著者: 舘野泉
出版社: 六耀社
頁数: 224P
発売日: 2013年10月26日
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世界で活躍されている、今は左手のピアニスト、舘野泉氏の著書です。
数週間前、たまたま聞いたラジオ番組に舘野氏が出演されていて、

「左手が、左半分の体が動かなくなったときね、ぼくは、別にショックは受けなかったんだよ。みんな、大変だろうって心配してくれたけど、そんなことはなかった。このときね、妻のマリアと、結婚してはじめて、ずっと一緒にいることができて、ぼくは幸せだったなあ。マリアも同じ意見で、ほんとに二人でよく笑ったよ。」

といったことを、柔らかな口調で発言されていて、私、ほんと、びっくりしたのでした。
脳梗塞で半身不随になって、第一線で活躍していたピアニストが左手を動かせなくなって、
「幸せだったなあ」
ですよ。

それで、その著書を借りて読んでみた次第です。
なるほど、と納得しました。
この方、人間力が、半端ないです。
おっとりしたたたずまい、口調、でいらっしゃいますけれど、精神力、行動力のパワーはものすごい。
考えてみれば、そもそも、1960年代に北欧はフィンランドに移住してしまう、という行動からして、すごいのですが。

いわゆる逆境を、自分の糧に変えてしまう人です。

戦争中の疎開生活で「裸足で田畑の周りを駆けめぐった」4か月を過ごしたことが、その後のピアノどっぷりの生活の肥やしとなったと述べ、

芸大受験に失敗した「浪人時代は学校の勉強からは解き放たれ、ピアノ以外のことをする時間も与えてくれた、貴重な時期」「とにかく、あらゆるものが自分の中に飛び込んできて、僕の人生はぐっと開かれたものになった」と述べるのです。

独立独歩の精神。
演奏旅行には付き人をつけず、楽譜を詰め込んだスーツケースを引っ張って、どこへでも一人で行った、と言います。文字通り、どこへでも。
弾くピアノのブランドがどうとか、状態がどうとか、そういうことは気にならないのだとか。
どんなにおんぼろなピアノでも、聴いてくれる人がいるなら、それを弾くよ。
本番の前に、そのピアノを1時間ぐらい弾けば、ピアノと友達になれる。
そして、できるだけいい音を引き出すことができるから、大丈夫、と。
調律師さんからも、「音程の調整、いわゆる調律さえすればOKな、稀有なピアニスト」という評判を得ているのだそうです。

いやもう、ほとんど、神の領域では??

一生涯変わらない姿勢は、こんな具合。

舞台は一回一回が真剣勝負だ。そのときの自分の向き合い方、もっと言えば、生きているさまにまで大きくかかっていることである。そのときの自分、そのときの会場、そのときの聴衆。毎回異なる条件下で、毎回違うものに仕上がっていく。でもだからといって、僕の音楽に対する探究心や、求める音楽の理想が変わることはないのだ。それは、病気をする前からの、僕の演奏信条である。

僕はステージに出ていく直前、何も考えない。ステージに出たら、そのとき世界が変わるのだ。ポンと音をたたくだけで、即座に新しい世界に飛び込める。

音楽を創り上げていくことを「暴れ牛とと闘う」とも表現する氏。

なぜがんばれるのか。これまでの過去の経験が積み重なって力になっているという部分もあるけれど、それとは別に、「今やらなきゃ」「今こそ、これをやるんだ」という強い意志こそが完遂する力なのだと思う。
それでなければやっていられない!たった独りで暴れ牛と闘うのである。本当に大変な勝負なのだ。頼る人は誰もいない。誰に言っても答えなど出ない。誰にも助けてはもらえない、自分だけの孤独な闘い。目の前の牡牛の角を押さえ込み、あるときはむずかってごねる子どもをなだめすかしているように扱いもする。一瞬も気が抜けない。
音楽も、真剣勝負なのだ。自分の力を全部出してやらなければ、いいコンサートなんてできるわけがない。
「まあ、大体できているから、こんなところで」なんて感じでは。絶対できっこない!


こういう内容が、嫌味でなく、ひけらかしには聞こえず
読み手の心に響いてくるのですから、それだけでもすごい人だと思います。脱帽。

こういう人間力あればこそ、左手のピアニストとして活動再開してから、目を見張る活躍の日々となったわけですね。
世界中の作曲家が、舘野泉のために作品を書いてしまう、といった状況になるのですねえ。

人間、生き方だ!
納得。