発見し、自分の声であることに慄然として真相解明に動き出す、というのが一つの線。

年末の特集記事で昭和の未解決事件を取り上げることとなり、取材を命令された新聞記者が調査に乗り出す、というのがもう一つの線。

当然のことながら、後半では二人の線が交錯し合い、二人が相まみえた後、行動を共にすることともなるのです。
  • 指示書を読んだ子供=事件の加害者側
この図式をどう捉えるのか。
子供のその後の人生は、どう変わる、どう狂わされるのか。
子供が大人となった今、マスコミの餌食となって家庭崩壊に至る危険はないのか。
だれが責任を持つのか。

重い、重いテーマだと思います。
こういうものを扱いつつ、うまく着地どころを見つけた小説でもあると思います。

小沼丹 著  創元推理文庫  2003年刊  
CAECAB52-9713-4FF9-880C-1C4E9D9C1F61
 文庫化されたのは2003年ですけれど、初出はなんと昭和32年。婦人雑誌に連載されたものだそうです。
「おぬまたん」という優しげな響かから、女性作家かと思ったらさにあらず。 早稲田大学文学部の男性教授だったのでした(1918-1996年)。

さて、本作の主人公はA女学院の若い女性教師、ニシ・アズマ嬢。赤い縁の大きなメガネが、彼女の容貌を台無しにしている……って、冒頭部のこのあたりからすでに共感度いや増しにアップ。

彼女が日常生活の中で気づいた「ナゾ」を、明晰なる頭脳で推理してみせる
という短編が集まったもの。
「~ではありませんことよ」
といった、大正ロマン風の言葉遣いをはじめ、大正も引きずった昭和のムードがここそこに。
推理とはいえども凄惨さは感じられない、ほんわかとした一種の青春小説でした。

あ、小沼丹、今年で生誕100年なのですね。
それで、あちこちで名前を見るのでしょうか?今頃気づいた私です。

窪美澄 著  幻冬舎  2018年4月刊
41n02SVu48L
直木賞候補作になっていたので興味をひかれて。
表紙の絵に見えるグレーが、テーマ・カラーのような小説。

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

石川啄木『一握の砂』

おそらくこの啄木の詩からつけたタイトルですね。
舞台は東北ではなく、富士山の見える地方の町ですけれども。
軸となる人物は二人。

  • 幼くして両親を亡くし、介護士となった後にたった一人の血縁である祖父も亡くし、朽ちかけた家に一人で暮らす日奈、24歳。
  • 同じく介護士として働きながら、自殺未遂をした元焼き鳥屋経営の父、働きづめの母、そして弟のいる元同級生の海斗。ずっと日奈に思いを寄せる幼なじみでもあり、恋人関係にあったことも。
日奈は、東京から取材に来た宮沢と関係を持ち、
海斗は、そんな日奈から離れようと、職場の後輩にしてバツイチ子持ちの畑中と関係を持ち。
それぞれギシギシときしみながら、生活していく、いくしかない、そんな日々。

ああ、介護士の仕事って、厳しいんだなあ。
一種の諦念を心に秘めてこそ乗り切っていける、
そうしているうちにプロ意識のようなものも芽生える、そんな仕事なんだなあ。

まさに「じっと手を見る」そのものの意義を考えさせられるストーリー。

宮沢とその妻が、東京のおハイソ家族に守られていること、
畑中が最終的に選ぶのは「楽できる」相手であること、
こういう「外から来た人」との対比があって、なおさらに日奈と海斗のひたむきさがくっきりと浮き出てきます。

読み終えてしばらく経ってから、ずしんと肚に響くような作でした。

伊坂 幸太郎/著 幻冬舎 2014年刊(文庫本2017年刊)
51eN4MrTI9L

書名に惹かれて借りてみました。
結論として、モーツァルトとはほぼ関連ありませんでしたが。
なんでも短編集最初の「アイネクライネ」は、

ミュージシャン、斎藤和義さんから、「恋愛をテーマにしたアルバムを作るので、『出会い』にあたる曲の歌詞を書いてくれないか」と依頼をもらったのが始まりです。「作詞はできないので小説を書くことなれば」というお返事をし、そうしてできあがったのがこの短編なのですが(後略)

ということなのだとか。
で、出会いについて思いを巡らす会話の中で「小さく聞こえてくる夜の音楽」(小夜曲)からの連想で、モーツァルトのこの曲が出てくるのですが、
「あんな、能天気な曲、夜に聞こえたらうざくてしょうがねえじゃん」
「まあ、確かに」

で終わり。あらら~。

伊坂幸太郎の作って、私の先入観では次のような感じです。
軽いノリであっという間に人が続々と死んでいって、最後の最後に
「どーだ!すげーだろ。これで全部つながるんだぜっ」で大団円(と言ってよいのか?)。

冒頭の短編「アイネクライネ」に出てきたのは次のような人物です。
  • 語り手(佐藤)
  • 語り手の友人夫妻である小田一真&由美、娘の美緒
  • 語り手を街頭インタビューをする羽目に陥らせた同僚、藤間氏とその家族
  • 駅構内の画面で、タイトルマッチを戦っていたボクサー
これらの人々の人間関係が、続く「ライトヘビー」「ドクメンタ」「ルックスライク」「メイクアップ」でそれぞれ広がっていき、登場人物の人数が続々と増え、最後の「ナハトムジーク」で、はい、お約束通り回収されました。
ただ、あちこちで発表してきた短編を収録し、大団円「ナハトムジーク」だけ加筆して発表した本というだけあって、最後の話の飛び方が凄まじかったです。
人物関係表が欲しい!と思いましたし、回収されずに放置された部分もあるのでは、とも。

また、細かいところですが、冒頭すぐの次の表現にひっかかりました。
街頭インタビュー場面です。

丁寧なナンパ氏と警戒されているのか、もしくは、怪しい商品勧誘だと思われているのか、どちらにせよ声をかけどもかけども、誰も協力してくれない。(p.11)

えっ?「かけどもかけども」???
「かける」なら「かけれどもかけれども」でしょう?
「かけどもかけども」では「書けども書けども」の意味になってしまうのでは?
だって、
「見ども見ども」じゃなくて「見れども見れども」、
「着ども着ども」じゃなくて「着れども着れども」ですから。
それとも、最近では、
「かけどもかけども」「見ども見ども」「着ども着ども」が一般的になってるんでしょうか?

瀬尾まいこ 著 文藝春秋 2018年2月刊
51TYK5qaPwL

かな~り待ちました、図書館の予約。
待った甲斐があったなあ、と思わせる読後感です。

主人公は優子。
小説冒頭は、「人生の一大事を控えた」「優子ちゃん」のために「この八年で、驚異的に増えた得意料理」の中から「ふわふわのオムレツを挟んだサンドイッチにしよう」と献立を決める場面から。
誰の視点に立っているのかは、まだナゾです。

この場面が、最終場面と結びついたとき、ほんとに心がじわんとします。

優子自身の視点に立つ記述は、こんな感じ。
 生まれたとき、私は水戸優子だった。その後、田中優子となり、泉ケ原優子を経て、現在森宮優子と名乗っている。名付けた人物は近くにはいないから、どういう思いで付けられた名前かはわからない。

いろいろ説明を加えると、ネタバレになってしまうので、それは止めておいて、印象に残った箇所の抜き書きをします。
この小説、ピアノがとっても重要な役割を担っています。
優子は中学校の3年間、泉ケ原氏の邸宅でピアノにのめり込み、その後は電子ピアノを自宅に置いて、高校の合唱コンクールではピアノ伴奏を担当するのです。

 電子ピアノとピアノの鍵盤とはまるで違って、いつものように弾いていては指が上滑りしそうになる。「ひとつの朝」は転調が多く、曲調が何度も変わる曲だけど、正確に鍵盤を押すことに必死になってしまい、感情の切り替えまで気が回らない。何より電子ピアノの軽いタッチに慣れているせいで鍵盤が深く押せず、弱くなってしまった音がいくつかあった。(p.165)

 早瀬君が鳴らした最初の音で、私は音楽室の空気が変わるのを感じた。早瀬君は鍵盤を悠々と叩いていく。その音は一つ一つが際立っていて、小さな音であっても、部屋中に響き渡る。太く長い指が鍵盤を押すたびに、みずみずしい音が放たれていく。私は一小節目から、演奏に引き込まれた。
 ピアノの独奏だ。それなのに、オーケストラで奏でているような、もうすでに合唱を聴いているような、重厚な響き。その響きは、胸の直接入り込むようで圧倒される。なんてすばらしいのだろう。音の中に体ごと沈んでいくような感覚。こんなピアノは聴いたことがない。(p.166)


この後も、
「ミスタッチとかはおいといてさ、自分のピアノじゃないのに、すんなりと音楽室のピアノになじんでて最初の音から柔らかかった」(pp.190-191)
とか、
「俺、最初ピアノ聴いた時、森宮さん家ですごいいいピアノ弾いてるんだろうと思ってた。音楽室のグランドピアノにすんなり入っていって、きれいな音響かせて。普段からいい楽器を使っている人の出す音だなって」(中略)
「俺、電子ピアノって弾いたことないけど、実はすごい楽器だったんだな」(p.203)

とか、
「俺もこの前楽器店で電子ピアノ触ってみたんだけど、無駄な力みを流してくれていい楽器だと思った」(p.215)
とかいう具合に、ピアノという楽器についての記述が度々登場。
さらには
「音楽はすばらしい。だけど、寝食を削って奏でるものではない」
「ストイックに全身全霊を傾けて鳴らされた音が神経を震わせるのは確かだけど、俺が聴きたいのはそういうんじゃなくて、もっと穏やかな光をもたらしてくれるような音楽」(p.305)

と、音楽大学での生活に疑問が呈されたりします。

そして、病院のロビーの場面。「羊は安らかに草を食み」が演奏されます。
整然と清潔にされすぎ、緊張感を含んだ空間。
 そんな閉ざされた中でも、繊細で静かなピアノの音は暖かに響く。何かを主張することなく、寄り添うように奏でられる音楽は、私の中にも浸透していく。(p.339)

たっぷりした共感を噛みしめた本でした。
ここでは伏せておいたストーリーそのものに対しても。
おすすめです。

西加奈子 著 ポプラ社 2016年刊

『サラバ!』で直木賞受賞後、第1作となるそうです。
私自身、シリアの学生と接していることもあって身近に感じる作。一気読みでした。
613IQItBHXL

アイデンティティをテーマとする作、かな。
主人公は、生後すぐ養子としてシリアからアメリカに渡った、ワイルド曽田アイ。
父・ダニエル、母・綾子は、アイを慈しんで育てます。
父の転勤により、さまざまな人種がひしめき、養子が特別視されないニューヨークから東京へと居を移したワイルド家。

ステレオタイプ的な論調で行くと、
アメリカから日本へ来た人は、日本で感じる同調圧力に馴染めず、反発する
って流れになるんですが、本書はさにあらず。

 あらゆる人種のあらゆる個性が集まる場所で、アイはいつも怖かった。自分が何者でもないことを突きつけられ、それは孤独になった。両親はもちろん、アイのそんな想いを知らなかった。両親も学校もアイをとにかくアイらしく育てようとしていた。だが、「アイらしさ」を拒否するアイはどんどん内向し、いつしかそれはやはり孤独になるのだった。
 日本では「みんな同じ」だった。……(中略)……
 すべてを一様に決められると、おのずから考えることがなくなった。それがアイにはありがたかった。没個性こそ肯定される世界では、自分のことなど何も考えずに過ごしてゆくことができた。(pp.25-26)


もちろん、これは、ほんの始まり。その後、疎外感が彼女を襲います。
さらに、世界に起きるテロ事件や自然災害が報道されるたび、アイの胸に浮かぶのは

「生き残ってしまった」

という思い。
シリアには多くの赤ん坊がいたのに、なぜ自分が選ばれたのか。
自分一人が裕福な家庭にひきとられ、恵まれた生活を送っていていいのか。

孤独を紛らわすため、勉学に励むアイは、次々の受験にパスし、レベルの高い高校、大学へと進み、自ら選んだ数学という専門分野にのめりこみます。
数学に興味を持ったきっかけが、高校の数学Ⅰ授業初日。小説冒頭場面。
この小説、こんなふうに始まるのです。

「この世界にアイは存在しません」
え、と声を出した。


冒頭ですから、主語がわからない。読者は、ミステリー空間に紛れたような感覚で読み進めていくことになります。
発話中の「アイ」とは、数式にいう「i×i=-1」の「i」、虚数。
でも、アイにとっては自分のこと。
アイにとってのアイデンティティ問題を端的に示す一文、呪いの文ともなります。

後年、この呪いが消える場面が印象的です。

「アイは存在する。」
呪いの友は去った。
アイはいまここに存在する自分自身を簡単に抱きしめることが出来た。ここにいてもいいのだ、という消極的な感慨ではなく、いなくてはいけない存在なのだと健やかに感動することが出来た。
恋というものは、こんなにも強大な力を持っている。(p.184)


人生、すんなりとは事が運ばず、決別したはずのこの言葉は、またその後に立ち戻ってくるのですけれども。

たくさんのキーワードがちりばめられた小説です。
  • マイノリティ:LGBT、難民、移民、……
  • 血のつながりの意味:老舗の相続、養子縁組、不妊治療、……
  • 命の重さ:戦争、テロ、自然災害、中絶、……
それらをアイの立場から描くことで(一人称の小説ではありませんが)、うまく掬い取っていると思います。
アイ自身が苦しんでいるだけに、両親だけでなく、アイの親友・ミナ、夫・ユウと、アイを取り巻く人々の温かさにホッとします。
読後感、いいです。
ただ、少し物足りなさを感じてしまうのは、この「いい人だらけ」のせいなのかも。
「サラバ!」ほどのエネルギーを放つ作ではありません。……小説って、難しいものですね。

↑このページのトップヘ