浜コンの審査員を務められた
ヤン・イラーチェク・フォン・アルニン氏のインタビュー記事
が掲載されました。

私、氏の大ファンです。
2016年3月、
浜松アカデミーのオープニング・コンサートと、公開レッスンに心底しびれました。

今回の発言も、深いです。読み応えばっちりです。
印象に残ったところを貼り付けます。(下線、太字は PIOの主観で施したもの)
2018-11-30

ー例えば10代半ばの若い才能を評価するとき、その後本物の音楽家になる可能性がありそうだという判断は、どこで見極めるのでしょう?

 それはみんなが知りたい疑問ですね(笑)。多くの要素が備わっていなくてはなりません。まず優れたテクニックが必要なのはひとつ。加えて大切なのは、演奏する喜びを感じている人かどうかです。

 例えば、私はクリスチャンで教会に行きますが、そこで神父が聖書について語るとき、この人物が、読んだことを本当の意味で理解しているか、想像力やカリスマ性があるか、そして、人の心を惹きつける魔法のような力を持っているかは、瞬時にわかります。一方で、例え神父として長い経験がある人でも、自分はなんでまたここに立ってこの話をしないといけないんだ...などと思っている人なら、わかります。誰かの話を聞いたとき、それがあなたに語りかけてくるかどうかは、すぐにわかるものです。とはいえ、とても若い人は何かのきっかけで才能が花開かずに終わることも、さらには自分で音楽家にならないと決めてしまうこともあるかもしれません。でも、ひとりでも多くの才能ある人にチャンスを与えることは大切です。

 あまりに低年齢だと、優勝には若すぎるという意見が出ることもあるかもしれませんが、それに影響されてその人がチャンスを失うべきではないと私は思います。個人的には、歳は関係なく、その音楽が自分に語りかけるか否かだけを重視したいと思います。


ーコンクールの選曲で気をつけるべきことはなんでしょうか。

 私は基本的に気を使ってものを言うほうです。相手に敬意を払い、理解しようとしています。ですが今回ははっきりいって、コンペティターのプログラムの選択に何度もフラストレーションを感じたと言わねばなりません。多くの人が、誤った選択をしていました。例えば、どれだけたくさんの人がリストのピアノソナタを選んだでしょう...それは果たして、3次予選に最善の選択といえたのでしょうか?

 自分がリストのソナタを誰よりもすばらしく演奏できると思うのなら、3次予選で弾けばいいと思います。でも、もし確信しきれていないのなら、もしくは少しでも明確でない部分があるのなら、そこで演奏すべきではありません。一生懸命練習したと思いますが、このステージでその曲を演奏することがどういう意味を持つのかを、彼らは全然わかっていないと思いました。もちろん、一番大切なのは才能や音楽家としての精神が優れていることですが、才能があることをどのように伝えるかは、コンクールではとても重要なことです

 単に、誰かが3年前にこれを弾いて優勝したみたいだから選ぼう、ということではダメなんです。ベートーヴェンのソナタだって、Op.109やOp.110ばかり選んで弾いているんですから...もっと別の作品、たとえばOp.22なんかを選んでもいいのに、なぜ晩年のソナタばかり選択するのでしょう。怒りすら感じましたね。


ー審査する中で、次のステージに進んでほしいと思うのはどういうピアニストでしたか?

 言葉で説明することは簡単ではありません。今回は、みんなが技術的には高い水準で演奏しています。これは昔に比べると大きな進歩です。しかし私が本当に求めているのは、説得力のある音楽ができる人です。技術やレパートリーを披露するのではなく、本当に音楽で言いたいことがある人の演奏は、聴きたいと思います。

 このピアニストは本気で音楽をつくろうとしている、そして私に語りかけていると感じた時、自分はこういう人を求めていたのだと思います。そういう瞬間は、今回のコンクールでもありました。たくさんではありませんけれどね。


ー今の時代はコンクールが多く、優勝してもキャリアは約束されません。そんな厳しい時代を生き抜くために、若いピアニストはどうすべきなのでしょう?

 私はコンクールで優勝したこともありますが、自分のことを思い起こすと、コンクールでもっとも多くのものを得たのは、実は、ヴァン・クライバーンコンクールで「優勝できなかった」ときです(笑)。その時の演奏を聴いたマネージャーが私を信じてコンサートに招いてくれて、それを評論家が取り上げてくれたことがきっかけで、活動が広がりました。そこで、「優勝」よりもこうしたことが大切なのだと気づきました。

 どんなコンクールも、キャリアを保証してくれません。コンクールが目的としているのは、若者に聴かれる場を与えることです。今は、インターネットでも演奏を聴くことができ、2次予選に進めなかったコンペティターでも人に名前を覚えてもらえるチャンスがあります。

 また、コンクールはレパートリーを100パーセントの状態、全ての音がよく考えられている状態に準備する機会としても有効です。本選まで進めないこともあるかもしれませんが、自分が成功しなかった理由は何かを考えることこそが大切です。そしてそのとき、自分を駆り立ててもっと勉強すべきだと思うのか、それとも、これは自分の道ではないと決断するのか。これもまた重要です。みんながピアニストとして成功できるわけではありません。これ以上自分を鼓舞して学び続けることは難しいとか、向上は望めないと思ったときは、辛いかもしれませんが、ピアノの道を離れる決断を下す必要もあります

 音楽家の人生は厳しいものです。自分はすごいんだ、世界が自分を待っているんだと無理に言い聞かせ続けることは、意味がないんです。だって世界はあなたのことなど待っていないのですから。自分の本当の幸せを見つけなくてはいけません。