著者: クリスチャン・メルラン
出版社: みすず書房
価格: 6600円
頁数: 608P
発売日: 2020年02月19日

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第一部 オーケストラの奏者たち
第二部 構造化された共同体
第三部 指揮者との関係

全600頁超。辞書かと思うような分厚さです。
実家滞在中に、シコシコと読了。
筆者がフランス人だけあって、フランスを中心としたヨーロッパのオーケストラ内幕話が多いですが、少しはアジアの話も出てきます。邪道かもしれませんが、そんなところに注目しつつ、読みました。

指揮者として出てきた日本人は、次の2名。
大野和士
オーケストラのストライキについて述べる中で、次の記述が。
2005年、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団によるシャトレ座でのヘンツェのオペラ〈バッカスの巫女〉の公演中止があり、指揮者の大野和士はわずか数日で器楽アンサンブル向けの編曲を余儀なくされた。(p.16)


小澤征爾
「ブーレーズやマゼール、小澤、メータ、サロネンに比べたら(p.450)」と、現代の一流指揮者として名前が挙げられるとともに、
指揮者がオケに錬金術のような奇跡をもたらした例として、「フランス国立管弦楽団が小澤征爾の指揮で〈ラ・ヴァルス〉を演奏したとき」のことが讃えられていました。(p.535)

一方で、
小澤征爾がボストン交響楽団の頂点に立って30年が過ぎると、もはや彼自身にもオーケストラにも進歩の余地がなくなり、人間関係にまで影響を及ぼすことになった。(p.468)
とも。
「アメリカのティンパニの皇帝」として名を馳せたボストン交響楽団のエヴァレット・ヴィック(ヴィクター)・ファースについて記述する、次の箇所にはびっくり。
1973年にボストン交響楽団の指揮者に任命された小澤征爾は、自分の任期中はファースもオーケストラの演奏を続けるという秘密協定をファースと結んでいる。ファースはこの約束を守った。彼が72歳で引退したのは、小澤征爾がボストン交響楽団を去った2002年のことだ。その後も毎年夏になると松本音楽祭のサイトウ・キネン・オーケストラのティンパニ奏者としての姿を披露している。(p.384)


個人名として出た日本人は、あと一人だけ。
マリンバにはヴィルトゥオーソとの名がふさわしいソリストがいる。アメリカのリー・スティーヴンス、日本の安倍圭子、フランスのエマニュエル・セジュルネとエリック・サミュだ。(p.398)

安倍圭子さん、私は初めて知りました。ググったところ、1937年生まれの方とのこと。大御所ですね。

日本のオーケストラとして固有名詞が出てきたのはNHK交響楽団だけでした。
それも、演奏内容を云々する箇所ではありません。
N響の演奏がラジオ放送されたのを聴いたカラヤンが、招聘され演奏していたウィーン・フィルのオーボエ奏者の音色をすぐに聞き分けた、というエピソード提供楽団として名前が出たのみです。

現在、N響で指揮をしているパーヴォ・ヤルヴィは多々出てきますが、本書の原語での出版が2012年ということもあって、N響との関わりは論じられません。
彼を評して「荒削りでも熟成の余地のあるオーケストラを好むパーヴォ・ヤルヴィ(p.462)」とあったのには、妙に納得してしまいました。


それから、1970年のエピソード(ウィーン・フィルで長く団長を務めたヴァイオリン奏者オットー・シュトラッサーの発言)として紹介されたのが、次のくだり。
(ヴァイオリン奏者の入団試験で)受験者が最高の演奏を披露したので、パーテーションをはずすと、その受験者が日本人であることがわかり、審査員は呆気にとられた。結局、その日本人は採用されなかった。なぜなら、彼の顔つきが〈ピツィカート・ポルカ〉にふさわしくなかったからだ。(p.141)

その後も、純粋な日本人はまだ一人もウィーン・フィルには入団していないとのこと(オーストリア人と日本人を両親に持つ団員はいても)。

「あ、これはあのピアニスト!」とピンときたのは、韓国のイム・ドンヒョク。最近、彼の名前を聞きませんが、かつての神童、どうしているのでしょうか。
クルト・マズアがフランス国立管弦楽団によるラヴェルの〈ピアノ協奏曲ト長調〉の終楽章の冒頭の演奏をさえぎり、激怒する場面もあった。ロン=ティボー・コンクールの受賞者のガラ=コンサートでのことだ。冒頭のファンファーレに続けて韓国人の若いピアノ奏者があまりにも速く弾きはじめたために、オーケストラの一部だけがピアノに合わせ、残りが指揮者に合わせてしまう事態となったのだ。(p.170)


なんだかゴシップのオンパレードのようになってしまいましたが、実はこの本で興味深かったのは、楽器の種類や変遷などです。

オーボエのように見える楽器が、なぜ「イングリッシュ・ホルン」と呼ばれているのか、ずっと不思議だったのですが、本来は「オーボエの5度下にあたるコーラングレ」という楽器で、曲がったという意味の「アングレ」とイギリスを意味する「アングレ」が混同された結果の間違った英語訳なのだとか。オーボエと違ってリードがまっすぐではなく肘型に曲がっているのだそうです。(p.273)

「バスーン」と「ファゴット」は同じ楽器の別名だと思っていましたが、さにあらず。
フランス系の「バソン」とドイツ系の「ファゴット」は音色も異なる別の楽器なのだそうです。でも、「いまやフランス系のバソンを用いるのはフランスだけになってしまった。」とのこと。(p.291)

ティンパニは、ヘッドをプラスチックにするか、皮にするかでの論争があるうえ、楽器の仕組みも「ペダル式」と「側面に配置されたノブを回してヘッドを張るチューニングボルト式」があり、後者を用いるのは今ではウィーン・フィルだけになってしまった、とか。(p.376)

オーケストラによって音色に差があると言われるのは、奏法だけでなく、楽器そのものの差もあるのですね。気づきませんでした。

オーケストラに占める女性奏者の割合が高くなってきていることについて、
「男性にとってオーケストラの楽団員がが経済的に魅力のある職業ではなくなっていくにつれて、オーケストラに女性の占める割合が増加している」という指摘もされているとか。(p.132)

オーケストラ一つから、いろいろな分析ができるのだなあと、社会学的な興味も覚えました。