ウイリアム・アイリッシュ(William Irish)著 黒原敏行訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

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1942年発行、最初の邦訳は1955年という、古典的なミステリの新訳だそうです。
最近、仕事上の必要に迫られてお堅い専門書ばかり読んでいたのですが(ここにUPするのはあまりに野暮…)、ついに耐えきれなくなり、ミステリー本を手にとって1日で読破(通勤時間が長いのです)。

夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」(p.11)
という冒頭文が有名なのだそうですが(確かに、"文学“の香りが…)、私は次のような描写に「なるほど」と時代を感じました。現代とはかなり異なる風景です。

 五月の夕べ、今まさにデートの時間が始まろうとしていた。三十歳前の、街の半分が、髪を撫でつけ、財布に資金をしこみ、意気揚々と待ち合わせの場所に向かっていた。これまた三十歳前の、街の残り半分は、顔に白粉をはたき、特別の服を着こんで、待ち合わせの場所に向かってうきうきと歩を運んでいた。どちらを向いても、街の半分と街の半分が落ち合っていた。(pp.11-12)

で、こんな雰囲気に満ち満ちた日に、
妻とともにディナー&観劇に出かける予定だった主人公スコットは、妻と大喧嘩をして家を飛び出し、たまたま出会った見知らぬ婦人に声をかけて予定をこなし、帰宅。すると、自宅には警察がいて、妻がスコットのネクタイで絞殺されていることを知るのです。
スコット、殺人嫌疑をかけられます。
なあに、大丈夫。スコットと行動を共にしていた見知らぬ婦人さえ見つかれば、スコットのアリバイは証明されるはず、と踏んだのですが。。。

なんと、スコットと婦人を目撃している人々がそろいもそろって
「婦人などいなかった。この人は一人で行動していた」
と証言するのです。

ついに、死刑判決をうけたスコット。
その彼無実を証明するために立ち上がったのが、次の3人。
  • スコットの若い恋人 キャロル
  • 事件の経緯に不信感を覚えた警察官 バージェス
  • スコットの長年の親友 ロンバード
この小説の章立ては、事件当日から死刑執行日までのカウントダウン方式。
さあ、幻の女は見つかるのか?スコットのアリバイは証明できるのか?
…鍵を握る人間を発見!……あと一歩のところで取り逃し……の連続。
煽ります。

最後のどんでん返しには、
「えええっ。そんなのアリ? 嘘っぽくない?」
と思ったのですが、その後のバージェスの説明(経緯の吐露)に深く納得してしまいました。なるほど~、ちゃんと見事に伏線が張ってあったのですよ。

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そうそう、謎解きに直結することではありませんが、
当時の劇場や音楽団員の描写に、ニューヨークの音楽事情が表れていることにも興味をひかれました。
劇場到着が遅れたスコット&謎の女は、場内案内係に導かれて最前列の席に着き、ショーを鑑賞。

 第二部の中ほどで、音楽がクレッシェンドで高まったかと思うと、劇場専属のアメリカ人楽団員はみな楽器を下に置いた。かわって舞台上にいる楽団が、ボンゴとマラカスで異国情緒たっぷりのリズムを刻みはじめ、今夜のショーの主役である南米出身の人気者、歌手にしてダンサーの女優のエステラ・メンドーサが登場した。(p.28)

ラジオ講座の言うとおり、ニューヨークは、ラテン音楽の発信地で(→)、劇場は「専属のオーケストラ」を所有していた(→)ことがわかります。
そして、公演終了後の楽団員が仲間で集ってセッションを楽しんだ(→)という場面そのものも出てきましたよ。
事件後、謎の女を覚えているはずの団員ドラマーにキャロルが接触。公演終了後に二人が店で飲んでいると……。

 灰色の朧な人影が、ひとつ、またひとつとテーブルの脇を通っていった。最後の人影がちょっと足をとめて、「地下でジャムセッションをやるんだが、来るか?」と言った。(中略)
「劇場で一晩じゅう演奏したのに、まだたりないの?」
「ありゃ金のためで、こっちは自分らの愉しみだ。すげえのを聴かせてやるよ」
(p.222)

 空の荷箱やボール紙の箱、樽などがあり、腰をおろすことができた。クラリネットの哀しげな音色が流れ、それを合図に狂乱のジャムセッションが始まった。(p.223)

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古典的名作と名高い作だそうですが、その評判に納得です。