著者: 内田 樹(うちだ たつる)
出版社: マガジンハウス 
2019年7月刊行
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先日、村上春樹についての講演会を聞いて、著者の生き方に興味を持ち、
その自叙伝のような本作を読んでみました。
まず、その生地がこのご近所と知って、びっくり。
その描き方がふるっています。

 クオリティが高いも低いも、僕たちが生まれ、育った東京の南西部の工場街には、よそと比較して誇れるような「文化」的なものが何一つなかった(「生まれた町からの文化的な贈り物」について誇らしげに語る関西生まれの文化人たちと比較して)

 僕たちの「ふるさと」には、守るべき祭りも、古老からの言い伝えも、郷土料理も、方言さえもありませんでした。哀しいほどの文化的貧困のうちに僕たちは育ったのでした。


ううむ。
我が家の近所はもはや「工場街」とはいえませんが、本質は似たようなもの。
そもそも私、転勤族の娘にて故郷を持たず、こういう発想と馴染まないのですが、我が子供時代を振り返れば、両親が同郷(裏日本地域)で封建的ともいえる家風を確立していたような。
これが一種の文化となっていたのかなあ。
翻ってわが身。
夫と私の間には文化といえるものなし。
子供がまっすぐ育たないのも当然といえるかも。

内田氏も、親から受け継ぐ武士道精神的なものが自身の文化である、といったことを述べています。
「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ということが武道のめざすところです。
と。
そして、自ら道場を構えてしまうのですから、突き抜けています。

「人間は基本的に頭がよい」という基本精神にもハッとさせられます。曰く、
 人間は学ぶことをほんとうは願っている。教師がするのは「学びのスイッチ」を入れることだけです。
 氏の専門はフランス文学ですが、大学に専任職が得られない間、予備校でフランス語を教えていたそうで、そのときの教え子たちの中心が大学の転部・転科の希望者たち。
「英語が苦手だから、フランス語で受けたい」と言う彼ら、中高の6年間で英語嫌いになってしまった彼らに、数か月で大学入試レベルのフランス語を教えるわけですが、それが見事な効果を上げることとなり、結果、 
 脳は本質的に活動が好きですから、使い方を覚えれば、高速で回り出す。 
 外国語学習のための脳部位を彼らは6年間使ってこなかったのですから、脳だって使われたがっています。

と断言。そして、
 目の前でみるみるうちに潜在的な才能が開花してゆくのを見ること、これは教師冥利に尽きる経験です。僕はそれを教師になって早い段階で経験することができました。
とつなげます。
はい、脱帽。

それから、印象に残ったのが「火を熾す」という表現。
「その人の一番いいところを見る」という原則をとっているという氏。

 火を熾すときに、うちわであおいだり、ふうふう息を吹き込んだりするのと変わらない。
 僕は火にあたりたいわけです。だからどうすれば火がおこるかを考える。

 人に質の高いものを生み出してほしいと思ったら、いいところを探し出して、「これ、最高ですね」「ここが、僕は大好きです」と伝えたほうがいいに決まっている。

親としても教師としても、私は失格だなあ。
そういう思いを強くいたしました。