PIOピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

カテゴリ:ラジオ > 絵画の変革と音楽の関わり

第13回【画家が音楽から学んだものルドン「シューマンの肖像」/シューマン「子供の情景第1曲見知らぬ国々と人々」】
2017年9月27日(水)放送→ストリーミング 2017年10月5日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


シューマンのピアノ曲「子供の情景」
1838年、シューマン自身の述べる作曲動機:クララがシューマンを指して”ときどき子供のようににみえる”と言ったので、子供時代に戻ってこれらの曲を作った。(クララ宛の手紙)

象徴主義の画家、オディロン・ルドンにとって、シューマンは最も敬愛する作曲家。
1903年 パステル画「シューマンへのオマージュ」(縦50センチ、横40㎝)
20170929shuman
(画像はホームページ「ルドンと音楽」より)

ルドンの言葉「シューマンは詩人だった」→少年のような顔立ちのシューマンを描く
しかし彼は、音楽そのものを対象とする絵は残していない。
晩年に、竪琴とオルフェウス(=詩と音楽が一つになったモチーフ)を描く絵を何点も描いている。
音楽を知るからこそ、音楽を取り上げることに慎重だったルドンの言葉
「音楽はある特殊な鋭い感受性を育てる。情熱そのものと同じようにそれ以上に危険なものだ。その扱い方を知っているものだけに恵みを与える。

「シューマンへのオマージュ」には、ルドンの前半期の特長モノクロームと、後半期の特長である色彩の双方が表れている。

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このシリーズ「絵画の変革と音楽の関わり」総括

A.音楽と絵画の違い
(1)描写・再現性
音楽は感情など目に見えないものを表現し、絵画は目に見えるものを再現する
絵画は、音楽の持つ「暗示」を取り入れた。
★ルドン:「暗示の芸術はものが夢に向かって光を放ち、思想がそこへ向かうもの。これは音楽のような世界において魅力を発揮する。」
例)パステルの青色が水を暗示する作品において、詩人の清らかさを暗示

★ゴーガン:「聞く力を持つ力を持つものとしての色彩」「色彩の暗示する力」「私の作品はすべてが計算されており、長い熟考の結果です。いわば音楽なのです。」

★ホイッスラー(唯美主義):作品にシンフォニー、ノクターンなどのタイトル
音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。主題は音の、あるいは色彩のハーモニーと何の関わりもない。」

(2)構成・フォルム
「コンポジション」という言葉は、絵画では構図を、音楽では作曲そのものを意味する。
シニャック:海を主題とした4点の絵に、アダージョなど音楽の速度記号と作品番号だけのタイトル
「(新印象主義における点描の)単位は、音符に等しい」

★マチス:音楽の和音や構成をヒントに制作 赤い部屋
「色調のあらゆる関係が見いだされたこと、そこから音楽の和音、調和が生まれる」

(3)時間
音楽は時間を伴う芸術  絵画は時間を持たない
★デュフィ:時間の中に広がる音をどのように描き出すのか苦慮
「線と色彩の扱い方には駆け引きが求められる。両者を和解させる。」

★ブラック:「楽器というモチーフは触れることで生命を帯びる」そのモチーフを丸ごと把握したいという思いが、触覚を重視した分析的キュビズムを生む。遠近法による空間を解体し、絵画に第4の時限、時間を投入。

★クプカ:絵の題名に音楽用語を用い、音楽とともに運動に関心を寄せる。時間の中に広がる音、時間の中に展開される生命的な運動を絵画で表現。

B.楽器の持つ時代背景
★ルノアール:絵の主役にアプライトピアノ=当時の人々が求めた家族像を描く 国民的家族像
★ピカソ:青の時代 ギターは民衆とともにある楽器 民衆の生活に関心を寄せる

C.画家と作曲家の関係
★ドニとドビュッシー:選ばれし乙女の楽譜表紙にドニが版画。二人ともアラベスクに関心を寄せ、 それぞれの芸術形成の中で重要な役割を果たす。
ドニ「絵画とは、一定の秩序のもとに配された色彩である」

★ドラクロアとショパン:本来、サンドとショパンの二人を描いた絵には、二人の芸術家に寄せた画家の思いが表れている。自分より12歳も若いショパンを尊敬していた。

★モネとドビュッシー:モネが睡蓮を描いた年と同じ1905年に、ドビュッシーが同じ主題の作品を発表。印象主義と象徴主義が極めて近い位置にあったことを示す。

【まとめ】
多くの画家がそれぞれに音楽の持つ特質をヒントに、自分の絵画を確立し、音楽の変革をもたらした。
「モチーフ」
絵画:楽器や人物など描かれる対象
音楽:楽曲を構成する最小単位 さまざまに反復されて楽曲を展開させる

二つの芸術分野の特質を表現する言葉だが、一般的にはまず「動機」を指す。
その語義どおり、画家の制作動機と結びつくことで、音楽は絵画に大きな影響を与えた。

第12回【抽象絵画と音楽クプカ「ノクターン」/サティ「三つのノクターンより」】
2017年9月20日(水)放送→ストリーミング 2017年9月28日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


クプカ 1871年 チェコ生まれ 1896年 25歳でパリへ
ムハ(ミュシャ・1860年チェコ生まれ)がパリでちょうど 評判になった頃

今日のテーマ:
抽象絵画の誕生と音楽の関係

クプカ 1
911 年「ノクターン」ほぼ正方形の絵。 灰色青から緑の色あい。
発表は制作後20年以上経ってから。
20170921nocturne
画像は「あなたの知らないアートの世界」より。

抽象のフォルムの中にこそ主題を求めたクプカ。
ノクターンの2.年前の作品ピアノの鍵盤  湖」で描いた、湖のほとりピアノの鍵盤から立ち上がる色面と、「ノクターン」の細長い色面との類似性が指摘できる。

クプカは、情景がもたらす気分や感情、つまり、目に見えないものを描こうとしている。
1870年代ホイッスラーは「絵画は視覚の詩」と述べたが、
ホイッスラーにとって、抽象というフォルムを求める必然はなかった。(具象絵画に「アレンジメント」と題名をつけて発表)

クプカは、「ノクターン」制作の翌年
1912 年に
「アモルフォア  2色のフーガ」
を発表。(ここにも音楽用語「フーガ」)
その4年まえの作品ボールを持つ少女」→  運動への興味
「一瞬を切り取る」ことしかできない絵画で時間を表現しようとしている。
画面に垂直の線を描くことで、時間の経過を暗示
クプカにとって、抽象というフォルムは、描きたいテーマを表すのに必要なものだった。
音楽は時間を表す芸術の象徴。

第11回【唯美主義とノクターンホイッスラー「青と金色のノクターン」/ジョン・フィールド「ノクターン第5番」】
2017年9月13日(水)放送→ストリーミング 2017年9月21日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


主にイギリスで活躍した画家ホイッスラー
「Nocturne : Blue and Gold, Old Battersea Bridge」1872-73年制作
67×50cm | テート美術館(ロンドン)画像は.salvastyle.comより
20170915whistler_battersea01
James Abbott McNeill Whistler(1824-1903)
米国生まれ。父の仕事の関係でロシア・
サンクトペテルブルクへ。
1830年代半ば、多感な青年期をここで過ごし、絵の勉強を始める。
のちに英国で画家として活躍。
彼が作品に「ノクターン」「シンフォニー」などの題名をつけた背景に、唯美主義がある。

フィールドはピアニストであり作曲家。「ノクターン」という分野を作りだしたことで有名。
1817年発表 ノクターン第5番
アイルランド生まれ。ロンドンで活動。
帝政ロシアの
サンクトペテルブルクで、名声を博する。1830年代にはヨーロッパでも活躍。

ホイッスラーは「ピアノ」(姉がピアノを弾く姿)の絵で、画家活動を開始。
7年後の作品で初めて音楽用語を使用。「白のシンフォニー第3番」1867年
横長画面に二人の少女。
なぜ第3番か?
→過去の2作で白い服の女性(白い背景に白い服を着た女性~髪が乱れ、恍惚とし、手に萎れた花~)を描き、伝統から逸脱した作品、「白のシンフォニー以外の何物でもない」と批判される。
これを手玉にとり、自ら作品名にこの言葉を使用。
(さらに批判された2作を改題 「白のシンフォニー第1番」「同第2番」)

「ノクターン」という題名は、ホイッスラーの支援者であった知識人ネーランドからヒントを得たもので、「私の描きたいことをまさに表している」と感謝を述べている。
絵に道徳性や教育を求める当時の風潮に対して、絵画の芸術性を主張する姿がここにある。
「芸術はあらゆる美辞麗句から独立していなければいけない」
音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」
→音楽用語を使用することで
唯美主義の考えを明瞭に示す。

ノクターン事件
1877年「黒と金のノクターン ― 落下する花火」発表
20170915whistler_rocket01
「絵具箱の中身をぶちまけただけ」という批判に対して、フィールドが訴訟を起こす。
唯美主義を譲れないという強い主張。

フィールドはジャポニズムの画家でもあった。
1865年「磁器の国の姫君」

ノクターン・シリーズにも、浮世絵、広重からの影響が見える。
⇒夕闇に浮かぶ橋。深い青のグラデーション。暗い画面に飛び散る金の色。
単なる異国趣味に留まらず、フォルムそのものへの新たな試みがある。

第10回【「青の時代」とギターピカソ「老いた盲目のギター弾き」/ファリャ「漁夫の歌」】
2017年9月6日(水)放送→ストリーミング 2017年9月14日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


ピカソ作「老いた盲目のギター弾き」122.9㎝×82.6㎝
1903年制作 シカゴ美術館所蔵 (画像はMUSEYより)
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1891年生まれのピカソ
青の時代
1901年から「青の時代」が始まる→ピカソ20歳の若者の時代
【「青の時代」の特徴】
・画面を覆う青の色調
・細く引き延ばされた人体表現
社会の底辺に生きる民衆への眼差しがあり、悲しみと叙情性が表れている。

「老いた盲目のギター弾き」には上記の特徴がすべてある。

ピカソと同じスペイン出身の同時代の音楽家といえば、ファリャ(ピカソより5歳年上)。
ファリャは、スペインのカンテ・ホンド(ロマが伝えてきた口承音楽)を守ろうと尽力した。
20世紀を代表する詩人・ロルカもファリャと協力。
ピカソ、ファリャ、ロルカの3人は、民衆への眼差しという点で共通し、3人の中心にあったのがギターであり、放浪する民。

放浪といえば、若者が自己を確立していく道のりと似ている。
ピカソの「青の時代」は、まさに若者ピカソが自己を確立していく時代。

・「画家であった父を超えたい」との青年らしい思い
→本名「パブロ・ルイス・ ピカソ」の中の父方の姓「ルイス」を避け、母方の姓「ピカソ」を名乗るようになったのが、まさにこの1901年の青年期。
・親友が、青年期ゆえの苦悩により自殺
1900年にピカソとともにフランスへ向かい、二人で共同生活をして絵に没頭した親友・カサヘマスが、1901年にピストル自殺。ピカソは彼の死を悼む作品「エボカシオン」(招魂)を制作。
これが「青の時代」の嚆矢となった。

キュビズムは、前回ブラックの回で指摘したように「触覚」から始まったもの。
ギターに「触って」奏でる音楽に耳を傾ける「盲人」は、このモチーフそのもの。
キュビズムの旗手となるピカソが既にここにある。

1903年の大作「人生 ラヴィ」になると、女性の身体が丸みを帯び、ピンクの色彩も現れる
→次の「バラの時代」へ。「青の時代」が青年ピカソの自己確立とかかわっていたことを示す。


第9回【「楽器」という静物 ブラック「マンドリン」/ヴィヴァルディ「マンドリン協奏曲 ハ長調」】
2017年8月30日(水)放送→ストリーミング 2017年9月7日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


ブラック作 1910年「マンドリン」縦72㎝ 横58㎝ 
ロンドン テートギャラリー蔵  (画像はTATEより)
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ジョルジュ・ブラック 
1882年パリ近郊生まれ →ルアブル(デュフィと同じ地)で育つ。デュフィの5歳年下
パリに赴き、ピカソとともにキュビズム運動に励む
展開時期
①初期キュビズム:風景などを立体や円筒形の幾何学的形態に還元
②分析的キュビズム:透視図法(遠近法)に基づく空間を解体
③総合的キュビズム:コラージュの手法
「マンドリン」は②分析的キュビズムの代表作

マンドリン 17世紀の初めまでにできる。マンドールから分離
 ナポリ型マンドリン→現在の形に至る

キュビズムと楽器の形についてのブラックのことば
「楽器が身の回りにあったから」
楽器というモチーフは人が触れることで生命を帯びる点に惹かれた」
モチーフの形態を捉える
「対象をただ見るだけでなく触れたい」という思いがキュビズムの出発点

1909年「楽器のある静物」縦50 横61 
画面中央にマンドリン 左横にラッパの上半分 背景に楽器
二つの視点から捉え、少しゆがんだ形を作る 対象に接近 ①初期キュビズム

1909年「ギターとコンポート皿」やや縦長の画面
ギターの手前に果物 後ろにコンポート皿 こぶりの楽譜モチーフ
コンポート皿の足と下がつながっていない 複数の視点は空間の非連続となる

1910年「マンドリン」
対象を捉える視点の多様化 題名がなければマンドリンとわからない

ルネッサンス時代に誕生した正遠近法は「人間の理性」を示す。
これが20世紀初めのキュビズムにおいて壊される。
身の回りの世界の把握法が崩壊。視覚に偏らない把握法。
対象を「まるごと把握したい」と願い、いくつもの視点から捉えて画面上に再構成する。
「6歳の子どもになったつもりで、線路の上を走る列車を描く」ような捉えかた
走る列車は水平の視点から、遠くまで伸びる線路は俯瞰する視点から描く。

絵は一つの視点から描くものだというのは固定観念。

第8回【音楽家へのオマージュ デュフィ「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」/バッハ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」】
2017年8月23日(水)放送→ストリーミング 2017年8月31日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


デュフィ(1877-1953)「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」
1952年制作 縦81cm 横100cm パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
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(画像は個人ブログ「足立区綾瀬美術館 ANNEX」から転載)

絵の特徴:
チェンバロ、ヴァイオリンの輪郭線と、
部屋全体に広がる赤い色、ヴァイオリンの黒、深い青色の領域がずれている。

これは、デュフィが築き上げた「線と色彩を分離し、和解させる」という哲学の表れ。
木版画での輪郭線の扱いや、
ポール・ポアレ(仏のファッション・デザイナー)との共同作業で、ファッション界のテキスタイルにも携わり、絹の布上にプリントされた輪郭と色彩などを扱った経験に基づく考え。
「装飾とモードは真面目な実験だった」とデュフィ自身が振り返っている。

デュフィは、父が教会の聖歌隊やオルガン演奏でも活躍した人で
音楽を楽しむ環境で育ち、23歳で絵の勉強にパリへ。
1915年には「モーツアルトへのオマージュ」という作品を手がけているが、
その後、上記のように木版画、テキスタイルの領域で活躍したのち、
晩年の1940年代から、音楽にまつわる主題の作品が多くなった。

ルノアールのように演奏する人物を描くという手法ではなく、
楽器や楽譜だけを描く画面を構成し、
輪郭線と色彩との扱いを工夫することによって
「音の広がり」「無の中から音楽が立ち上がる様子」
を描こうとした。

一方、演奏者を描く画風の作品も多い。
実生活でも、チェリストのパブロ・カザルスと交流を持ち、
シャルル・ミュンシュの指揮するオーケストラの稽古に通い詰めてデッサンしたという。
そのオーケストラを描いた素描には、細かな色彩メモが残されていて、
楽器の音色、音域に応じて、色彩を注意深く選んで描いていたことがわかる。

第7回【絵画の構成と音楽 マティス「音楽のレッスン」/ハイドン「ピアノ三重奏曲 ホ長調」】
2017年8月16日(水)放送→ストリーミング 2017年8月24日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


アンリ・マティス 1916年
「音楽のレッスン」
(バーンズコレクション所蔵)縦245cm 横200cm
(画像はPinterestより)
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シニャック(→第4回放送)の影響で、
活動初期には新印象主義、点描の技法を用い(初期作
「豪奢 静寂 悦楽」1905年)、
その後、
アラベスクと世紀末美術に関する興味を強め、
北アフリカ・アルジェリアの工芸品に感銘を受けて絵の題材とし、自己の絵画構成を確立させていったマティス。(代表作「赤い部屋」1908年 エルミタージュ美術館蔵・「赤のハーモニー」とも )

「音楽のレッスン」と同時期に描いた「ピアノのレッスン」(NY近代美術館蔵)では、人物は二人だけで表情も少なく、できるだけモチーフの細部を取り払い、直線でシャープな構成をとっている。
マティスの造形上の探求は、こちらのほうに結実している。

「音楽がわずか7つの音符で構成されるように、絵もいくつかの色彩で構成」
「色彩の自律的な価値、色彩で構成する」ことを主張したマティス。
「コンポゼ(構成する)」という動詞は音楽では作曲を意味する。
マティスが音楽を念頭において、絵画を考えたことは明白。

「音楽のレッスン」と題する絵は、マティスの作品中、例外的な絵。
人物が多く、その人格も窺えるほどに表情豊か
実はこれはマティスの自宅風景。家族の肖像画
・ピアノを弾く次男ピエール16歳(バランスを考慮して手元は描かれない)
・長女マグリット22歳 弟の手元に視線 優しく見守る
・読書する長男ジャン17歳 
・窓の外に座るマティス夫人アメリ
・マティス自身は、右手奥に掛けられた絵、ピアノの上のヴァイオリン(マティス愛用の楽器)に象徴されている。

1916年、第一次世界大戦ただなか 
長男ジャンが第一次世界大戦に召集された時期に、
つかの間のかけがえのない一家団欒、ひとときの平穏な時間を切り取った。
長男のジャンが無事に帰り、マティスの好んだハイドンピアノ三重奏の合奏が可能になることを期待して描かれた、一家にとって特別な絵。

(参考)「赤の部屋」(1908年・エルミタージュ美術館蔵)
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第6回【アラベスクと世紀末美術 ドニ「天井装飾のための詩的なアラベスク」/ドビュッシー「二つのアラベスク」】
2017年8月9日(水)放送→ストリーミング 2017年8月17日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


モーリス・ドニ 1892年 
「天井装飾のための詩的なアラベスク」
(のち「木の葉に埋もれた梯子」と改題)
縦235㎝ 横172㎝ (画像はSalvastyle.comより)
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モーリス・ドニ
1880年18歳でアカデミージュリアンに入学
(1888年、ゴーガンがブルターニュのポン=タヴァンで総合主義を確立)
ナビ派
「自分たちも新しい絵を作ろう」 装飾性に対する関心

画家と音楽家が直接的に交流したケース
まだ無名に近い時期に、若いドニとドビュッシーが交流。
二人の作品の題名に見られる「アラベスク」

1891年、二人はルロール家(サン=ジェルマン=アン=レイ在住)で出会う
ルノアールが描いたピアノを弾く姉妹が、ルロール家の令嬢。
サン=ジェルマン=アン=レイ(パリ郊外)  
ドビュッシーの生地  ドニも幼少期をここで過ごす
ドビュッシー記念館とドニ美術館は徒歩10分の距離

ドビュッシーの楽譜「選ばれし乙女」の表紙をドニが描く

アラベスク=「アラブ」風の=イスラムの装飾文様=蔓草装飾模様
ドニドビュッシーともに、アラベスクが「あらゆる装飾の基本」と考える。
(ドビュッシーは「音楽のアラベスク」という語でバッハの曲を論じる)
アールヌーボーの影響。
ドニ 1892年 「樹下の行列」
増殖する植物文様=樹木の影がアラベスク模様を作り、修道女の服も染めている

ドビュッシーが若い時期に作曲した「二つのアラベスク」
音楽学者、平島正郎氏は、ドビュッシー音楽の原型をこの曲に見出している。

ドビュッシーの言葉
「音楽は神秘的な数学。水の動き、曲線の戯れを表現できる。」
交響曲「海」の楽譜では北斎の絵を表紙に。
富士山をカットし、波のダイナミックさを強調している。
「海」の副題は「交響的エスピース(習作)」→「エスピース」は絵画用語。
音楽と絵画の影響の及ぼし合いが見られる。

アラベスクには装飾性とともに抽象性が内在している→二十世紀への扉を開くもの

第5回【野生の響きを聴く ゴーガン「ブルターニュの踊る少女たち」/エンヤ「Any Where Is」】
2017年8月2日(水)放送→ストリーミング 2017年8月10日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


ゴーガン 1887年の作(縦73cm 横93cm)
「ブルターニュの踊る少女たち」
(画像は 2011年ワシントン ナショナル・ギャラリー展

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踊る少女の背景に、流れる音楽をイメージさせる作品。
1883年、23歳で証券仲買人の仕事を辞め、画家を志したゴーガンは、1886年、印象派最後のグループ展にこの絵を出品。彼の独自性の出発点。

ブルターニュ:ケルト文化が息づく地。
19世紀の産業革命もこの地には届いておらず、伝統文化が息づいていた。
多くの画家たちが、ここのポン=タヴァン村で暮らす。

Ⅰ.第一次ブルターニュ滞在(1886年6月)
上記「ブルターニュの踊る少女たち」制作
このときゴーガンが書いた手紙に次の注目点が見える。

①田舎への傾倒
パリとブルターニュを対比し、ブルターニュという地方の美を強調
→後年のタヒチ行きにつながる

②目に見えない音楽を表そうとする意図
「鈍い、こもった、力強い響きを聴く」と聴覚に関わる表現で、この絵を説明
目に見える世界よりも目に見えない世界へ

Ⅱ.第二次ブルターニュ滞在(1888年2月~10月)
代表作の一つ「説教の後の幻影」縦73横92 (画像はMUSEY
目に見えない宗教心を描こうとする。構図にそれが表れている。
20170804_2

赤いそばの実。
ヤコブと天使の戦い。
ともに祈っている人々の心の中にあるもの。目に見えないもの。
ブルターニュ地方のケルトの伝統、宗教心に着目している。

こうしたアプローチを「総合主義」と名付けたゴーガン。
想像力の広がりによって創作することを目指す。 
cf. ファン・ゴッホは現実世界を写実することを目指す。→ゴーガンとゴッホの同居生活(1888年10月~12月)は短期で破綻。その後、ゴーガンは3度目のブルターニュへ。

Ⅲ.第三次ブルターニュ滞在
「キリストの磔刑」(画像はsalvastyle.com)
20170804_3_gauguin_christ00

民衆の素朴で熱い宗教心、ブルターニュに生きる女性たちの姿を描く。
失意の中で、タヒチ行を決意。
タヒチでの手紙にも「沈黙に耳をすます」ゴーガンの鋭敏な聴覚が表れている。


エンヤの曲は、ケルト文化を象徴するものとして。
1996年発表の
「Any Where Is」
海上交通の時代、フランスとアイルランドは非常に近い関係にあった。

第4回【アダージョゆるやかに シニヤック「 アダージョ」/ベートーベン「ピアノソナタ 第26番 変ホ長調『告別』」】
2017年7月26日(水)放送→ストリーミング 2017年8月3日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


新印象派 シニャック 1891年の作
「凪 コンカルノ アダージョ」(画像はWikimedia Commons

Paul_Signac_-_Concarneau,_Opus_221_(Adagio)

絵のタイトルに音楽用語が使われている点で、音楽との関わりが深い絵。
1891年は、新印象派の代表スーラが急死し、シニャックにとって転機となった年。

(1)楽章を意識した、独自の新しい連作に挑む
海の小舟を描いた4点の作品を
「海 さまざまな小舟 コンカルノ― 1891年」という表題で
発表(1902年)
≪1902年ブリュッセルの展覧会出品、初出時のタイトル≫
・ラルゲット 219番
・アレグロマエストーソ 220番
・アダージョ 221番
・ブレストフィナーレ 222番
→音楽の速度記号と作品番号のみ。4楽章からなるシンフォニーのように構成。
明らかに、音楽作品(ソナタ、シンフォニー)のタイトル、作品番号を意識している。
(現在は、4作に「朝の凪」「夕方の凪」「凪」「船の帰還」というタイトルも添えられている)

(2)新印象主義を理論化する際に、絵画を音楽になぞらえる
「筆触は、シンフォニーの中の一つの音符に等しい」
筆触は絵画を構成する単位と考え、点描という技法を体系化しようとした。


シニャックに影響を与えたと思われる音楽の例として、次の2つを紹介。
ベートーヴェン ピアノソナタ第26番 変ホ長調 第1楽章『告別』
シューマン アダージョとアレグロ 作品70(1849年)

第3回【ピアノと家族 ルノワール「ピアノを弾く娘たち」/モーツァルト「キラキラ星の主題による変奏曲」】
2017年7月19日(水)放送→ストリーミング 2017年7月26日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


1892年:「ピアノを弾く娘たち」

ルノアールにとって大切な位置づけにある絵
1)晩年の作風を確立させた作品
印象派の作風(光と人物が溶け合う手法)に限界を覚え、明確な輪郭を取り戻そうとして、ルネッサンスの絵や新古典主義のアングルの技法を学んだりした後、元の柔らかな色調に戻ってきた。その時期の作。

2)フランス政府からの注文によって制作された作品
印象派グループ展を抜け、サロン展に復帰、個展も開催→絵を購入し、支援する人々を求めた行動。この行動が実を結び、国に認められる画家となった。


近代社会に生まれた、理想の家族の幸福を描いた
大家族から核家族へ。夫婦、子どもの間の愛情こそが大切という価値観。ミクロ世界。
・10代の少女二人の美しい服装→娘に心を配る母親、それが可能な裕福さ
・ピアノ、隣の部屋に飾られた絵→芸術に理解のある、教育熱心で裕福な家庭
・妹に寄り添う姉→家族愛
・グランドピアノではなく、アップライトピアノ→国民的家族のイメージ
(ルロール姉妹を描いた絵のように、他にはグランドピアノで弾く少女の絵もある)

19世紀初めの
ピアノ
アップライト:2万台 35ポンド
グランドピアノ:アップライトの3倍以上の値段、売れ行きは10分の1以下

ピアノで弾かれる曲名は何も描かれていない
絵を見る人がそれぞれに、記憶の中の曲目をイメージできる。
少女のレッスン曲からのイメージで、きらきら星変奏曲を選んだ。
モーツァルトがパリに滞在中の1778年、フランスの民謡に取材して作曲した曲。この民謡のフランスでのタイトル「お母さん、私の悩みを打ち明けようかしら」にも、絵に通ずるものがある。

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画像は「西洋絵画美術館」より



第2回【切断された肖像画 ドラクロワ「ショパンの肖像」/ショパン「子猫のワルツ」】
2017年7月12日(水)放送→ストリーミング 2017年7月20日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


1838年:ドラクロア筆「ショパンの肖像」(ルーブル美術館蔵・縦45㎝、横38㎝)
同年:ショパン ワルツ第4番(子猫のワルツとも呼ばれる)、即興曲第1番

絵は切断されて現在の形に。(美術館に残る構想図からわかる)
絵の中のピアノはアップライト。ショパン愛用のグランドピアノではない。
→絵はサンドの自宅か。サンドはドラクロア宛の手紙でも自宅でのショパンの演奏に言及。

切断されたのはドラクロアの死(1963年)後、収集家の手に渡ってから。そのほうが高く売れるとの判断に基づくか。
・サンドの姿はほぼ全体が残った(現在、コペンハーゲンの美術館所蔵)
・ショパンの姿は小さくなってしまった。ピアノを弾く姿は想像できない。

19世紀後半から20世紀は、美術界が、音楽界、文学界と深く交流した時代。
ドラクロアが構想した構図は、それを示している。

絵が描かれた時点(1838年)での人間像
ドラクロア:40歳 既に活躍 ≪美術≫
サンド:34歳 男装の麗人 ≪文学≫
ショパン:28歳 ≪音楽≫ 
・サンドとショパンの関係は1836年暮れから約10年間。絵の制作は1838年マジョルカ島に二人が旅立つ前。1847年3月、二人の破局直前のドラクロアの日記に、サンド、ドラクロアの前でショパンが演奏したとの記述がある。
・1849年4月(ショパンの死の半年前)のドラクロアの日記
「音楽では何が論議をつくるのかとショパンに聞くと、和声と対位法だと答えた」
音楽の構成についての若いショパンの考えは、ドラクロアの色彩理論に影響を与えたと思われる。
≪素描での構図≫
画面中央にピアノを弾くショパン・左に聴くサンド。
ピアノは鍵盤が見えない角度。鍵盤とその上の手は描かれない。→当時としては異端。芸術家二人の肖像画で、そのうちの一人に光が当たりすぎることを避けた。
≪肖像の描き方≫
サンド→情熱と怪しい官能性を描く
ショパン→顔の角度が構想図から微妙に変更→素描(宙を見つめる姿)に見られた「音楽家の自負」よりも、油彩(より下方を向き、集中する姿。額の皺)では芸術家の「苦悩」が感じられる。
*仲睦まじいカップルを描くことが目的ではない。

ボードレールが、音楽家リスト(ショパンとサンドを引き合わせた人物)の言葉を書き記している。
「リストは、ショパンに関する珠玉の研究の中で、この音楽家詩人の熱心な聴衆の一人にドラクロアを挙げている。深淵の恐怖の上を軽やかに飛ぶ輝く小鳥にも似た、軽快で情熱的なショパンの音楽に耳を傾けながら、深い夢想に沈むのを好んだという」
ドラクロアは、深淵と向き合うショパンの精神性を描こうとした。

ドラクロアの日記(1837年 ショパンの死後)の記述
「ショパンの即興曲は、完成された曲よりもはるかに大胆だといえる。これは、完成されたタブローと習作(エスキース)の関係に似ている。確かに仕上げたからといってその絵がダメになるわけではない。しかし、そこにはおそらく習作の持つ想像力の働きがない。」

音楽を担う若いショパンへの尊敬を抱き、絵に音楽の考えを取り入れようとしたドラクロア。
当時の絵画の規範では滑らかな仕上げが必要とされたが、ドラクロアは、褐色の背景の中に、緊張感をもった音楽家の顔を描き出した。

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(画像はMUSEYから)

第1回【二人のクロード:近代絵画と音楽 モネ「睡蓮」/ドビュッシー「水に映る影」】7月5日放送
実践女子大学教授…六人部昭典(→ストリーミング

モネ(1840-1926)とドビュッシー(1862-1918)は、
年齢に20歳以上の差があり、直接の交流もないことから、同じ流派とはみなせない。
モネは印象主義だが、ドビュッシーはその後に続く象徴主義に属する

1805年:世紀の転換期に、モネ、ドビュッシードがともに「水の反映」に着目
従来、反目するとみなされて来た印象主義と象徴主義は、実は近いもの
  • モネ:ボストン美術館蔵の水連(画像参照)を発表→画面中央にあるのは「水面に映る影」=反映(水連ではない)
  • ドビュッシー:代表作の一つ「水に映る影」発表→原題は「水の中の影
20世紀初頭、絵画界も小説界も音楽に憧れる気風があった。
次回から次の3つに大別して解説(テーマは絵画の変革→音楽を手掛かりに絵画を理解)
  • 画家と音楽家の間に交流がある場合(例:ドラクロアの描くショパン)
  • 絵の中に楽器や楽譜など音楽と関係するモチーフが描かれた場合(これが最多)
  • 絵のタイトルに音楽用語が使われている場合
絵画と音楽の差異
  1. 描写・再現性:絵画には可能でも音楽には不可能→絵画は再現だけで満足する危険性も 
  2. 作品構成:「コンポジション」絵画では構図を、音楽では曲作りそのものを指す
  3. 時間性:音楽は時間を伴った芸術
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(東京都美術館での「ボストン美術館の至宝展―東西の名品、珠玉のコレクション」】2017年7月20日(木)―10月9日(月・祝)で展示されます)

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