第6回【アラベスクと世紀末美術 ドニ「天井装飾のための詩的なアラベスク」/ドビュッシー「二つのアラベスク」】
2017年8月9日(水)放送→ストリーミング 2017年8月17日(木) 午後3:00配信終了
実践女子大学教授…六人部昭典


モーリス・ドニ 1892年 
「天井装飾のための詩的なアラベスク」
(のち「木の葉に埋もれた梯子」と改題)
縦235㎝ 横172㎝ (画像はSalvastyle.comより)
2017-08-10picture
モーリス・ドニ
1880年18歳でアカデミージュリアンに入学
(1888年、ゴーガンがブルターニュのポン=タヴァンで総合主義を確立)
ナビ派
「自分たちも新しい絵を作ろう」 装飾性に対する関心

画家と音楽家が直接的に交流したケース
まだ無名に近い時期に、若いドニとドビュッシーが交流。
二人の作品の題名に見られる「アラベスク」

1891年、二人はルロール家(サン=ジェルマン=アン=レイ在住)で出会う
ルノアールが描いたピアノを弾く姉妹が、ルロール家の令嬢。
サン=ジェルマン=アン=レイ(パリ郊外)  
ドビュッシーの生地  ドニも幼少期をここで過ごす
ドビュッシー記念館とドニ美術館は徒歩10分の距離

ドビュッシーの楽譜「選ばれし乙女」の表紙をドニが描く

アラベスク=「アラブ」風の=イスラムの装飾文様=蔓草装飾模様
ドニドビュッシーともに、アラベスクが「あらゆる装飾の基本」と考える。
(ドビュッシーは「音楽のアラベスク」という語でバッハの曲を論じる)
アールヌーボーの影響。
ドニ 1892年 「樹下の行列」
増殖する植物文様=樹木の影がアラベスク模様を作り、修道女の服も染めている

ドビュッシーが若い時期に作曲した「二つのアラベスク」
音楽学者、平島正郎氏は、ドビュッシー音楽の原型をこの曲に見出している。

ドビュッシーの言葉
「音楽は神秘的な数学。水の動き、曲線の戯れを表現できる。」
交響曲「海」の楽譜では北斎の絵を表紙に。
富士山をカットし、波のダイナミックさを強調している。
「海」の副題は「交響的エスピース(習作)」→「エスピース」は絵画用語。
音楽と絵画の影響の及ぼし合いが見られる。

アラベスクには装飾性とともに抽象性が内在している→二十世紀への扉を開くもの