2024年2月17日(土)BSプレミアム
スタニスラフ・ブーニン ~天才ピアニスト 10年の空白を越えて~
今朝早く、録画で視聴。
今年1月1日放映の番組、再放送でしょうか?
2022年秋に放映された、似たような番組は
「それでも私はピアノを弾く~天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて~」。
でしたから、
サブタイトルの「9年」が「10年」になり、取材期間がさらに1年分加わったものでしょう。
番組の中で、ジャン=マルク・ルイサダ氏に向かって発した
「身体を悪くして、少し真面目になったよ」
というブーニン氏の言葉が印象に残りました。
実は私、ショパコン優勝直後のサントリーホールのリサイタルを生で聴いているのですが、その時は、
「テレビ番組で見たコンクールの演奏の方が良かった」
と感じたのです。なんだか、演奏の集中度が足りないというか、適当にやってる感を覚えて。
数多く催されたリサイタルの中で、たまたまコンディションが良くなかった回だったのかもしれませんし、
聴き手側の期待度が高すぎただけかもしれませんけれども。
その若き日と比べて、
今のブーニン氏が一回一回のリサイタルにかける思いの強さ、密度の濃さがズンと心に響きました。
番組最後の言葉に、ブーニン氏の強い思いを感じます。
そして、
奥様の献身ぶりに、つくづく頭が下がりました。
(以下、視聴しながらのメモ書き)
2023年秋のプログラムに新しい写真を入れるための撮影場面@ドイツからスタート。
妻の榮子さんが満足できる写真が撮れたかどうか尋ねると、ブーニンの返事は
「わかんね~。」
インタビュアー&ブーニンのやりとりは、
「(リサイタルは)もうすぐですねえ」
「いやだ」
「ブーニンさんもそんなお気持ちになられるんですねえ」
「もちろん」
日本語、かなり達者でおられます。
小山実稚恵さんが、ショパンコンクールで優勝した当時のブーニンを評した言葉
「独特のリズム感と指のバネ」
に、「まさに!」と思いました。
(このあたりは、前回の番組と同じかも。ルイサダ氏の表現「ショパンが墓でひっくり返った」は、私、覚えていましたから。)
長野での復帰公演(40分のミニリサイタル)の様子は、前回より長く収録されていたかもしれません。シューマンの小品集を並べたリサイタル。
まだ、「ピアニストとしての自分」は回復していない、「もう少し私に時間をください。」
と述べていましたが、観客の反応に意欲を覚え、
2023年には、2時間のリサイタル・ツアーを組むと決意。
「ピアノを鳴らせ、歌え」
というブーニンの弾き方は、ロシア・ピアニズム。
その祖とも言える名教師ネイガウスを祖父に持つブーニン。
ピアニスト、亀井聖矢(まさや)のショパンを聴く(2023年秋)
「技術的にはとても安定していてスムーズに弾けています。」
「もっと表情豊かに」
「左手が単調にならないように、もっと歌わせて」
「ショパンは大げさになり過ぎないことが大事」
「本質ではない感情移入は邪魔になる」
記念撮影の約束を忘れて、亀井さんを待たせたまま、自分で40分間ピアノに向かってしまう。
リサイタルに組まれた作品の多くはショパン。
ピアノの鍵盤を温めるため、鍵盤の上にカイロを並べる榮子さん。
演奏会で弾く直前まで、楽屋ではブーニン氏の手をドライヤーで温める等、常に甲斐甲斐しい。
ブーニンの嘆き
「左手は以前のようには動かない。」
「左手を見ながら演奏するしかない。自由には演奏できない。」
「完全じゃなかった。技巧的な曲を減らした。」
2023年10月@東京
ジャン=マルク・ルイサダ氏が、ブーニン氏を訪問。ブーニンを評して
「昔から美しくて、貴公子のようだね。」
出会い後の二人の思い出
フランスのレストランで音楽談義をしていると、
ソ連政府のお目付け役(KGB)が割り込んできた。
「心を開くことを禁じられているように、表情を硬くしていた」
復活ツアー(2023年11月~2024年1月)
1.八ヶ岳
2.新潟県長岡市 1500人収容の大ホール
「手が尽きていたという状況で、最後までもたなかった」
「大変ないらだち」
「長岡のみなさんにもっともっといい演奏を聴かせたかった」
アンコールを弾かずに退場
3. 川口市
本番前にホールを借り切って練習
「広いホールでの感覚を取り戻すために」と榮子さんが手配。
長い知り合いであるホールマネージャーが
「ブーニンさんの音だ、響きだ」
本番の幻想ポロネーズを全曲放映
演奏後、榮子さん、楽屋で「やった!」
「前回よりよかったから」
「日本のファンのおかげで、モティベーションを失わずにすんだ」
アルバムを見ながら、かつての日本公演を振り返るご夫妻
1995年の阪神淡路大震災後のチャリテイー・コンサートの様子
「技術的に完璧でなくてもいい。人に感動を与えられる美しい演奏がしたい」
4. 東京 サントリーホール(ツアーの中の山場)
「帰って来た。やっと」
スタニスラフ・ブーニン ~天才ピアニスト 10年の空白を越えて~
今朝早く、録画で視聴。
今年1月1日放映の番組、再放送でしょうか?
2022年秋に放映された、似たような番組は
「それでも私はピアノを弾く~天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて~」。
でしたから、
サブタイトルの「9年」が「10年」になり、取材期間がさらに1年分加わったものでしょう。
番組の中で、ジャン=マルク・ルイサダ氏に向かって発した
「身体を悪くして、少し真面目になったよ」
というブーニン氏の言葉が印象に残りました。
実は私、ショパコン優勝直後のサントリーホールのリサイタルを生で聴いているのですが、その時は、
「テレビ番組で見たコンクールの演奏の方が良かった」
と感じたのです。なんだか、演奏の集中度が足りないというか、適当にやってる感を覚えて。
数多く催されたリサイタルの中で、たまたまコンディションが良くなかった回だったのかもしれませんし、
聴き手側の期待度が高すぎただけかもしれませんけれども。
その若き日と比べて、
今のブーニン氏が一回一回のリサイタルにかける思いの強さ、密度の濃さがズンと心に響きました。
番組最後の言葉に、ブーニン氏の強い思いを感じます。
そして、
奥様の献身ぶりに、つくづく頭が下がりました。
(以下、視聴しながらのメモ書き)
2023年秋のプログラムに新しい写真を入れるための撮影場面@ドイツからスタート。
妻の榮子さんが満足できる写真が撮れたかどうか尋ねると、ブーニンの返事は
「わかんね~。」
インタビュアー&ブーニンのやりとりは、
「(リサイタルは)もうすぐですねえ」
「いやだ」
「ブーニンさんもそんなお気持ちになられるんですねえ」
「もちろん」
日本語、かなり達者でおられます。
小山実稚恵さんが、ショパンコンクールで優勝した当時のブーニンを評した言葉
「独特のリズム感と指のバネ」
に、「まさに!」と思いました。
(このあたりは、前回の番組と同じかも。ルイサダ氏の表現「ショパンが墓でひっくり返った」は、私、覚えていましたから。)
- 2013年に演奏活動を停止した理由は「石灰沈着性腱板炎」。肩にできた石灰が原因で、痛みや麻痺が起こるとのこと。
- 骨折で骨が壊死するなどして、悪い部分を切り取って、骨と血管をつなぐという大手術を受けた結果、左足が8センチ短くなり、ピアノ演奏には特注の左ペダルが必要に。
長野での復帰公演(40分のミニリサイタル)の様子は、前回より長く収録されていたかもしれません。シューマンの小品集を並べたリサイタル。
まだ、「ピアニストとしての自分」は回復していない、「もう少し私に時間をください。」
と述べていましたが、観客の反応に意欲を覚え、
2023年には、2時間のリサイタル・ツアーを組むと決意。
「ピアノを鳴らせ、歌え」
というブーニンの弾き方は、ロシア・ピアニズム。
その祖とも言える名教師ネイガウスを祖父に持つブーニン。
ピアニスト、亀井聖矢(まさや)のショパンを聴く(2023年秋)
「技術的にはとても安定していてスムーズに弾けています。」
「もっと表情豊かに」
「左手が単調にならないように、もっと歌わせて」
「ショパンは大げさになり過ぎないことが大事」
「本質ではない感情移入は邪魔になる」
記念撮影の約束を忘れて、亀井さんを待たせたまま、自分で40分間ピアノに向かってしまう。
リサイタルに組まれた作品の多くはショパン。
- マズルカ 嬰ハ短調 作品63-3
- ノクターン 嬰へ長調 作品15-2
- ポロネーズ 嬰ハ短調 作品26-1
ピアノの鍵盤を温めるため、鍵盤の上にカイロを並べる榮子さん。
演奏会で弾く直前まで、楽屋ではブーニン氏の手をドライヤーで温める等、常に甲斐甲斐しい。
ブーニンの嘆き
「左手は以前のようには動かない。」
「左手を見ながら演奏するしかない。自由には演奏できない。」
「完全じゃなかった。技巧的な曲を減らした。」
2023年10月@東京
ジャン=マルク・ルイサダ氏が、ブーニン氏を訪問。ブーニンを評して
「昔から美しくて、貴公子のようだね。」
出会い後の二人の思い出
フランスのレストランで音楽談義をしていると、
ソ連政府のお目付け役(KGB)が割り込んできた。
「心を開くことを禁じられているように、表情を硬くしていた」
復活ツアー(2023年11月~2024年1月)
1.八ヶ岳
2.新潟県長岡市 1500人収容の大ホール
- ポロネーズ「幻想」 変イ長調 作品61
「手が尽きていたという状況で、最後までもたなかった」
「大変ないらだち」
「長岡のみなさんにもっともっといい演奏を聴かせたかった」
アンコールを弾かずに退場
3. 川口市
本番前にホールを借り切って練習
「広いホールでの感覚を取り戻すために」と榮子さんが手配。
長い知り合いであるホールマネージャーが
「ブーニンさんの音だ、響きだ」
本番の幻想ポロネーズを全曲放映
演奏後、榮子さん、楽屋で「やった!」
「前回よりよかったから」
「日本のファンのおかげで、モティベーションを失わずにすんだ」
アルバムを見ながら、かつての日本公演を振り返るご夫妻
1995年の阪神淡路大震災後のチャリテイー・コンサートの様子
「技術的に完璧でなくてもいい。人に感動を与えられる美しい演奏がしたい」
4. 東京 サントリーホール(ツアーの中の山場)
- 前奏曲 作品28-15「雨だれ」
「帰って来た。やっと」
- マズルカ へ短調 作品63-2
- ポロネーズ「幻想」 変イ長調 作品61(抜粋)
「静寂の中で聴衆が集中して演奏を聴いていてくれていることがわかった」
「自分自身に怒っている。もっとできたはず。」
表情は笑顔
「来年か、その先になるかはわからないが、積み上げているものを皆様にお見せしたい」
「自分自身に怒っている。もっとできたはず。」
表情は笑顔
- メンデルスゾーン:無言歌から「甘い思い出」作品19-1
「来年か、その先になるかはわからないが、積み上げているものを皆様にお見せしたい」