室田 尚子 著  清流出版 2012年5月刊 
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表紙にギョッとします(著者ご自身、漫画家の方にコンタクトして依頼されたとのことです)が、中身はたいへんよくできた解説本でした。

  • 応接室:オペラ劇場の楽しみ方
  • 「禁じられた愛」の部屋(ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」、ヴェルディ「アイーダ」)
  • 「恐い女」の部屋(プッチーニ「トゥーランドット」、プッチーニ「トスカ」、リヒャルト・シュトラウス「サロメ」、ベルク「ルル」)
  • 「困った男」の部屋(プッチーニ「蝶々夫人」、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」)
  • 「結婚相談所」の部屋(ロッシーニ「セビリャの理髪師」、モーツァルト「フィガロの結婚」、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」)
  • 「美人薄命」の部屋(ヴェルディ「椿姫」、プッチーニ「ラ・ボエーム」)
  • 「殺人事件」の部屋(ビゼー「カルメン」、ヴェルディ「オテロ」、ベルク「ヴォツェック」
  • 「魔法使いとファンタジー」の部屋(モーツァルト「魔笛」、ウェーバー「魔弾の射手」、ワーグナー「ニーベルングの指輪」四部作)
  • 「身代わり請負人」の部屋(モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」、ヨハン・シュトラウス二世「こうもり」、レハール「メリー・ウィドウ」)
  • 「詐欺師と泥棒たち」の部屋(ドニゼッティ「愛の妙薬」、オッフェンバック「ホフマン物語」、ヴァイル「三文オペラ」)
  • 「子ども部屋」(ラヴェル「子どもと魔法」、フンバーディンク「ヘンゼルとグレーテル」)
  • キッチン:オペラの舞台ができるまで

私がこれまでに見たオペラ(数は少ない…)の疑問点が解決できたのが、一番の収穫です。

(1)ベルク「ヴォツェック」
登場人物がどんどん死んで行って、最後に男の子が「ポッポー、ポッポー」と一人さびしくつぶやくように歌う陰惨な幕切れ。暗くて救いのないストーリーに「いったいこれは何だ??何をめざしているのだ??」と頭の中が疑問符だらけになった私でした。(2004年のサイトウキネン・フェスティバル。卓越した舞台意匠が忘れられません!)
【疑問への答え】
オペラが夢物語としてだけではなく、「私たち自身の問題」として考える材料となり得ることを示した作品。ピエール・ブーレーズ(20世紀を代表する作曲家で指揮者)は
『ヴォツェック』はオペラそのものの総括であり、おそらく『ヴォツェック』をもってこのジャンルの歴史が最終的に幕を閉じたのである。このような作品のあとでは、劇音楽はまったく新しい表現形式を探さなければならないように思われる
と述べている。
オペラに登場するすべての人が不条理な社会に押し込められたまま身動きが取れず、そこに絡めとられている、という状況は現代にも通ずる。芸術が「絵空事」で終わるなら、芸術に未来はない。この作品では、最後に残る子どもをどう捉えるか、さまざまな演出で新たな解釈が提示され続けている。

(2)オッフェンバック「ホフマン物語」
つい最近見たオペラです。
私としては、この作品にも「私たち自身の問題」として考えるべきテーマが示されていたと思うのですが(→鑑賞記録)、「親友のニクラウス(実は詩の女神)」「恋敵のリンドルフ(実は悪魔)」等の設定の意味が????だったうえ、有名な「ホフマンの舟歌」がストーリー展開には関係なしと知って驚いたのでした。
【疑問への答え】
ホフマンの恋の遍歴というかたちをとる物語だが、実はカギを握るのは詩の女神ミューズと悪魔の存在。ミューズが詩人ホフマンを芸術の道へ引き戻そうとする一方、悪魔はリンドルフから人形師コッペリウス、医師ミラクル、魔術師ダベルトゥットへと姿を変え、ホフマンの運命を操る。つまり、根底には女神と悪魔のかけひきがある。
また、現実と幻想(人形オランピア、歌姫アントニア、高級娼婦ジュリエッタは夢?)、過去と現在が渾然としている不思議さが魅力でもあり、有名な二重唱「ホフマンの舟歌」はこの作品のムードを見事に表している。


なるほど。お見事な解説!と納得いたしました。
表紙からわかるように、たいへんくだけた語り口で読みやすいのですが、
中身はしっかり詰まっている本でした。


追記:
todayMovie
実はこの記事を書きかけの状態で、たまたまNHK「ららら♪クラシック」の録画を見たところ、著者の室田さんが「30分オペラまるわかり ドン・カルロ」という回に登場され、
オペラはマンガ好きにはたまらない。「ヘタレ」「ギャップ萌え」「BLの香り」といった少女漫画の視点から語ることができる
と主張されていました。ここでもまた、
なるほど、この人にしてこの著書あり!と納得しました。