第1回【プロローグ】
ピアニスト…智内威雄

2018年7月4日(水)放送→ストリーミング 2018年7月12日(木) 午後3:00配信終了
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演奏曲目:
グリーグ「アリエッタ」
スクリャービン「前奏曲と夜想曲」より前奏曲


智内氏の人生ふりかえり(幼少時から現在に至るまでのピアノとの関わり)が主な内容でした。
  • 父が画家、母が音楽家という家族で、朝5時前に起床してやりたいことをやる家風だったため、ごく自然に登校前に音楽(ピアノの練習)をすることが身についた。
  • 専門的に学ぶ子供のための音楽教室に7歳で入り、技術を磨くことに喜びを覚えた。
  • 埼玉県蕨市の中学校での学内音楽コンクールでピアノ伴奏を担当し、「よい演奏をすると人を喜ばせることができる」と初めて知った。この経験が人生の中でとても大きかった。
  • 音楽高校時代は、授業前の学内音楽図書館通いに没頭。遅刻が多すぎて特待生を取り消されたほど。
  • 10代でのイタリア留学で鮮烈な驚きを覚えた。町の香り、石造りの建物での反響の迫力、イタリア人の美意識(ピカピカの新しいバイクを「美しい」と賛美する老婦人)が印象深い。
  • 個人レッスンを主体とするピアノでの海外留学は、自分に合う(音楽に対する感覚を共有できる)先生に出会えるかどうかが鍵。失敗すると年月を棒に振ってしまう。
  • 幸い、ぜひ師事したい先生(北欧出身のネックレベル先生)に出会い、その先生のすすめでドイツに留学。その音大ではコンクール・ツアー(コンクールからコンクールへと渡り歩き、賞がとれたら帰国する)への参加が一般的で、学内よりコンクールでクラスメイトと会うということもあった。この体験で、中規模国際コンクールでの入賞、大規模国際コンクールへの参加、とステップアップしていった。
そして、右手に「局所性ジストニア」を発症。
それまで楽に弾けていた曲が弾きにくくなり、ドレミファソラシドさえ弾けなくなるに至って、先生に相談したところ、すぐ受診するようにすすめられます。
受診したのは、大学付属の音楽家の病気のみを専門的に診る機関。
ここで「局所性ジストニア」という病名が告げられ、ベルリンの施設でリハビリに励んだとのこと。
「壁があると乗り越えたくなる性格」で、病名を告げられて「よっしゃー!敵は見えた!」と思ったという話に圧倒されました。。。

こんなに前向きな氏が
「頭の先から足の先まで、まっしろになって何も考えられなくなった。自暴自棄になることすら、できなかった」
と表現したのは、主治医に「完治した」と告げられたとき。
このとき、日常生活には支障がなくなっていたものの、右の手指を無意識に動して演奏できる、というレベルにはほど遠かったのでした。
コンサートピアニストとしてのステージ復帰を「完治」と考えていた氏には受け入れがたかった現実。

実は、症状が消えたわけではなく、現在も時折「こわばり」を感じるのだとか。
演奏会後のサイン会などで、サインする手を止めて聴衆と話をしているときなどは、この「こわばり」を解消させようとしているときなのだそうです。15秒ほどで解消させる技を身につけているから、と。

「左手のピアニスト」と自ら名乗り、演奏活動を本格化させたのは、2013年から。
阪神淡路大震災の遺族の方たちのコミュニティとの出会いから、今は神戸に本拠地を置いて活動されているとのこと。
音楽の役割について、教育や福祉のフィールドからも考えたい、もちろん左手のためのピアノ曲の研究もすすめて普及させたいと、改めて前向きに語られていました。
今年2018年11月には、第1回左手のためのピアノ国際コンクールも開催予定だそうです。

たいへんお話の上手な方です。
人生を自ら切り開いていく力にあふれた方だなあと思いました。
音楽とは……生き方とは……等の論理やいかに。今後の展開が楽しみです。