PIOピアノ雑記帳

ピアノ、クラシック音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

2024年2月17日(土)BSプレミアム
スタニスラフ・ブーニン ~天才ピアニスト 10年の空白を越えて~

今朝早く、録画で視聴。
今年1月1日放映の番組、再放送でしょうか?
2022年秋に放映された、似たような番組は
「それでも私はピアノを弾く~天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて~」
でしたから、
サブタイトルの「9年」が「10年」になり、取材期間がさらに1年分加わったものでしょう。


番組の中で、ジャン=マルク・ルイサダ氏に向かって発した
「身体を悪くして、少し真面目になったよ」
というブーニン氏の言葉が印象に残りました。
実は私、ショパコン優勝直後のサントリーホールのリサイタルを生で聴いているのですが、その時は、
「テレビ番組で見たコンクールの演奏の方が良かった」
と感じたのです。なんだか、演奏の集中度が足りないというか、適当にやってる感を覚えて。
数多く催されたリサイタルの中で、たまたまコンディションが良くなかった回だったのかもしれませんし、
聴き手側の期待度が高すぎただけかもしれませんけれども。
その若き日と比べて、
今のブーニン氏が一回一回のリサイタルにかける思いの強さ、密度の濃さがズンと心に響きました。
番組最後の言葉に、ブーニン氏の強い思いを感じます。
そして、
奥様の献身ぶりに、つくづく頭が下がりました。

IMG_7436

(以下、視聴しながらのメモ書き)

2023年秋のプログラムに新しい写真を入れるための撮影場面@ドイツからスタート。
妻の榮子さんが満足できる写真が撮れたかどうか尋ねると、ブーニンの返事は
「わかんね~。」

インタビュアー&ブーニンのやりとりは、
「(リサイタルは)もうすぐですねえ」
「いやだ」
「ブーニンさんもそんなお気持ちになられるんですねえ」
「もちろん」

日本語、かなり達者でおられます。

小山実稚恵さんが、ショパンコンクールで優勝した当時のブーニンを評した言葉
「独特のリズム感と指のバネ」
に、「まさに!」と思いました。
(このあたりは、前回の番組と同じかも。ルイサダ氏の表現「ショパンが墓でひっくり返った」は、私、覚えていましたから。)

  • 2013年に演奏活動を停止した理由は「石灰沈着性腱板炎」。肩にできた石灰が原因で、痛みや麻痺が起こるとのこと。
  • 骨折で骨が壊死するなどして、悪い部分を切り取って、骨と血管をつなぐという大手術を受けた結果、左足が8センチ短くなり、ピアノ演奏には特注の左ペダルが必要に。

長野での復帰公演(40分のミニリサイタル)の様子は、前回より長く収録されていたかもしれません。シューマンの小品集を並べたリサイタル。
まだ、「ピアニストとしての自分」は回復していない、「もう少し私に時間をください。」
と述べていましたが、観客の反応に意欲を覚え、
2023年には、2時間のリサイタル・ツアーを組むと決意。

「ピアノを鳴らせ、歌え」
というブーニンの弾き方は、ロシア・ピアニズム。
その祖とも言える名教師ネイガウスを祖父に持つブーニン。


ピアニスト、亀井聖矢(まさや)のショパンを聴く(2023年秋)
「技術的にはとても安定していてスムーズに弾けています。」
「もっと表情豊かに」
「左手が単調にならないように、もっと歌わせて」
「ショパンは大げさになり過ぎないことが大事」
「本質ではない感情移入は邪魔になる」
記念撮影の約束を忘れて、亀井さんを待たせたまま、自分で40分間ピアノに向かってしまう。

リサイタルに組まれた作品の多くはショパン。
  • マズルカ 嬰ハ短調 作品63-3
  • ノクターン 嬰へ長調 作品15-2
  • ポロネーズ 嬰ハ短調 作品26-1 

ピアノの鍵盤を温めるため、鍵盤の上にカイロを並べる榮子さん。
演奏会で弾く直前まで、楽屋ではブーニン氏の手をドライヤーで温める等、常に甲斐甲斐しい。
ブーニンの嘆き
「左手は以前のようには動かない。」
「左手を見ながら演奏するしかない。自由には演奏できない。」
「完全じゃなかった。技巧的な曲を減らした。」

2023年10月@東京
ジャン=マルク・ルイサダ氏が、ブーニン氏を訪問。ブーニンを評して
「昔から美しくて、貴公子のようだね。」

出会い後の二人の思い出
フランスのレストランで音楽談義をしていると、
ソ連政府のお目付け役(KGB)が割り込んできた。
「心を開くことを禁じられているように、表情を硬くしていた」

復活ツアー(2023年11月~2024年1月)
1.八ヶ岳
2.新潟県長岡市 1500人収容の大ホール
  • ポロネーズ「幻想」 変イ長調 作品61
「ショパンの人生を表現している作品。命を懸けて弾く」
IMG_7432

「手が尽きていたという状況で、最後までもたなかった」
「大変ないらだち」
「長岡のみなさんにもっともっといい演奏を聴かせたかった」
アンコールを弾かずに退場

3. 川口市
本番前にホールを借り切って練習
「広いホールでの感覚を取り戻すために」と榮子さんが手配。
長い知り合いであるホールマネージャーが
「ブーニンさんの音だ、響きだ」

本番の幻想ポロネーズを全曲放映
演奏後、榮子さん、楽屋で「やった!」
「前回よりよかったから」
「日本のファンのおかげで、モティベーションを失わずにすんだ」

アルバムを見ながら、かつての日本公演を振り返るご夫妻
1995年の阪神淡路大震災後のチャリテイー・コンサートの様子

「技術的に完璧でなくてもいい。人に感動を与えられる美しい演奏がしたい」

4.  東京 サントリーホール(ツアーの中の山場)
  • 前奏曲 作品28-15「雨だれ」
IMG_7434
楽屋で聴いていた榮子さん、涙ぐみつつ
「帰って来た。やっと」
  • マズルカ へ短調 作品63-2
  • ポロネーズ「幻想」 変イ長調 作品61(抜粋)
「静寂の中で聴衆が集中して演奏を聴いていてくれていることがわかった」
「自分自身に怒っている。もっとできたはず。」
表情は笑顔
  • メンデルスゾーン:無言歌から「甘い思い出」作品19-1
「コンサートの後は心地よい疲れだったが、まだダメ。理想には達していない」
「来年か、その先になるかはわからないが、積み上げているものを皆様にお見せしたい」

NHK カルチャーラジオ「芸術その魅力」
ラジオ第2 毎週水曜 午後8時30分

音楽家スメタナの生涯
【講師】西原 稔(桐朋学園大学名誉教授)

第7回「自身の人生を回顧して~弦楽四重奏曲・わが生涯より~」
2024年 2月14日(水)放送 
らじる★らじる 2024年4月10日(水)午後9:00配信終了

わかりやすい楽曲解説に納得いたしました。
演奏をしっかり聴かせていただけるのもありがたいです。
スメタナ、こんなに魅力的な作曲家だったとはっ!
聴き逃しの配信期間が8週間と長いことも嬉しい限り。

1B7FC430-136C-4C62-94AD-D1ECF60B042C
<内容メモ>
家庭生活において、スメタナは不幸だった。
妻は結婚10年ほどで死亡 子供3人とも幼くして死亡。
1874年ごろから難聴に苦しみ、全くの孤独となった。
家族に囲まれて過ごした幸せなドヴォルザークと対照的。
(ドヴォルザークは「弦楽四重奏・我が生涯より」完成翌年の試演時にヴィオラを担当)

「弦楽四重奏・我が生涯より」(1876年)

【第一楽章】ホ短調
「シシーミ」と下がっていく5度音程が何度も現れる(=この5度音程は不幸の動機)。
穏やかな中間部はボヘミアの自然を描いている。ヴィオラが重要な役割。
主題が戻ると、再び5度のシーミ「不幸の動機」連続。低い「ミ」の音が印象的。
「ミ」の音がこの作品において大きな意味を持つ。cf.第四楽章

*崇高な作品。この時期にここまで深い作品を書いたのはブラームスとスメタナだけ。

【第二楽章】アレグロ・モデラート・アラ・ポルカ(演奏は省略)
ポルカは楽しかった青春の日を思い出させてくれるもの

【第三楽章】変イ長調(ホ短調からとても遠い調=思い出)
「少女への恋の思い出」と書いてある。つまり、奥さんの幸福な思い出。
急に♭4つが消えて、付点のリズムが登場=孤独の現実へ

【第四楽章】民族的舞曲
軽快な舞曲が途中で途切れ、曲想が変化。
ヴァイオリンが突然に高い「ミ」の音=難聴のスメタナの耳鳴りの音。
「シシーミ」不幸の動機再び。
不思議な終わり方。

Medici.TVが、2024年2月8日にLIVE配信したコンサート(New Generation Piano Recital)、
現在、アーカイブが無料で視聴可能になっています(ログインは必要)。

Kevin Chen(カナダ)は2005年生まれ(現在18歳かな?)。
2021年にブタペストのフランツ・リスト・コンクールで、
2022年にジュネーヴ国際コンクールで、
2023年にイスラエルのルービンシュタイン・コンクールで、
いずれも1位を獲得している、逸材若手ピアニストです。

カナダの若手、続々と出てきていますね。
ショパンコンクール優勝のブルース・リウ然り、
ピリオド楽器のショパコン優勝のエリック・グオ然り。


 

<プログラム>
@フランス ルイ・ヴィトン財団
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op.101
  • ショパン:幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61
  • ショパン:バラード第4番 ヘ長調 Op.52
  • リスト:2つのチャールダーシュ S.225 
  • リスト:巡礼の年 第3年 S.163より 4.エステ荘の噴水
  • リスト:12の歌(シューベルト) S.558より 魔王 D.328
  • リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」 より ペトラルカのソネット 第104番
  • リスト:「ノルマ」の回想(ベッリーニ)S.394
アンコール
  • リスト :春の夜(シューマン) S.568
  • チャイコフスキー :18の小品 Op.72より 第5番 瞑想
スクリーンショット 2024-02-17 214659

テクニック、抒情性、お見事です。
会場、大いに盛り上がり、スタンディングオベーションも。
そんな状況を見ても、ケヴィン君自身は、はにかんだように立ち尽くす少年、といった雰囲気です。

プログラムも、大曲を並べてグイグイ押し付けて来るのではなく、
緩急織り交ぜているあたり、上手いなあと思いました。

2022年に放映された番組の再放送
2024年2月18日(金)NHK総合 午後10:00-午後10:45 
アナザーストーリーズ 選
「小澤征爾 悲願のタクト~北京に流れたブラームス~」


非常に中身の濃い番組でした。感動しちゃいました。
小澤氏の中国に対する思いと、中国側が受け取った影響を
日中国交回復後6年、文化大革命の嵐がおさまってすぐ、
訪中して催したコンサートを通して描いています。
人を惹きつけてしまう魅力、人を動かしてしまう力のみなぎる方だったんですねえ。
NHKプラスで、次の金曜日まで視聴できます。おすすめ♪
【追記】
2024年2月20日(火)午後11:50 ~ 午前0:35 (45分) NHK総合で、再放送もあるそうです。

IMG_7429

視点1:中国を変えたコンサート元中央楽団団員・趙眆
中国の中央楽団との共演
プログラムは
  • ブラームスの交響曲第2番
文化大革命(1966~1976年)後2年
楽団側で楽譜を揃えられる曲が、この曲しかないという理由で選曲
ブラームスを初めて演奏する団員が多く、ブラームスの語法(幅が広い 重い)を知らなかった。
リハーサルでは、みな音だけとって、さらっと行ってしまっていた。

小澤「(チェロ&ヴァイオリンに向かって)しゃべって!」
団員がみな笑顔「小澤先生の指導は、イメージが湧いて楽しい」

小澤「楽団員には、吸い取るだけ吸い取ろうという一生懸命さがあった。」
団員側「小澤先生はさわやかな春風、新しい息吹を送ってくれた。」
中国の音楽界へ与えた影響は大きかった

1978年6月14日
奇跡のコンサート
テレビで生中継され、3日間連続で行われた。


視点2:父に届けたコンサート兄・小沢俊夫
「五族協和」の精神に共感した父は、家族とともに満州へ渡った。
征爾は満州生まれ。1歳で北京へ転居 5歳まで過ごす。
日中戦争(1937-45)

兄・俊夫氏の回想
父・小澤開作の主張は「中国人とうまくやらなきゃだめだ」
あけっぴろげな人だった。
征爾の周りに人が集まるのは父と同じ

1941年、家族を日本へ帰し、一人北京へ残った開作
戦後
「お前は音楽家だから俺を中国へ連れて行ってくれ」
1970年、日中国交回復を待たずに父死亡

征爾「僕はこの旅は中国へのお詫びの旅だと思っています」
中国側「我々は、日本の人民と、軍国主義を分けて考えています」

リハーサル中の征爾の譜面台には父の写真が載っていた。
当時住んでいた北京の家を訪問し、思い出に耽る家族。


視点3:中国の若き音楽家の人生を変えた小澤指揮者タン・ムハイ/湯沐海
  • タン(中国人の指揮者として初めてグラミー賞受賞)の回想
文化大革命の10年は地獄だった。
その地獄から抜け出した時に見たのが、小澤先生と中央楽団のコンサート。
先生はまるで神様だった。天国のようだった。そのとき
「世界に出ていこう」と決意した。

生中継のテレビの前で立ち尽くした若者が大勢いた。

  • 二胡奏者 ジャン・ジェンフォアの回想
小澤先生の前で演奏すると、すすり泣きながら聴いてくれ、演奏後抱きしめてくれた。


タン・ムハイはコンサートを聴いた後、共産党本部に手紙を出して「小澤のようになりたい」と直訴。西ドイツへ留学を果たす。
小澤は後にタングルウッド音楽祭に彼を招待し、レッスン。
タン
「自分の存在が音楽の中に溶け込んだように感じた。」
「北京のコンサートでの小澤先生は神だったが、実際に会うと、彼は温かく導いてくれる優しい人間だった。」

小澤は後に、二胡奏者のジャンもアメリカに招待し、二胡を世界に紹介。
「小澤先生との出会いが、私の人生を変えました。」

オーストリア放送協会(Österreichischer Rundfunk 略称ORF)
2024年2月15日(木) 現地時間19:30~(91分)
小澤征爾追悼番組(アーカイブあり)

ボストン交響楽団、ウィーンフィル、ベルリンフィルと並んで、サイトウキネンオーケストラの演奏が取り上げられている(武満徹のレクイエム)のが嬉しいです。

<番組説明の日本語訳>

小澤征爾は「10万ボルト」の指揮者として知られている。ヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタインの弟子である小澤は、世界の有名オーケストラの多くを指揮し、最も重要なオペラハウスで活躍した。2月6日、この日本人指揮者は東京の自宅で88歳の生涯を閉じた。小澤征爾を偲び、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、そして小澤が30年近く首席指揮者を務めたボストン交響楽団など、小澤が特に縁の深かったオーケストラの録音をお届けする。




<曲目>
  • アントニン・ドヴォルザーク/1841 - 1904:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界」より  ラルゴ - 第2楽章 (12:29) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:小澤征爾(12分29秒)レーベル: フィリップス 4329962

  • モーリス・ラヴェル/1875 - 1937:高貴で感傷的なヴァルス(管弦楽版)ボストン交響楽団 指揮:小澤征爾(16分40秒)レーベル: DG 4376482

  • セルゲイ・ラフマニノフ/1873 - 1943:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18より アダージョ・ソステヌート - 第2楽章  ピアノ:クリスティアン・ツィマーマン ボストン交響楽団 指揮:小澤征爾 (12分15秒) レーベル: DG 4596432

  • ベラ・バルトーク/1881 - 1945:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽Sz 106より  アレグロ - 第2楽章 ベルリン・フィル 指揮:小澤征爾 (07分25秒) レーベル: DG 4379932

  • 武満徹/1930 - 1996:弦楽オーケストラのためのレクイエム サイトウ・キネン・オーケストラ
    指揮:小澤征爾 (07分40秒)レーベル: フィリップス 4544782


  • エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト/1897~1957:ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲 ニ長調 op.35 (ザルツブルク音楽祭2004オープニング・コンサート) ヴァイオリン:ベンジャミン・シュミット  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  指揮:小澤征爾 (25分28秒)レーベル: オームス・クラシックス OC 537

NHK カルチャーラジオ「芸術その魅力」
ラジオ第2 毎週水曜 午後8時30分

音楽家スメタナの生涯
【講師】西原 稔(桐朋学園大学名誉教授)


第4回「プラハから北欧へ」
1850年代、スメタナはスウェーデンへ渡り、交響詩の作曲に取り組む。

「リチャード3世」(シェークスピアの作に基づく)

「ヴァレンシュタインの陣営」(シラーの戯曲に基づく)
  • 交響詩を手掛けたことはドヴォルザークとの共通点だが、スメタナの交響詩はドヴォルザークほど耳馴染みがよくない。
  • ヴァレンタインとは、30年戦争で活躍したオーストラリア・ハプスブルク家の将軍。
  • 1818年からの30年戦争はボヘミア戦争となり、ボヘミアのルター派が弾圧、処刑されるという暗い過去につながる。傭兵による戦争であり、略奪が前提の凄惨な戦いであった。
  • これをシラーが戯曲に書いたものが、チェコ語で出版された。チェコ語を勉強中だったスメタナが、これに触発されて作曲。
  • 多くの場面に分かれており、トレモロの騒然とした雰囲気で始まる。三連符の軽快さは軍隊の行進を表し、やがてモルト・モデラートでボヘミアの自然描写をする。ヴァイオリンの「ドーソーファソラソー」という印象的なフレーズが響き、三連符が再び現れて戦闘場面へ。けたたましいトランペットの行進曲もあり、独立運動の臨場感にあふれている。
  • 「劇場の場面」「上映のために」という但し書きが楽譜に書かれている。
ピアノ曲「マクベスと魔女」
  • 交響詩的なピアノ曲。独特の雰囲気。


第5回「チェコ国民オペラの理想」

公用語がドイツ語だったため、チェコ語が話せなかったスメタナだが、チェコ語によるオペラ「売られた花嫁」を作曲。チェコの作曲家の曲の中で最も演奏機会の多い曲となっている。

オペラ「売られた花嫁」
  • ストーリーは、ヒロイン・マジェンカは、両親に「よそ者」の恋人イエニクとの結婚を許してもらえず、大地主ミーハの息子バシェフと結婚させられそうになるが、実はイエニクはミーハの行方不明の息子だった、というもの。
  • チェコの民族舞踊ポルカが取り入れられている。
  • 素晴らしいアリアがあるが、チェコ語で歌うため、歌手は大変。


第6回「仮劇場での指揮活動・ チェコの民族舞曲への関心」
チェコの民族舞踊に目覚めたスメタナ。
1877年作曲「チェコ舞曲集」第1集は4曲からなり、すべてがポルカ。
1879年作曲の第2集はポルカ以外の10曲からなる。


「チェコ舞曲集」第1集
  • チェコの作曲家による舞曲と言えば、ドヴォルザーク「スラブ舞曲集」が一番人気だが、西洋的なのに対し、スメタナのこれは民族色が濃い。
  • 第1曲 嬰へ短調:シューマンの側面が見える。長調と短調が微妙に融合し、小さな声で語り掛ける雰囲気
  • 第4曲 変ロ長調:メランコリック、センチメンタルでデリケートな名作

 「チェコ舞曲集」第2集
  • 第2曲 スレピチカ:曲の中で気分が変化する。
  • 第4曲 熊の踊り(メドヴィエト):おもしろさ
  • 第5曲 ツィブリチカ(Cibulička)小さな玉ねぎ:面白い表現の仕方で始まる。シューマン的でもリスト的でもない、スメタナらしさ、豊かな想像力に溢れている。

スメタナのピアノ曲は、ドヴォルザークのものよりもピアニスティックで繊細である。
放送内のピアノ演奏は、アントニーン・クバーレクによる。

NHK カルチャーラジオ「芸術その魅力」
ラジオ第2 毎週水曜 午後8時30分

音楽家スメタナの生涯
【講師】西原 稔(桐朋学園大学名誉教授)

気が付かないうちに、ラジオ「芸術その魅力」の講座で、
クラシック音楽がテーマのシリーズが始まっていました。チェコの作曲家・スメタナ(1924-1884)は、今年生誕200年、没後140年の記念年なんですね。
なんと、全13回のうち、既に7回分放送終了で、折り返し地点を過ぎてしまっています

でもでも、まだ「らじる★らじる」の聴き逃しでおっかけ可能なので、
まずは3回分、頑張って聴いてみて、いやもう感動
素晴らしいピアノ曲の数々です!

スメタナって、ピアノがとっても上手だったんですって。
6歳でステージ演奏をしたとか。
で、若いころの作品は素敵なピアノ曲が中心……すべて初めて知りましたっ!

ピアノ関連の内容のみ、抜粋して記載します。


第1回「若き日のスメタナの夢」
ドイツロマン派の影響を色濃く受けた初期のピアノ曲紹介

「バガテルと即興曲」(20歳の作品)
  • 全8曲:1無邪気、2落胆、3牧歌、4願い、5喜び 6おとぎ話、7 愛、8不和
  • ホ短調の4番は、メランコリックで素晴らしい作品
  • 神秘的な6番、透明感のある7番も魅力的
  • シューマン「子供の情景」からの影響が強く感じられる曲集
ベッティーナ・ポルカ」2拍子の活発な舞曲
  • 1840年代前半の、世の中が騒然となる前の平和な感じが伝わる曲
  • 休符を挟んだ無邪気な舞曲。
  • ポーランドといえばマズルカ、チェコといえばポルカ。


第2回「三月革命とリスト」

1848年(スメタナ24歳)、ウィーンで3月革命が起き、オーストリア支配下のチェコにも波及。
スメタナは、当時の音楽界のスーパースター・リストを意識した高度な演奏技術や作曲技巧に富んだピアノ曲集を発表。

「性格的な6つの小品」作品1
  1. 森の中で:タイトルはシューマン風だが、作風は異なり、演奏が難しい。
  2. 目覚めた情熱:タイトルはメンデルスゾーンの無言歌っぽいが、もっと強い感情を表出。
  3. 羊飼いの娘:タイトルから予想されるほど叙情的ではない。情熱を秘めた新しい試み。
  4. 憧れ
  5. (戦士)演奏は放送せず
  6. 絶望:大変激しい感情
スメタナは、この曲集を携えて、ワイマールの宮廷楽団の常任楽長に就任したリストを訪ねる。
ボヘミアの作曲家はポルカの作曲家ではないか、と他の作曲家から揶揄されたスメタナをリストが擁護し、スメタナのピアノ演奏を称賛したとのエピソードが残っている。


「6つのアルバムのページ」作品2
  1. プレリュード:アレグロ 
  2. (シャンソン:モデラート )
  3. ヴィヴァーチェ 
  4. (アレグロ コーモド-センプレ マルカート)
  5. (モデラート コン アニマ)
  6. アンダンテ マ ノン トロッポ 
リストの影響は薄れ、再びシューマン的な世界に戻る。
自然な音楽のフレーズを大切にする。


第3回「家族の不幸の中で」
1855年、4歳になる愛娘を失ったスメタナは、ドイツ・ロマン派の様式から脱した画期的な作品を発表。

ピアノ三重奏曲 作品15(全3楽章中、第1楽章をウィーンベートーヴェントリオの演奏で)
  • 第一楽章は、緊密な構成が光る。
  • ヴァイオリンが半音階で下がってきて、ため息のような主題を奏でた後、ピアノが和音を連打し、スメタナ自身が叫んでいるような圧倒的な表現で始まる。
  • フーガの書法も用いて、作曲の習熟度を示している。
  • ラの音を長く伸ばすチェロが印象的。
  • ショパン的なパッセージ、テンポ・ルバートも含んでいる。

2009年5月17日のインタビューが、無料で視聴できます。
ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホール内の無料動画として。
登録が必要ではありますが。


小澤氏、ご自身では外国語は苦手、と言い続けられていましたが、そんなことはありません。
ベルリン・フィルのホルン奏者の方からのインタビューに、適確に反応されてます。

実は私、
ここで話題になっているメンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を
サイトウキネンオーケストラの演奏で聴いているのですが、
なんと、コンサート会場で爆睡してしまい、音楽についてはほとんど記憶にありません💦
ここまで爆睡したことは、生きていてこの時だけ、と断言できます。

この曲、英語で歌われることが多いそうで、
演奏機会も、ドイツよりもイギリス、アメリカの方が圧倒的に多い、といった話でした。
小澤氏自身、ボストンでも日本でも英語で演奏されたそうですが、
ドイツでの演奏機会が少ないことは初めて知った、とのことです。
ベルリンフィルでこの曲を取り上げて、指揮する機会を得て嬉しい!とは、団員であるインタビュアーの言。

小澤氏自身のことについてもいろいろ問われて、語られています。
  • 「サイトウキネン」の「キネン」はmemorialの意味だが、memorialという言葉には暗いイメージがつきまとうので、あえて日本語の「記念」を使った。この後には暗さはない。
  • 指揮者を目指したのは、偶然。兄の影響でピアノを始め、とりこになったが、ラグビーにも夢中になっていた少年時代に指を2本怪我して弾けなくなった。そのとき、ピアノの師・豊増昇先生から「日本人指揮者はほとんどいない」からと、指揮を勧められたのがきっかけ。そう言われるまでオーケストラも室内楽も聞いたことがなかった。それで、14歳でクロイツァーの弾き振りによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を聴いて感激し、指揮をやろう!と決意した。当時、まだほとんど弟子をとっていなかった斎藤英雄先生に毎週、個人指導が受けられて、実にラッキーだった。
  • 齋藤先生以降の先生といえば、カラヤン。息の長いフレーズを大事にするのは彼の影響。度々コンサートに呼んでくれて、「セイジはこれをやれ」といって彼自らがプログラムを組んでくれた。一般にはオーケストラのマネージャーと一緒に決めるので、特別なことだった。その中に「エリア」が入っていた。彼の英語は聞き取りにくくて、電話でやりとりするのが大変だった思い出(インタビュアーが「彼のドイツ語も同様だ」と言ってました)。
  • ベルリンフィルの特徴は、室内楽のように相手の音が聴いて演奏できる、つまり、耳がいいこと。メンバーが入れ替わっても、この伝統は受け継がれていると感じる。素晴らしいと思う。

まだまだ、面白いことが語られていたように思いますが、もう思い出せません。
(早朝に聴いたものの、記事にしているのは朝10時😅)

くるくると表情を変えながら語る、小澤氏のお茶目な風情、とても懐かしく感じました。
これから、日本のテレビ番組でも追悼特集をいろいろ組むことでしょうね。

2024年2月9日(金)
@ザールフィルハーモニー・イン・ミュンヘン での演奏会のラジオ生中継
Web上でアーカイブが聴けます。

バイエルン放送交響楽団
指揮:セミヨン・ビチコフ
ピアノ:藤田真央

<プログラム>
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲 ニ短調 KV 466
ソリストアンコール
  • モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス
(休憩中にインタビュー)
  • シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調

  

素晴らしい音質の録音で、感動しました。
クリアな音色です。
闊達に語るピアノ、堪能しました。
会場も、大いに盛り上がっていました。

真央君、アンコールを弾く前に、
会場に向かって、ドイツ語でスピーチしていましたが、
「日本の音楽界の巨匠、小澤征爾氏が亡くなった」ことに言及。
おそらく、アヴェ・ヴェルム・コルプスは彼に捧げる、といったことを述べていたのでは……と想像します。(39分ごろ)

心に沁みました。
観客のほうも、フライングすることなく、最後の音が消えるまで聴き入っている雰囲気が伝わってきて、ジーンときました。
スクリーンショット 2024-02-13 093941
演奏後には、真央くんのインタビューの様子が(46分ごろ~57分)。
ドイツ語での質問に、英語で答えていたのですが、英語の上にドイツ語をかぶせていたので、ドイツ語が聞き取れない私には、内容がよくつかめませんでした。残念。

チャイコフスキー・コンクール後にこのホールで初めて弾いた時のこと、
モーツァルトのレパートリー、特にこのコンチェルトに対する思い、
ベルリンで、キリル・ゲルシュタインに師事していること、
楽譜の読み込み方法、モーツァルトとの最初の出会い、
家族に対する感謝等、語っていたようです。
最後は真央君、ドイツ語であいさつ(とっても嬉しそう)。

その後、後半の会場中継に移るまで
おそらくCDからのモーツァルト・ソナタ第2番の演奏が全曲!流れました。
うう。なんとも魅力的。
ラジオも「真央の世界」一色で染め尽くしてしまうなんて、さすがです!

2024年2月12日(月㊗️)11:30開演 12:45終演
@みなとみらいホール 大ホール

ヴァイオリン:辻 彩奈
ピアノ:萩原 麻未

<プログラム>
  • フォーレ:ロマンス 変ロ長調 Op. 28
  • フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 Op. 13
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
アンコール
  • パラディス:シシリエンヌ
IMG_7416


幸せ気分に浸ったコンサートでした。
しっとりした雰囲気にうっとりの「ロマンス」の後は、
辻彩菜さんの元気な「おはようございます」の声。

辻さん、萩原さん、
室内楽では共演が何度かあるそうですが、二人だけのデュオは意外にも今日が初とのこと。
とても初とは思えない、息ぴったりの共演でした。

フランクのソナタ、アンコールのパラディスは、
以前、辻さん&阪田知樹さんの共演で聴いています(→2021年3月)が、
萩原さんの方が、弱音はあくまでもかすかで柔らかく、
ルバートの揺れ幅が大きかったんじゃないかな。

阪田バージョンは、丁々発止。
萩原バージョンは、2人でニュアンス生成、って感じでしょうか。

フランスの香り、堪能しました。

みなとみらいのランチタイムコンサート、今日を区切りとして休止に入るとか。
今日のお客さんの入りもとてもよかったのに、残念です。
横浜みなとみらいホール プロデューサー 、反田恭平氏も決定に関与しているのでしょうか。

↑このページのトップヘ