ライプツィヒからベルリンまでは、約200キロ。
友人の運転で12:30にライプツィヒ出発。
高速道路アウトバーンの両側には、
黄色い花が輝く小麦畑の風景が続きます。
小麦の花は菜の花にそっくり。
この3日の間に、その黄色の鮮やかさを増したように見えます。
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ベルリンと一口に言っても、面積は東京都全体の面積の1.5倍という広さ。
一つの都市と言うには大きすぎる存在です。
車で移動していても、その大きさが実感できました。
東京の首都高を思わせる市内の道路(トンネルによる道路の交差や、複雑な経路表示)、
信号機🚦の数の多さ、短時間に道を横切ろうとする人々の早足、錯綜する車のレーン。

「ここはトルコ🇹🇷移民が激増している地域」
「あの黒い服の集団は、たぶんロマ(ジプシー)の人たち」
「ここは元DDR(東ドイツ🇩🇪)だった地域」
「ここはモダンなオフィス街」

といった友人の説明を聞きながら市内を進み、
15時過ぎにベルリン中心のホテル🏨にチェックインしました。

ベルリン訪問の第一目的は、ベルリンコンツェルトハウス交響楽団のコンサートに足を運ぶこと。
ライプツィヒのゲヴァントハウス交響楽団がヨーロッパツアー中で聴けないことを悔しがった友人が、
「ベルリンのコンツェルトハウスに行きましょう!」
と、チケットを確保してくれました。
(コンサートについては、稿を改めて後ほど)
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16時〜18時過ぎのコンサートで感激のひとときを過ごした後は、
ベルリン東西分断時代、東ドイツとにしドイツの国境に置かれていた検問所、
チェックポイントチャーリーへ。
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ドイツ全土が、ソ連、アメリカ、フランス、イギリスの4カ国によって分割統治されていたという歴史の重みを、ずっしりと受け止めました。
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